東京大学名誉教授
もったいない学会会長
石井吉徳
(1)「石油ピーク」を理解し、合理的な農業政策を
「石油ピーク」は「農業ピーク」である、先ずこれを理解することである
。いま有限地球で人類の生存基盤がとみに劣化しており、特にエネルギー、水、食料などが懸念される。人類問題、課題は地球温暖化だけではないのである。
日本は温暖な気候に恵まれ水は大丈夫だが、エネルギー、石油のほぼ全量を輸入する。その石油の生産が世界的に需要に追いつかなくなりつつあり、頼りの新規油田の年間発見量は生産の5分の一程度でしかない。そして石油生産量はいまピークを迎えているが、これは「文明ピーク」と言ってもよい。
農業も石油が支える。これを念頭にバイオマス利用を考えないと、国家の計を誤ることになろう。
現代農業を支える肥料、農薬などは石油、天然ガスから合成され、農耕機械も石油で動くからで、日本は食料自給率はカロリーベースで40%しかない先進国の中でも脆弱な国である。
更に農業従事者の半数は65歳以上と高齢で、欧米が45歳以下であるのと対照的で、これも今までの経済至上主義、効率優先思考の所産と思われる。
いま日本では「地球が危ない」が流行だが、危ないのは人間、特に日本が危ない。水田が油田に、などと報道されるがこれも危険なことである(朝日新聞06年11月10日)。バイオはカーボンニュートラルであるなどと、単純に考えてよいのだろうか。
日本では石油連盟、エネルギー専門家などはオイルサンド、オイルシェールが膨大にある、石油は大丈夫と「石油ピーク」論を無視し、NHKはメタンハイドレートが日本近海に膨大であるなどと、楽観論を繰り返す 。
そして人間より、車の燃料の方が大事であるがごとき風潮となる。米からエタノール、菜種から車燃料、水素社会などは多くの場合、税を支出させるキャンペーンである。事実見込みのない計画に今まで多額の投入がなされた。これからは科学的合理性に立ち、エネルギーは食料問題と考え地方分散型の食の安全、安心を考える必要がある。
ここで、資源とは濃縮されているものと理解することが先ず大事である。とくにエネルギー資源においては質が全て、といってもよいが、日本のエリートはそれを知らない、これも理科教育の欠陥というべきである。物理的には熱力学の第二法則、エントロピーの法則を理解することで、資源についてそれを要約するなら、1)濃縮されている、2)大量にある、3)経済的な位置にあるもの、それが資源なのである。自然の恵みには、そのような意味がある。
エネルギーについて定量的に表現するには、EPR(Energy Profit Ratio)、エネルギー利益比、つまりエネルギーを得るに必要な入力エネルギーと、それから得られる出力エネルギーの比が合理的である。当然1.0以上でなければ意味はないが、これはバイオも含めたあらゆるエネルギーについて言える 。
もう一つ重要なのは、短期、長期のいずれで考えているかである。例えば今は余っている米からエタノールを作るのは、現在の荒れた水田の維持のための短期的便法というべきで、長期的な国家戦略でないと、肝に銘じておく必要がある。さもないと米からエタノールは国家百年の計を誤るであろう。
何故なら、これからの21世紀の国家の根本理念は「地球は有限、人は無駄、浪費をしない」となるからである。つまり「脱浪費」であり、そのモットーは「もったいない」で、人は食料が無ければ死ぬが車がなくても死なない、これは当たり前だが、今の日本に必要なのはこの「当たり前」のようである。
石油が途絶えたときの社会を知るよい例がある。ソ連崩壊後の北朝鮮とキューバだが、周知のごとく北朝鮮は飢餓状態となったが、キューバは徹底した自然との共存を目指して飢えなかった。これはキューバ第二の革命とも言われており、贅沢は出来ないが食は確保され治安も良いという。
「石油ピーク」の理解は難しいが、「地球が有限」ならわかるのではないか、永遠の浪費もあり得ない。そして自然と共存する社会とは分散型であるのも理解されよう。それは都市への集中は、大量のエネルギー集中があってはじめて成り立つものだからである。
つまり石油減耗時代への備えとは、地産地消、地方分散への意識改革なのである。その中心課題が農業であり、食の安全、安心となる。
今では日本の米作は肥料を必要量の5倍も使用するというが、このマネー優先の農政のもと、今では生鮮野菜ですら近隣諸国から買う、それも激甚の公害、水質汚染地域からである。これでよいのだろうか。
(2)農業は食物を作る人間の営み
農業とは光合成を利用し食料をつくる人の基本的な営みである。ゆえに太陽が原点だが、いまの農業はそうではない。食糧エネルギーの10倍もの石油エネルギーを投入され、その後食料が食品となり消費者に届くまで加工、化学物質の添加、過剰包装、運搬など膨大なエネルギーが投入されている。
だが消費者が払う末端価格から農業従事者に渡るのは、せいぜい1〜2割程度でしかなく、しかも価格は流通過程が支配する。これでは農業に若者が見向きもしなくなるのは当然である。
石油ピークはこの無駄、浪費構造の見直しを迫っている。これから政策は単なる農業支援でなく、日本の安全、安心を構想するときに来ている。人の生存基盤は食料であって車ではない。
だがいまは日本、世界でマネー、換金農業が優先されており、土壌からの搾取が進む。V.シヴァが訴えるようにインドに持ち込まれた遺伝子組み換え、奇跡の種は、収穫された穀物が種とならないのだが、これでは農民は永久に国際資本、自国のエリートに利用されてしまう。
いま日本の水田でトンビが飛ばないこと、ご存知だろうか。石油漬け農業が自然を壊滅させたからである。石油ピークはこの自然崩壊型の文明を変える、切っ掛けとなるかもしれない。車のためのバイオもこの視点で考えたいものである。
日本工学アカデミー・科学技術連合フォーラムは、次のように分析している 。
米国は2005年8月成立した包括エネルギー法でガソリン添加のエタノールを、現在の倍近く年間75億ガロン(1ガロン3.785?)まで引き上げるとしている。エタノール10%混入のガソリンが全米に流通することとなる。生産者はトウモロコシに向かい、投資家も世界中の農業適地を買い漁り始めたという。
世界のエタノール生産は107億7,000万ガロン(2004年米業界資料)、ブラジルが39億8,900万ガロン、米国35億3,500万ガロン、そして中国は9億6,400万ガロン、インドが4億6,200万ガロン、そしてフランスは2億1,900万ガロンなどである。
これを原料、ガソリン混合率、政府の支援などで見ると、米国がトウモロコシ10%、混合ガソリンの税控除、小規模製造者への助成、ブラジルがサトウキビで20〜25%の義務付け、対応車への税の軽減、フランスはテンサイ6〜7%、混合ガソリンへの課税軽減し、小麦についての助成、などとなる。
だが問題も多い。エタノールは水分を含みやすく、石油用パイプラインは錆付く恐れがあり、輸送には使えず陸送するしかなく生産地から製油所までの輸送コストと時間はばかにならない。
熱量も、ガソリン1リットルに対してエタノールは1.7リットル必要で米国のエネルギー需要を解決するものにはならない。夏のドライブシーズンが過ぎれば、ガソリン需要が減って原油価格も下がり、エタノール市場は打撃を受けると警告する向きも多い。
だが営利を目的とする企業的視点では、穀物とガソリン需要は簡単に衰えないが、エタノールの生産は多くのエネルギーを消費する。石油エネルギー漬け農業による穀物からエタノールを燃料とするのは、化石燃料を消費するのと変わり無いからである。
米国のトウモロコシ畑への肥料需要増は農業に波及しており、砂糖の国際相場も上昇させている。最大の産地ブラジルでは多くのサトウキビがエタノール工場に出荷され、粗糖生産が減った。
菜種はオーストラリアとカナダが主供給国だが、オーストラリアの旱魃でカナダへ依存が集中し高値となった。これは食用油と自動車燃料との争奪戦である。
コメは大量生産、集積が容易、生産コストが安い地産地消が好ましいが、液体燃料となると特殊な条件でしか成り立たないと見られる。コメ作りのコスト、国際競争力の差が大きく影響しよう、日本の水田が油田に、などと考えてはならない。
そこで世界の趨勢は、ブラジル、インドはサトウキビ、米国、中国はトウモロコシ、フランスは小麦、ビートをアルコール生産の主原料となる。
そしてサトウキビからの粗糖価格は、24年半ぶりの高値圏となった。穀物の価格動向パターンも変わった。トウモロコシ、大豆など主要穀物が値下がりしても、エタノールは上昇するが、これはNY原油先物の動きに似ている。
米コーネル大学、デヴィッド・ピメンテル教授はトウモロコシの場合、米国でのエタノール生産・精製に費やすエネルギーは、エタノールが生み出すエネルギーを29%上回るという。そして石油漬け農業穀物からでなく木材・草木、それも廃棄されるものからエタノール生産する技術がこれからの目標となると述べている。
しかし木質系の廃木材の活用は廃棄物処理、森林保護、環境保全と合わせ、コスト低減、量の確保、地域偏在がなく好ましいとは言えるが、土壌の崩壊という悪材料があることを忘れてはならない。人と車の農産物をめぐる奇妙な争奪戦は、食料の高値維持が定着し生活者へのインフレ圧力化をもたらすであろう。
(3)お米を車に食べさせては「もったいない、罰が当たる」
農業、地方の活性化のため、米からエタノールをという意見があるが、記述のように問題は多い。その原点には、人間が車と食べ物を奪い合うのは「恐れ多い」、「もったいない」との素朴な疑問がある。
著名な環境学者であるレスター・ブラウンも(Earth Policy News, Nov3, 06)車燃料向けの穀物が世界の食料を脅かす、世界の穀物貯蔵量は最低レベルなのに3日に一つの早さでエタノールプラントがアメリカで出来つつある、などと警告している。
「石油ピーク」はそこまで来ている 。しかし、そのピークはなだらかなので、時期は定かではない。だがピーク後、石油生産は年率2〜3%程度で減退する、さらに4〜5%という向きすらある。そのとき世界の食料はどうなるのか。
アメリカは世界最大のコーン輸出国、一方日本は最大の輸入国である。コーンは家畜、鶏などの餌であるから、冷蔵庫は間接的にコーンからの食料で占められているが、アメリカのコーンが内需に向かうとき日本の食はどうなるのか、いまから本気で考えておく必要がある。
地方の活性化は、このような視点で考えるべき、むしろ石油ピークを地方分散への契機とすべきではないか。これが私の年来の主張である。自給率40%の食料を、車に食べさせるのは「もったいない、罰が当たる」ことで、原理原則的には車社会を見直すことである、石油ピークを脱大量生産型社会の契機とする、脱浪費を地方のチャンスと思うのである。
だがそれが難しいのである。不況といわれた1990年代、日本社会は石油ピークも知らず、時代遅れとも言うべきケインズ理論で景気浮揚を図ったのである。そのつけが国、地方自治体の1,000兆円に上る借財であった。
石油ピークに備えずに、道路、橋、箱モノ工事を執拗に求めたが、潤ったのは土建業のみ、これは後世に残る時代錯誤だったのだが、今度は食料を車に食べさせようとしている。
経済は成長させねばならない、GDPの指数関数的成長が現在の常識のようだが、これは非持続的、社会崩壊への道筋ではないか。疑問は尽きない。
いわゆるアメリカ主導のトリクル・ダウン経済は幻想に過ぎなかったと、過去半世紀の歴史が証明している。これからの持続可能な文明とは、足るを知ることではなかろうか。
(4)「もったいない」を生存の理念として
「脱浪費」で「心の豊かさ」を重んじる社会をめざしたい。その路線に地産地消、地域コミュニティーがあると私は考えている。
海外から水質汚染、公害物質にまみれた生鮮食料品などを輸入し未来を担う子供に食べさせない、それには地方の農業を大切にすることである。消費者がそれに目覚めれば、国際的な政治問題とせずに解決できる。
そして「もったいない」だが、それは生活水準の低下でない。耐乏生活でもない。何故なら、無駄とは要らないという意味だからである。その思想の枠組みでバイオ、エタノールを考えることである。さもないと国民の支持が得られそうにない。
食べ物でなく残渣物、間伐材などを使うのは検討に値する。だがここでも忘れてはならないことがある。有機物を土に戻すことは、豊かな土壌の維持に不可欠だからである。バイオ技術はこのような自然と共存の思想が欠かせない。
最後に日本の人口・エネルギー史からエネルギーを考えよう。翻って、日本の人口が1億人となったのは1970年ころである。当時エネルギー消費量は今の半分程度だったが、日本人はべつに飢えてはおらず、むしろ食料自給率は60%ほどと高かった。そして人の心はそれなりに豊かで、都市集中も今ほどではなかった。
これから重要な結論が導かれる。浪費しなければ今の半分のエネルギーで生存できるという期待である。
その後の急速なアメリカ化、競争原理の導入は社会の連帯意識を喪失させ、いつも不安な社会を招いたようである。凶悪犯罪も増える一方、日本は何かを間違ったようである。
私は小泉政権発足当時から、「石油ピークは農業ピークそして文明ピーク」と繰り返してきた。今年8月には「もったいない学会」も創った 。いまでは社会も理解するようになった。ここで紙数が尽きた、不足は下記を参照されたい。
参考
1)石油最終争奪戦−世界を震撼させる「ピークオイル」の真実:2006-7日刊工業新聞社
2)http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/index.html 私のHP
3)http://www.mottainaisociety.org/index.html もったいない学会HP
4)http://www.eaj.or.jp/whatseaj/bukai-member.html 日本工学アカデミー・科学技術戦略フォーラム
5)http://www.eaj.or.jp/whatseaj/uchidareport.html 同上、内田レポート
以上