最近の文、見解など
2005-9-8

「もったいない:MOTTAINAI」を世界標語に

日本には、昔から「もったいない」という美しい奥行きの深い言葉がある、「勿体無い」とも書く。 広辞苑によると1)物の本体を失する意とあり、2)過分のことで畏れ多い、かたじけない、ありがたい、もったいないお言葉などと使う。そして3)そのものの価値が生かされず無駄になるのが惜しい、捨ててはもったいない、となる。
とても外国語に翻訳できない言葉、日本人が長年の西欧追従で失った奥ゆかしい言葉である。石油が支えた20世紀型文明が終わる時、この「勿体無い」を、美しい島国日本で子供達と永く生きる国民的標語としたい。むき出しの「マネー、効率優先、市場至上主義、勝者が全てを取る社会、大量のゴミと共に人も捨てる社会」はもう終わりにしたい。「MOTTAINAI」を、有限地球に生きる言葉として世界に広めたいものです。
文明が変わる、社会が本質的に変るときこそ大変なビジネスチャンスなのではないでしょうか。日本が世界をリードする論理を構築する、が私の願いです。
尚、これはノーベル平和賞受賞者のケニア副環境相ワンガリ・マータイ氏が訪日時、小泉総理に日本には良い言葉がある、と述べたと聞きます。

2005-9-2
資源とは
:1)濃縮している 2)大量にある 3)経済的な位置にある
------------------------------------------------------
質が全てのエネルギー資源:EPR(Energy Profit Ratio)=出力エネルギー/入力エネルギー
--------------------------------------------------------
様々なエネルギーの話

天然ガス(これも有限)原子力;核分裂(一回、再処理、増殖)、核融合(遠い先の話)石炭(インフラの復活、運輸が問題)オイルサンド、オリノコタール、オイルシェール(EPR?、環境)自然エネルギー:太陽、風力、地熱、バイオマス、海洋、水力(小型)メタンハイドレート、宇宙太陽発電(非現実的)水素、燃料電池、水素社会(エネルギー源ではない、水素とは?)

2005-6-9

2005 ASPO リスボン会議の報告

1)第4回のASPOリスボン会議5月19日、20日について簡単にご報告する。会議の詳細は6月2日、ポルトガルの主催者側から下記で公開された。
http://www.cge.uevora.pt/aspo2005/
一言すれば、ヨーロッパでは既に「石油ピーク」は織り込み済みとの印象だが、対する日本はメタンハイドレートが近海に天然ガス消費量の100年分あるなどと言う国である。「資源の意味」を理解せず、量だけで考えるからである。
2)ASPO会議も今回リスボンで四回を数え、「石油ピーク」そのものから石油減耗対策へと主題が移りつつあるよう思われた。勿論今も石油減耗の時期は話題だが、基本的に今の石油時代が長くないことは折込済みである。
今回、政治家のパネルディスカッションも行われたが、大人社会ヨーロッパを感じさせるに十分であった。論理、価値観の多様性を容認するのである。
3)対して日本、さすがに最近の油価乱高下で「石油ピーク」が話題となり始めたが、反応はヨーロッパと本質的に違うようである。悲観的なことは聞きたくない、石油ピーク論の意味を考えず、ただ無視しようとする。メタンハイドレート、宇宙太陽発電などの楽観的技術万能論などはその反動であろう。今のままでは、日本の未来が危ぶまれる。石油ピーク論とは本質的に有限地球観そのものであり、地球資源について科学的理解の深さの問題というべきである。
4)そこで改めて「資源とは」、(1)濃縮されている、(2)大量にある、(3)経済的に採取出来る位置にあるもの、である。特に1)の濃縮が重要で、基幹エネルギー源として森林、石炭、石油、天然ガス、ウランなどはこれら「資源3条件」を全て満たす。しかし太陽エネルギーなど自然エネルギー源は、1)を満たさない。従って自然エネルギー利用は分散したまま有効利用するのが望ましく、いたずらに集中しようとするとかなりの入力エネルギーが必要となる。
5)そこで「エネルギーの入出力比、EPR(Energy Profit Ratio)」が重要となる。科学的なエネルギー政策の樹立にはこのような科学的指標、基準が不可欠なのである。
6)最近の小泉総理の言葉、「脱石油戦略」もASPOで機を見て紹介した。メディアからインタビューを受けたが、その際持論のEPR論も展開しておいた。
7)石油ピークに関して、戦略的な政策展開には「PLAN-B」が欠かせない。短期、長期的な戦略を混同しないためである。EPRと共に今後重要なキーワードとしたい。

2005-2-13

実質的に[石油ピーク]を認めたIEA:20世紀型文明の行方

石井 吉徳

石油の価格が高騰し、世界が大騒ぎしている。この理由は中国、インドなどの需要が急増したため、或いは石油開発の投資が鈍っている、中東の供給余力が少ない、或いはこれが投機資金を呼んでいるなど、さまざまに言われている。そして石油価格が少し下がり安定すると、もう危機感はなくなるのか石油はまだまだある、カナダの重質油なども埋蔵量は膨大などと考え出す。そして価格高騰は一過性に過ぎないとの意見が幅を効かす。本当にそうなのかだが、朝日新聞は1月16日(日)、一面で「石油ピーク」をかなり大きく報道し、そして「さらば浪費社会」という記事を毎日曜日連載するようになった。大きな変化である。だが他紙は依然楽観論であり、多くの国民も「いずれ何とかなる」と思うのかもしれない。以下に続く

2005-1-20

「石油ピーク」と地球温暖化:人類は温暖化させ得るか?
石井吉徳

石油価格の変動が激しい。その理由を一過性と考え、寡っての石油ショックと比較し大丈夫との楽観論が多いが、これは間違っている。何故なら、1970年当時はまだまだ石油発見されており、世界の油田は元気だった。しかし今はもう大油田は発見されず、中東の巨大油田も年を取った。エコノミストは市場至上主義、科学技術者は技術至上主義に立ってこれからも大丈夫と国民を安心させる。この2つの幻想が物質的経済成長、20世紀の「大量生産、大量消費、大量廃棄」をいつまでも推進させる。環境は廃棄物は循環すれば良いと考えるが、しかしゴミは増えるばかりである。二酸化炭素も人間社会が大気に出すゴミである。以下に続く

2005-1-13
「高く乏しい石油時代が来る」
論文:石井吉徳

地球は有限、自然も無限ではない。この簡単だが、人類にとっての「本質」を理解するのは、至難のようである。そして「有限地球」で人類は今も増え続け、物質的に無限の成長を望む。その当然の帰結として、資源を大量消費する現代工業化社会は、際限なく地球を収奪することになる。自然環境破壊も、とどまるところを知らない。地球温暖化など、地球規模の難問は現代社会を象徴する。2002年のヨハネスブルグのサッミット最終日、国連アナン事務総長は「WEHABそしてP」が大切と述べ、科学技術はそのためにあると総括した。これらは水(Water)、エネルギー(Energy)、健康(Health)、農業(Agriculture)、生物多様性(Biodiversity)、そして貧困(Poverty)である。これに対して日本では「IT、バイオ、ナノ、環境」が重要な科学技術分野とされる。ここで、環境だけが問題解決型である。日本社会では昨今経済が過度に優先され、効率が重んじられるからである。これに対して国民はもう欲しいものが余りないが、日本には成長神話があるためか、指導者は国民に無理に物を買わせようとする、まだ使えるものを捨てさせようとする。これを、嘗ては「浪費、無駄」と言った。それもそう昔のことではない。エコノミストは、雇用に消費が必要と繰り返すが本当にそうなのだろうか。これは資源浪費型の「持続不能の道」ではなかろうか、「有限地球」で人類だけが無限成長できる筈ないからである。

2005-1-3
2004年、私の総括

2004年も皆様のご協力で、エネルギー、農業問題など、「有限地球観」に基づいた年来の主張を、様々な場所、機会で展開することが出来ました。石油価格がバーレル50ドルを超え、さすがに日本人も真剣になったようです。しかし、今もこれは一過性と多くの識者は言いたがります。これは間違いです。ゆえに私は繰り返します。日本は先進工業国の中でも特に危ない、生存基盤が脆弱な国です。「物」は勿論ですが、「心も食」も自立しいないのです。「エネルギーも食料」も外国頼みです。しかも国際的に孤立しやすいのです。しかし日本人はもともと優れています。ただ今は残念ながら司令塔が無いのです。長年の欧米追従の「つけ」なのでしょうが、これからは「ノコギリ・カンナ型」でなく、問題可決型「WEHAB-P」が大事です(HP参照:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/myenvironmentalism/philosophy/essays.html#wssd)。

ホームページは繰り返し刷新、タイトルも代えました。英語翻訳エンジンを付け、海外も意識しました。翻訳エンジン未だは実力不足ですが。
ようやく、メディアも関心をもって来ました。例えば、朝日新聞・2004・10・10【原油高騰】「オオカミが来た」が現実に:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/thisweek.html#asahi
講演を今年、東京および3県で21回行いました。主題は常に「地球は有限」、石油は限りがある、農業を支える、そして「集中から分散」です。

2004-12-29

内閣総理大臣 小泉 純一郎殿 平成16年12月24日 

日本学術会議第5部 資源開発工学研究連絡委員会 委員長 芦田 譲
(社)日本工学アカデミー エネルギー基本戦略部会 部会長 秋元 勇巳
(社)日本工学アカデミー 環境フォーラム代表  石井 吉徳

「日本のエネルギーに未来はあるか−有限の地球に生きる」
 公開シンポジウム、「緊急アピール」の件

拝啓
 時下、ますますご清祥のことと、お慶び申し上げます。
  さて、私共工学系有識者及び関連学協会は、2002年「京都議定書」の困難性について問題提起して以来、エネルギー・環境政策の成否が、日本社会の広範な分野に深刻な影響を与え得ることから、度々問題提起を行って参りました。
  また、欧米での国際会議や学識経験者の専門家同士のコミュニケーションを通じて、問題の焦点を的確に把握する努力をし、公開シンポジウムを開催して、これら課題への戦略について、幅広く産学官関係者と意見交換して参りました。
本年初頭の通常国会にて、日本学術会議法が改正され、「科学者の意見を広く集約し、長期的、総合的、国際的観点から科学者の視点に立って中立的に政策提言を行う」と位置付けられました。
  この趣旨に沿うべく、本シンポジウムを開催するに至りましたが、内閣府はじめ関係省庁、経済団体等の後援をいただき、国民・産・学・官・政から数多くの出席者を得て、有意義な意見交換、議論が行われました。
  同時に本シンポジウムの総括において、本問題は国家・国民にとって極めて重要であり、国家戦略策定のため「エネルギー情報基盤の整備」が急務であると集約され、緊急アピールを行うことが決議され、これに基づきこのたび添付の緊急アピールがまとめられました。
  近年エネルギー・環境問題は国際政治の場でも急速に厳しい様相を呈しはじめ、かつ対立紛争への懸念が高まりつつあります。そうした危機回避へ日本国家としてイニシアティブを発揮するためにも、本「緊急アピール」の意味するところを汲み取られ早急に対処されることを要請申し上げます。                                 
敬 具  緊急アピール本文、公開シンポ、添付ファイル

2004-12-26

私の講演ビデオ 「安く豊かな石油時代が終わる! 日本のエネルギー国家戦略を考える」

1.日 時 : 2004年11月18日(木) 午後2〜4時
2.講 師 : 石井吉徳氏 (社)日本工学アカデミー環境フォーラム代表、富山国際大学教授、東京大学名誉教授、元国立環境研究所長
3.テーマ : 「安く豊かな石油時代が終わる! 日本のエネルギー国家戦略を考える」
4.場 所 : (財)原子力発電技術機構(NUPEC) 6階会議室:港区虎ノ門4-1-8 虎ノ門4丁目MTビル
5.主 催 : EEE会議
金子EEE会議代表による紹介、 石井教授による講演: イントロダクション (26:38)、石油ピークの概要 (35:55)、EPRで考える (25:14)、新しい文明の展望 (26:47)、資源とは (27:21)

2004-12-25
◇「科学劇場記者席」・・・朝日新聞・2004・10・10
【原油高騰】 「オオカミが来た」が現実に
編集委員  内山幸男

  原油が高騰している。ニューヨーク商業取引所の米国産WTI原油の先物価格は1バレル=50ドルを超え、さらに高値を更新中だ。中東情勢、中国の需要増などさまざまな原因が指摘されている。
  しかし、2年前に聞いた議論が気になって仕方がない。石油地質学者で、仏石油会社トタール社元幹部のC・J・キャンベル氏が88年に発表した「石油生産、2004年ピーク説」だ。予測が正しければこれから石油生産は減り続ける。
元になった予測式は、56年に「米国の石油生産は70年がピーク」と予測し、ぴたりと当てた実績をもっている。
  この説を日本に紹介、「高くて乏しい石油時代が来る」と警鐘を鳴らしている元国立環境研究所長の石井吉徳・富山国際大教授によれば、油田の発見のピークは60年代だった。81年以来、石油の消費量は発見量を上回っている。
  世界最大のサウジアラビア・ガワール油田の発見は40年代。当時は勢いよく自噴していたが、今は1日450万バレルの石油生産のために700万バレルの海水を圧入して、搾り出している状態だという。
  石油が枯渇するという警告は、72年のローマクラブの「成長の限界」を嚆矢とする。翌年の石油危機で、それが証明されたように思われた。 ところが、可採年数(このまま採掘を続けられる年数)が、約35年のまま、何年たっても減らない。80年代半ばからは逆に増え、01年には44年に。石油枯渇説はオオカミ少年だということになった。
  しかし、企業や国家から集めたこのデータが怪しいらしい。実際、今年、シェル石油の埋蔵量水増しが発覚した。
  さらに深刻なのは資源の質の低下だ。採掘エネルギーの比(EPR)は、元気な油田は50以上だが、採掘が進むとだんだん下がる。米国の油田の平均は3。1以下なら資源としての価値はない。  オイルサンドは、環境修復まで含めれば1以下だと石井さんはいう。「それなのに、最近、カナダのオイルサンドが石油埋蔵量に入った」 ブッシュ政権は、キャンベル氏らの情報を熟知しているという。日本はどうなのか。
    イソップ物語の羊飼いの少年は「オオカミがやって来た」とうそをつき、やがて村人はその言葉を信用しなくなった。しかし、最後には本当にオオカミがやって来たのである。

2004-12-23

本を出しました:「豊かな石油時代が終わるー人類は何処へ行くのか」

日本工学アカデミー発行(平成16年10月20日)・環境フォーラム(代表 石井吉徳):販売 丸善

20世紀文明は「安く豊かな石油」が支えた。21世紀に入ってこの石油に陰りが見え始めた。世界の石油生産のピークが今訪れている。これはいわゆる枯渇論のことではない。需要に生産が追いつかなくなる、それが「石油ピーク」の意味。残念ながら「エネルギーの質」を理解しない識者が多く、資源と言えども新技術が、市場原理が解決すると楽観するが、最近のイスラム原理主義の台頭など世界の緊張は、新しい世界秩序の必然を予感させる、20世紀のパーティーは終わったのだ。(「豊かな石油時代が終わる」をお読みください、本屋で1000円)

2004-12-19

「豊かな石油時代が終わる」ー>「高く乏しい石油時代が来る」

ホームページのタイトルを、上のように変えました。その理由は「豊かな石油時代が終わる」が、しばしば「石油以外のエネルギー源」の宣伝に利用される傾向があるからです。総合的なエネルギー論の発展に、「高く乏しい石油時代が来る」のほうが、「無駄をしない、浪費のない社会」が連想されやすいからです。

2004-12-18

石油が危ない:瀕死のガワール油田

石井吉徳:月刊エネルギー誌 v.37, no. 11, 2004

 Ghawar is dyingー。今囁かれる英語の3文字、この意味がお分かりの方は相当の専門家である。 世界最大の「ガワール油田、サウジの生命線が死につつある」と言うことである。石油の象徴、サウジアラビアがこければ、世界がこけるのである。ガワール油田は1940年代発見されたもの、かなり老齢である。今450万バーレル/日を生産する自噴圧力の維持のため、700万バーレル/日の海水が圧入されている。そして日量100万バーレルの水を随伴する。この中東から、日本は2003年88.5%の石油を輸入している。この依存度は先進国でも突出して大きい。エネルギー v.37, no. 11, 2004

2004-9-17

「日本のエネルギー戦略と食の安全保障」
石井吉徳:日本エネルギー学会誌:June2004

小泉総理への文:“石油はやはり有限でした。2010年より前に「石油の減耗:Oil Depletion」が顕在化する怖れがあります。これはいわゆる石油枯渇論とは異なり、石油生産量がピークを打つというものです。「石油ピーク:Oil Peak」です。その後、生産は緩やかに減退に向かうと見られます。昨年11月、英国の科学雑誌Natureまでが、石油と文明に関する特集を出すに至りました。石油は現代農業を支えています。人々は食料エネルギーで生きていると思っていますが、これは間違っており石油を食べているのです・・・”(日本エネルギー学会誌、農業とエネルギー特集号掲載)

2004-7-26

「エネルギーと地球環境との調和--石油ピークが過ぎた二十一世紀に考えるべきこと

石井吉徳:ILLUME 31-2004

「地球が有限」であることが、なかなか人々に理解されない。特に日本においては、資源は外国から買えばよい、出来るだけ安くと思うようである。石油も有限とは思わない、思いたくないのである。農業が石油に浮かぶ高エネルギ−型とも考えない。そして、ひたすらに科学技術が進歩すれば何とかなる、と短絡思考するようである。この技術至上主義は、市場至上主義と並んで現代の非持続型の思想、日本の隘路の双璧と言えよう。これには未来は無いのである。本稿は東京電力によるILLUMUE:31号である。

2004-7-25

これからのリモートセンシングを考える

石井吉徳:日本リモートセンシング学会誌 v.24 no. 2

問題解決型の科学技術が求められる。宇宙から地球を観測するリモートセンシングだが、ロケット、衛星本体、センサーが優先し、目的は最後になるのが常である。アメリカのNASAでもその傾向があるが、日本はそれが特に強く、もう宇宙は「もう一つの公共事業投資」化して久しい。「国民のためのリモートセンシング」、「人類のための科学技術」を目指したい。

2004-7-14

誇大宣伝の水素社会:The Hype about Hydrogen

J. J. Romm, Island Press 2004

今、日本では水素、燃料電池が流行である。水素社会、とあたかも水素が人類の未来を救うかのようである。しかし水素は何かから作るもの、エネルギー源ではない。かなり厄介なエネルギーキャリアーである。これを警告したのが本書である。著者はクリントン政権時代、エネルギー省の水素推進の責任者であった。短期、中期的に水素はまだ研究対象、一つの選択肢であり,天然ガスなど従来のエネルギー源から作るのは意味が無いと述べている。一読をお勧めする。「パーティーは終わった」の著者、Heinbergの意見も参考になる。

2004-7-11

改めて「資源とは何か」

「資源と何か」を理解しない資源論が多すぎる。改めて資源とは、1)濃縮されている、2)大量にある、3)経済的に採り出せる所にある、ものを指す。特に1)が重要。これは地下資源であろうと、森林であろうと変わらない。ごみ資源、循環資源も同様である。太陽エネルギー、ごみ資源は1)を欠く、宇宙発電は3)が駄目、メタンハイドレートは1)、3)を欠く。エネルギー資源では、質が最も大事である。キーワードは「地球、自然」を思うこと。

2004-5-11

安く豊かな石油時代が終わるー21世紀日本の選択
石井吉徳:エネルギー・レビュー誌2004-5月

現代の石油文明は峠を越しつつある。しかし、多くの人々はそうは思わなようだが、それはエネルギー情報が氾濫し過ぎで、人は自分が信じたい話と選べばよいからbある。また「オオカミと少年」の話のようだと言って、先を本気で考えようとしない。しかし地球は有限である、本当に日本はこれで良いのか。表題の論文は21世紀の日本について論じたものである。

2004-2-15

ラストサムライ:The Last Samurai
2003年公開アメリカ映画:Tom Cruise主演、渡辺謙助演

「武士道:義、礼、勇、名誉、仁、誠、忠」、懐かしい言葉である。今は失われた日本人の心を外国映画が蘇らせた感である。今の日本、このような骨のある映画は出来そうにないが、このアメリカ映画は、百年前の新渡戸稲造の書「武士道」に匹敵する爽やかさである。志を失った「マネー至上主義の今の日本」、千人の外交官、政治家、学者、強大なメディアより、この一本の映画の方が国際的に訴える力がある。必見の映画、「最後の侍」とした方が良かったが、カナだらけの今の日本、これも無理なのであろう。

2004-1-5

”死に物狂いで成長を実現せよ ”文芸春秋新年号:奥田経団連会長:

本当にそうなのか? 経済成長は永遠の正義なのか? エネルギー、環境、資源、皆有限の中で「人間のみ無限」が有り得るのか? 今年はそれを問う年としたい。 一般の日本人は、「物の豊かさより心の豊かさを」、と思い始めている。 安い豊かな石油時代は終わりつつある、20世紀の「それ行けどんどん」の常識は間違っているのでは。2003年、競馬で「100連敗の馬:ハルウララ」が市民の声援が集めた。

2003-12-30

緑の革命とその暴力:The Violence of the Green Revolution
Vandana Shiva 1991:Third World Network
日本経済評論社(訳)1997

自然と共に生きるインドの伝統的な農業が、グローバリゼーションによる画一的近代化農業により破壊されている、自然に帰るべきと警告する書である。1970年代インドに”緑の革命”として持ち込まれた高生産種は、伝統種と異なり大量の化学肥料、潅漑用水を要求した。当初は生産は増大したが、次第にインドの豊かな土壌を破壊し生産は低下、農民を却って貧困に追いやった。V. Shivaは今年日本でも講演したが、その話は精力的で説得力があった。彼女の肉声は、例えばBBC Online Network:REITH 2000などで聞ける(http://news.bbc.co.uk/olmedia/cta/events2000/reith/shivav.ram

2003-12-7

”低く垂れたリンゴはもう取り尽くした”:Nature誌-Hydrocarbon reservoirs
"low-hanging apples have long since been plucked"
Hydrocarbon and the evolution of human culture他の7論文集
Nature v.428 20 Nov, 2003

著名なNature誌に、石油資源をリンゴに喩えてその原理的な有限性が紹介された。”低く垂れ下がったリンゴはもう取り尽くされた”、これからはコストのかかる極地、大水深、非在来型などであると述べた。上記の最初の論文にはエネルギー源の質についての指標、EROI(Energy Returned On Energy Invested)、ネットエネルギーの大切さ、マネー・コストでエネルギー源を論じられないこと、Hubbertの石油ピークの意味などが紹介されている。地球は有限であること、改めて認識したい。

2003-11-21

自然資本主義:Natural Capitalism
Creating The Next Industrial Revolution
Paul Hawken, Amory Lovins and L. Hunter Lovins

自然系の一部の人類だが、その活動には自然を利用する。だがこれに人間は何も支払わない。これが環境、資源問題の原点と主張する環境書である。マネー資本主義に対する言葉と言え、現代社会と自然の関係を洞察する環境の名著であり、トヨタ自動車の看板方式の創始者、大野耐一が繰り返し引用されている。[Just in Time],「必要なものを、必要なとき、必要な量しか作らない」、「無駄」を徹底排除する考えがこれからの社会の指針と紹介されている。本書で「無駄」は「Muda」とある。

2003-11-9

懐疑的な環境論者:the skeptical environmentalist
Measuring the Real State of the World
Bjorn Lomborg:2001,Cambridge Univ. Press

元々はデンマーク語、1998年に出版された書の英語版。この題からも分かるが、環境問題で科学的知見が屡々偏って利用されている、との主張の書である。かって自らがGreenpeaceのメンバーの一人であった。その経験から、環境派の危機の誇張を論じており、幾つかの点で共感を覚えるが、範囲が広いだけに問題によってはむしろ著者の理解の浅さを感じる。その例がエネルギー問題で、著者はNet Energyを環境派と同様に理解していない。読者は結局「自分で考えるしかない」ようである。

2003-11-2

[失敗の本質」:宇宙に消えた1400億円
「みどり」2機回復不能
(朝日新聞11月1日)

防衛庁の研究者による書「失敗の本質」(1984年、杉之尾他、ダイアモンド社)によると、「旧日本軍最大の失敗」は「失敗から何も学ばなかった」こと、当時の日本軍は作戦失敗の責任すら追求しなかったという。それから半世紀、地球観測用の大型衛星「みどり」は1997年1号の失敗に引き続き、本年同じ電気系統故障で再び運用停止となった。高価な地球観測システムは、全て無駄となった。国立環境研究所のオゾン層観測失敗はこれで2度目、1回目は私が所長の時である。

2003-10-25

無言の乗っ取り:The Silent Takeover

Global Capitalism and The Death of Democracy

Noreena Hertz (Center for International Business at the University of Cambridge):2001,The Free Press, NY

世界から100の経済を選ぶとすれば51が巨大企業、49が国家となるという。巨大企業の世界支配、権力構造を追求する新進気鋭の英国女性による247ページの書である。一般市民、第3世界の弱者の立場から、既に民主主義は死んだとの認識に立つ。かって世界銀行に勤務し、中東和平にも活躍したなどの国際経験を持つ新しいタイプのsocio-economist、グローバリゼーションの本質を考えさせられる。日本語訳もある由。

2003-10-19

グローバリゼーションは正義ではない:Globalization and its Discontents

Joseph E. Stiglitz: 2002 W.W. Norton & Company

2001年ノーベル経済学賞の受賞者による、痛烈なグローバリゼーション批判である。世界銀行、IMF,WTOなどの国際組織への内部告発書と言ってよい。WTO等などに対する最近の第3世界の反撃の背景には、新しい欧米支配への反発、自らの生存を賭けた一般農民の意思があるのである。かってクリントン政権の中枢におり、世界銀行のチーフエコノミストであったStiglitzのものだけに、国際派を自認する日本人は必読である。

 2003-10-12

パーティーは終わった:Party is Over

"Party's Over"
by Richard Heinberg (New College of California in Santa Rosa): 2003, New Society Publication,

20世紀の石油依存の人類の宴は終わった、と言う意味で、最近アメリカで読まれている書にある。石油に勝るエネルギー源、材料資源はないという主張であり、当然工業化社会の減速が必要と説く。Oil peak、石油生産がピークを打つ、人類はいま重要な転機に立っているということ。これはいわゆる資源枯渇でない。

inserted by FC2 system