2004-1-15 

Poverty & Globalisation
Dr Vandana Shiva

BBC REITH Lecture 2000 on Sustainable Development
The Nehru Museum, Delhi India

Founder Director of the Research Foundation for Science, Technology and Ecology, New Delhi. Trained as a physicist. Adviser to governments in India and abroad. Member of NGOs such as the International Forum on Globalisation, Women's Environment and Development Organisation and Third World Network. Founder of Navdanya, national movement promoting diversity and use of native seeds. Attended the World Trade Organisation summit in Seattle, 1999. Author of Biopiracy (South End Press, USA, 1997).


貧困とグローバル化
ヴァンダナ・シヴァ
訳:志満 直実
http://news.bbc.co.uk/olmedia/cta/events2000/reith/shivav.ram


最近、農民の自殺が流行しているため、私はパンジャブのバティンダをこの間訪ねました。パンジャブはかつてはインドで最も成功した農業地帯でした。今日、農民の全員が負債と絶望に悩まされています。広大な土地は浸水した砂漠になりました。また、高齢の農民が指摘するように、殺虫剤の頻繁な使用が授粉者である蜂や蝶を殺してしまったため、木さえも実を結ぶことをやめてしまいました。

そして、パンジャブだけがこの生態学的、社会的な災害を経験しているのではありません。昨年私は、やはり農民が自殺をしていたワランガル、アンドラ・プラデシュにいました。伝統的に食用の豆類や雑穀、稲を育てていた農民は、種子商人が「ホワイトゴールド」と呼び、農民を億万長者にしてくれるはずのハイブリッドの綿の種子を買うよう、種子会社に誘惑されました。しかし、代わりに彼らは貧民になりました。

従来の種子は、保存がきかず毎年高いコストで購入しなければならない新しいハイブリッド種に替わりました。ハイブリッドは害虫の攻撃に非常に弱いものです。ワランガルでの殺虫剤の支出は、1980年代の250万ドルから1997年の5000万ドルへと、2000パーセント急増しました。現在農民は、支払えない負債から永久に逃れることができるようにと、同じ殺虫剤を自殺に使っています。

企業は現在、コストと生態学的リスクが更に増大する、遺伝子組み替えの種子を導入しようとしています。そのため、アンドラ・プラデシュ農業組合のマラ・レディーなどの農民が、ワランガルでモンサント社の遺伝子組み替えのボールガード綿を根絶しました。
3月27日には、自分の2エーカーの農地に深い掘り抜き井戸を掘った時の借金が返済できなかったため、25歳のベタヴァティ・ラタンが自らの命を絶ちました。5000万人以上が渇水にあっているグジャラートやラジャスタンの井戸もそうであるように、今その井戸は乾燥しています。

干ばつは「自然災害」ではありません。人がつくるものです。それは、地域のニーズのための水をあまり必要としない食用作物のかわりに、水を必要とする輸出用換金作物を育てるために、乾燥地帯で不足する地下水を採掘した結果です。

このような経験は、新しい世界経済に対して己惚れるのは大変に間違っていると私に教えてくれます。このレクチャーの中で、グローバル化が一般の人々の生活に与えるインパクトについて、立ち止まって考える時であると私は唱えます。これは維持能力を達成するのに重大です。

昨年のシアトルと世界貿易機関の抗議は、再び考えることを皆に強いました。このレクチャーシリーズを通じ、人々はグローバル化を当然のこととして、維持可能な開発の様々な面について言及してきました。私にとっては、私たちが何を行っているか、今が根本的に再評価する時です。グローバル化の名のもとに私たちが貧困層に行っていることは、残忍で許されません。次々と明らかになるグローバル化の惨事を目撃している今、これは特にインドで、とりわけ食物と農業で明らかです。 

誰が世界を養うか?私の答えは、多くの人の答えとは非常に異なっています。 

それは女性と小規模農家です。彼らは第三世界における主要な食料供給者であり、生物多様性と取り組んでいます。支配的な前提に反して、それらの生物多様性に基づいた小規模農家は、産業的単一栽培より生産的です。 

食料生産の豊富な多様性や持続可能なシステムは、食料生産の増加という名のもとに破壊されています。しかし、多様性の破壊で、豊富な栄養源が消えてしまいます。1エーカー当たりの栄養量を計った場合、生物多様性の観点から見た場合には、産業農業や産業漁業のいわゆる「高収穫高」は、食物や栄養をより多く生産していることを意味しません。

収穫高(Yield)は通常、単一の作物の単位面積あたりの生産を意味します。生産高(Output)は、種々の作物や生産物の生産の合計を意味します。単一栽培として全体に単に1つの作物を植えれば、もちろんその個々の収穫高は増加するでしょう。様々な作物を混ぜて植えればそれぞれの収穫高は減りますが、合計の生産高はとても高くなります。収穫高は、小規模農場での小規模農家の食物生産を消滅させるように定義されています。これは、自分の段々畑で今日もbarnyard millet(イヌビエ)、Amaranth(アマランサス)、Pigeon Pea(キマメ)、Black gram(ヒヨコマメ)、horse gram, Glycine Max(大豆)、Glycine Soya、−畑の無限な多様性−を栽培し、チプコ運動への加担に反対して戦った私の故郷のヒマラヤの農家のような、第三世界での多くの女性による栽培を隠滅させるものです。生物多様性の観点からは、生物多様性に基づいた生産力は、単一栽培の生産力より高くなります。私はこれを、多様性の高生産に対する無分別、私たちの畑や世界に単一栽培をもたらす「心の単一栽培(単一文化)」と呼んでいます。

メキシコのチアパスのマヤの農夫たちは、1エーカー当たりトウモロコシをたった2トンしか生産しないので、非生産的として特徴づけられています。しかし、マメやカボチャ類、野菜や果樹などの多様性を計算に入れると、総生産高は1エーカーあたり20トンになります。 

ジャワでは、小規模農家は家庭菜園で607種を栽培しています。サハラ以南のアフリカでは、女性が120種類の異なった植物を栽培しています。タイのある家庭菜園には230種、アフリカの家庭菜園には60種以上の木があります。

コンゴの田舎の家族は、農場の50種を超える木から、葉を食べます。 

東ナイジェリアの研究で、1世帯の農地のたった2パーセントしか占めない家庭菜園が、その農場の総生産の半分になることが分かりました。インドネシアでは、家計収入の20パーセント、国内の食物供給の40パーセントが、女性が管理する家庭菜園からです。 

FAO(国連食糧農業機関)によって行われた研究でも、小規模の生物多様性のある農家の方が、大規模で産業的な単一栽培よりも何千倍も多くの食物を生産できることが明らかになりました。
また、より多くの食物を供給することに加えて、多様性は干ばつと砂漠化を防ぐための最良の戦略です。 

増え続ける人口に持続的に供給するために世界が必要としているのは生物多様性の強化であり、化学物質の激化や遺伝子工学の激化ではありません。女性や小規模農家が生物多様性を通じて世界に供給している一方、遺伝子工学や農業のグローバル化なしでは世界が飢えるだろうと、私たちは繰り返し言われてきました。遺伝子工学で多くの食物が生産されず、実際にはしばしば収穫減少につながることを示すすべての経験的な証拠にもかかわらず、空腹の者に供給するために利用可能な唯一の代案として、常に推進されています。

だから私は、誰が世界を養うかと訊いているのです。 

多様性へのこの意図的な盲目、自然の生産、女性による生産、第三世界の農家による生産への盲目が、破壊と、創造かのごとく計画された横領を許しています。

盲目の治療法として、非常に軽蔑された「金色の米」遺伝子操作されたビタミンA米の例を取りましょう。遺伝子工学なしには、私たちがビタミンA欠乏を排除することができないと仮定されています。しかし、自然は私たちに豊富で多様なビタミンA源を与えてくれています。もし精米がなされていなければ、米自身がビタミンAを提供してくれます。もし除草剤が私たちの小麦畑に噴霧されていなければ、ビタミンAを提供してくれる美味しくて栄養豊かな緑黄色野菜として、私たちにはブタクサ、アマランサス、からし菜があるでしょう。

ベンガルの女性は、緑黄色野菜として160種以上の植物を使います。少数を挙げるだけでも、Enhydra fluctans, Spinacea oleracea, Rumex vesicarious, Amaranthus gangeticus があります。

しかし創造の神話は、自然の多様な贈り物や、この多様性を用いて子供や家族にいかに食べさせるかという女性の知識を否定し、ビタミンAの創造者としてバイオテクノロジストを示します。

自然、地方経済、小規模自律生産者に破壊を与える最も効率的な手段は、その生産を目に見えなくすることです。 

家族やコミュニティーのために生産する女性は「非生産的」「経済的に不活発」として扱われます。女性の仕事、維持可能な経済の中でなされた仕事の価値を下げることは、資本主義的家父長制によって構築されたシステムの自然な結果です。このようにして、グローバル化は地方の経済を破壊し、破壊自体が成長として計算されます。

また、女性自身の価値が下げられます。田舎や先住のコミュニティーの女性の多くは、自然の過程と共に効果的に仕事をするので、多くの場合それらの仕事は、支配市場に動かされる「開発」や貿易政策に矛盾しています。また、ニーズを満たし、維持を保証する仕事の価値が一般的に下げられているので、生命と生命を維持するシステムがあまり育まれないことになります。

維持可能で再生可能な生産の価値切り下げや不可視性は、食物の分野において最も著しいものです。家父長的な労働の区分が家族やコミュニティーを扶養する役割を女性に割り当てている一方で、家父長的な経済や科学の家父長的な見方は、食物を提供するという女性の仕事を摩訶不思議にも消してしまいます。「世界を養う」ことは、現実にそれを行う女性から分離されるようになり、グローバルアグリビジネス(地球規模の農業関連産業)やバイオテクノロジー企業に依存するように計画されています。 

しかし、食物における産業化や遺伝子工学の使用、また農業貿易のグローバル化は、貧困層の扶養のためではなく、飢えを作るためのレシピです。 

いたるところで、農民は産業生産のための高価な資材を買うために、産物の代価として自らが受け取る金額より多くを出費しており、食料生産は負の経済になっています。その結果は、貧しい国でも豊かな国でも起こる、上昇し続ける負債と自殺の流行です。

経済のグローバル化は種子産業の集中化、殺虫剤の使用の増加、最終的には負債の増加に繋がっています。資本集約的で企業にコントロールされた農業は、今まで農民が貧しいながらも食物を自給自足していた地方へ広がっています。グローバル化によって産業農業が導入された地方では、より高いコストが小規模農家の生き残りを事実上不可能にしています。

維持可能でない産業農業のグローバル化は、通貨の切下げ、生産原価の増加、商品価格の下落の組み合わせによって、第三世界農民の収入を文字通り蒸発させています。どこの農家でも、10年前に同じ商品の代価として受け取った金額の、ほんの一部しか現在支払われていません。アメリカでは、小麦の価格が5.75ドルから2.43ドルまで落ち、大豆の価格は8.40ドルから4.20ドルまで下落し、トウモロコシの価格は1ブッシェル当たり4.40ドルから1.70ドルまで下落しました。インドでは、コーヒーの価格が1キログラム当たり60ルピーから18ルピーに暴落し、油種子の価格は去年1年に30パーセント以上下落しました。しかし、カナダの全国農民組合は上院へ報告書の中でこのようにそれを報告しました。

「小麦、オートミール、トウモロコシなどの穀物を育てる農民の収益が負で、破産に追いやられている一方で、朝食シリアルを作る会社は巨大な利益を得ています。1998年には、ケロッグ社、クエーカー・オーツ社、ジェネラル・ミルズ社のシリアル会社はそれぞれ、56%、165%、222%の株式配当を得ました。1ブッシェル当たりのトウモロコシが4ドル未満で売られた一方、1ブッシェル当たりのコーン・フレークは133ドルで売られました。1998年には、穀物の会社は農家の186倍から740倍の収益を得ました。恐らく、他があまりに収益を得ているので、農民にはほとんど収益がないのでしょう。」 

また、世界銀行の報告書はさらに、「国内の消費者価格や世界相場の極性化の背後に、国際的な商品市場における大貿易商社の存在がある」と認めました。

農家の収入が減る一方で、消費者はより多く払うことになります。インドでは、食料品価格が1999年と2000年の間に2倍になりました。地方での穀物の消費は12%落ちました。グローバル通商による経済成長の増加は、現実には偽りの過剰に基づいています。貧困層の消費が減少している中で、より多くの食物が取引されています。成長が貧困を増加させる時、実際の生産が負の経済になり、投機者が「富の創造者」として定義される時、富や富の創造の概念や分類がどこかおかしくなっています。自然と人々による実際の生産を負の経済に押しやることは、実際の物品やサービスの生産が減り、即時に富を築くドットコムへの道を進んでいない何百万の人をより深い貧困へと押しやっていることを暗示しています。

既に話した通り、女性は世界の主要な食料生産者であり、食品加工者です。しかし、生産と加工での彼女らの仕事は今、目に見えなくなっています。

最近、マッキンジー社が書いた報告書には「アメリカの大手食品会社は、インドのアグロビジネス、特に食品加工には成長の余地があることを認識しています。アメリカの70パーセントと比較すると、インドは極小の1パーセントしか栽培する食物を加工していません。」と書かれています。 

私たちインド人は食べ物を生で食べているわけではありません。グローバルアグリビジネスによってコントロールされていないため、家庭レベルで女性が、あるいは小規模家内工業が99パーセントの食品加工を行っていることに、世界のコンサルタントは気付いていません。インドの農産物加工の99%は、意図的に小規模に保たれてきました。今、グローバル化の圧力の下で、事態は変わわりつつあります。地方経済や小規模加工を閉鎖するために、偽りの衛生法が使われています。

1998年8月には、入れ物に入っていない油の販売を不法にし、全ての油をプラスチックやアルミニウムに入れることを要求した「パッケージング命令」により、地方での小規模な食用油の処理がインドで禁止されました。これは小さな“ghanis”常温圧搾所を閉鎖しました。それは、からし、アマニ、ごま、落花生類、ココナッツといった私たちの多様な油種子の市場を破壊しました。 

また、食用油業界の吸収は、加工や食糧生産をしている1000万世帯に影響を及ぼしました。小麦粉や「アタ粉」のパッケージ入りブランド品の小麦粉による吸収は、さらに1億の生計を犠牲にします。そしてこれら何百万もの人々が新たに貧困に追いやられています。パッケージの強制的な使用は、何百万トンものごみという環境上の負担を増やすでしょう。

食物システムのグローバル化は、地域の食物文化や地方の食物経済の多様性や維持能力を破壊しています。新鮮な地域のハンドメイドのものを全て健康上有害なものとして定義することにより、世界の単一栽培が人々に強要されています。グローバル企業から買った機械や化学薬品と取って替えるために、人間の手は最悪の汚染物質として定義されており、人の手を使った仕事は禁止されています。これらは世界を養うためのレシピではなく、強者のための市場を作るための貧困層からの生計の略奪です。

人々は寄生動物として認識され、その結果世界経済の「健康」の名のもとに根絶されます。

その過程で、遺伝子組み替え食品や他の危険な製品のダンピングによって、健康や生態学的に危険な新しい物質が、第三世界の人々に押し付けられています。

最近、WTOの裁定により、インドはすべての輸入品に対する制限を無くすことを強いられました。 

無制限の輸入品の中には、私たちの文化に脅威を与え、狂牛病のように公衆を危険に直面させるような、死骸や家畜の廃棄部分があります。

アメリカ、アトランタの疾病予防センターは、食物による感染症がアメリカで毎年8100万ケース近く生じると推定しました。食中毒による死は、規制緩和により4倍以上増加しました。これらの伝染病のほとんどは、工場で加工された肉によって引き起こされています。米国は毎年9300万匹のブタ、3700万頭の牛、200万頭の仔牛、600万頭の馬やヤギ、羊、そして80億羽の鶏や七面鳥を屠殺します。

現在米国の巨大肉産業は、乱暴で残酷な方法により生産されて汚染された肉を、インドの消費者に押し付けようとしています。 

金持ちの廃棄物が貧困層に押し付けられています。貧困層の富は、生物多様性や固有の知識で特許を取るといったような、新しく小賢しい手段によって暴力的に横領されています。

特許と知的所有権は斬新な発明のために与えられるはずのものです。しかし、私の故郷を有名にしたバスマティのような米の種類、あるいは、私たちの母や祖母が使用していたインドセンダンに由来した殺虫剤に対して、特許が主張されています。 

アメリカに本拠地を置くライステック社は、バスマティ米の製品群と種子に対し、5,663,484番の特許を与えられました。

バスマティ、インドセンダン、胡椒、ニガウリ、ウコンなど、私たち固有の食品や医薬システムに統合された革新のあらゆる面が略奪され、特許が取られています。貧困層の知識はグローバル企業の特許に変えられ、自分達の栄養やヘルスケアのニーズに合わせて進化させて使ってきた種子や医薬品を、貧困層がお金を払って買わなければならなくなる状況を作りだしています。 

生物体や固有の知識に対して特許を取ることを許す制度を導入することを国々に強いる、世界貿易機関の知的所有権の貿易関連の側面に 関する協定により、創造に対するそのような虚偽の主張は、現在世界の標準になっています。 

自然や他の文化の貢献の上に商業的関心があることを認識する代わりに、世界の法律は、ちょうど植民地主義が発見の神話を他人の土地を取り上げるための基盤として利用したように、生物体への新しい財産権を作るために、家父長的な創造の神話を奉ってきました。
生命を操作している時、人間はそれを創造しているわけではありません。ライステック社の「斬新な米の製品群の即時の発明」という主張、あるいはロスリン研究所のイアン・ウィルマットがドリーを「創り出した」という主張は、自然の創造性、生物体の自己構成能力や第三世界のコミュニティーが既に取り入れているものを否定するものです。

特許や知的所有権は、著作権侵害を防ぐはずのものです。代わりにそれらは、古来の常識を第三世界の貧困層から略奪し、それを西の科学者や企業の独占的「所有物」にする道具になっています。 

バスマティの例のように種子や植物に特許が与えられる時、窃盗が創造として定義され、種子の保存や共有が知的所有権の侵害として定義されます。綿、大豆、からしのように広範囲に作物の特許を持っている企業は、種子を保存したことで農民を訴えており、農民が種子を保存したか、隣人とそれを共有したかを探し出すために、探偵機関を雇っています。

モンサント社は米や他の作物の種に対する特許を絶対に取らないという約束をしてはいないので、モンサント社が無料でイネのゲノムを配布するという最近の発表は、誤解を招きやすいものです。 

共有と交換、私たちの人間性や生態学の生き残りの基礎は犯罪として再定義されました。これは私たち皆を貧しくします。 

自然は私たちに有り余るほど与えてくれています。生物多様性や農業、栄養についての女性固有の知識は、より少ないものからより多くを得、共有を通じて成長するために、その余剰の上に成り立っています。

貧困層は、自分達の物だった物にお金を払わされることにより、より深刻な貧困に陥れられています。その利益が窃盗や高圧と暴力の行使に基づいているので、お金持ちでさえもより貧しくなっています。これは富を作っているのではなく、略奪です。

維持能力には、全ての種と全ての人々の保護、そして平等なシステムや生態学的過程の維持の中で、多様な種や多様な人々が本質的な役割を果たすという認識が必要です。授粉者は植物の受粉と発生に不可欠です。平野の生物多様性は、野菜、飼料、医薬品、水や風からの土地の侵食に対する保護を提供するものです。

人間が非維持能力への道をさらに進むにつれ、他の種に我慢ができなくなり、我々の生き残りにおける重大な役割が見えなくなります。

1992年に、インドの農民が大規模な種子の失敗のために、ベラリー、カルナタカのカーギルの種子工場を破壊した時、カーギル最高経営責任者は「私たちは、はちが花粉を強奪するのを防ぐ賢い技術を、インドの農民にもたらします」と述べました。私が国連の生物学的安全性に関する交渉に参加していた時、モンサント社は、「雑草が日射を盗む」のを予防するという目的で自社の耐性穀類除草剤のRoundupを守るため、冊子を配布しました。しかし、モンサント社が雑草と呼ぶものは緑の畑です。それはビタミンA米を提供し、子供の失明を予防し、女性の貧血を防ぎます。

授粉を「はちによる窃盗」として定義し、生物多様性が日光を「盗む」と主張する世界観は、それ自体が、花が咲き授粉された種をハイブリッド種や実のならない種子に取って替え、Roundupのような除草剤で生物多様な植物相を破壊することにより、自然の収穫を盗むことを目的とした世界観です。遺伝子組み替えのBtクロップ(訳注:昆虫に有害な物質、つまり殺虫剤、ここではBacillus thuringiensisというバクテリアが作物によって作られるように遺伝子操作された穀物のこと)がオオカバマダラにもたらした脅威は、新しいバイオテクノロジーによって作られた生態学的貧困の単に1例です。蝶やはちが消えるとともに、生産がむしばまれています。生物多様性が消えると共に、栄養源や食物源も消えています。 

巨大企業が小規模農家やはちを泥棒として見、貿易規則や新技術を通してそれを根絶する権利を求める時、人間は危険な境界に達しています。最も小さな昆虫、最も小さな植物、最も小規模な農家を撲滅する要請は、深い恐れ、生きていて自由であるもの全てに対する恐怖心から来ています。また、この深刻な不安定と恐怖心は、私たちが見ている全ての人や全ての種に対する暴力を解き放っているのです。 

世界の自由貿易経済は維持能力に対する脅威となり、副作用や例外としてではなく、最も基本的なレベルでの世界観の再構築を通じた体系的なやり方であり、貧困層やその他の種の生き残りそのものが危うくなっています。維持能力、共有、存続は、市場競争性や市場効率性の名のもとに、経済的に禁止されています。

私たちが惑星や人々を全体像の中に至急戻す必要があると、私は今夜ここで主張したいと思います。 

世界を作る全ての生物を養うことによってのみ、世界を養うことができます。 

他の生物や種に食物を与える中で、私たちは自分の食糧確保のための状態を維持しています。ミミズに食物を与える中で、私たちは自給しているのです。雌牛に食物を与える中で、私たちは土に供給し、また土に食物を供給する中で、私たちは人間に食物を供給しているのです。この余饒の世界観は、共有と地球ファミリーのメンバーとしての深い自覚に基づいています。他の生物を衰えさせる中で私達は自分を衰えさせ、他の生物を育む中で私達は自分を育んでいるのだというこの認識が、維持能力の本当の基盤です。

新しい千年紀での維持能力のチャレンジは、恐れと不足、単一栽培と独占、充当と追い立てに基づいた世界観から世界経済人が抜け出し、余饒と共有、多様性と権力分散、全ての生物に対する尊敬と尊厳に基づいた見方に移行できるかどうかです。

維持能力は、他の種や他の人々にスペースを残さない経済の罠から私たちが脱出することを要求しています。経済のグローバル化は、自然と貧困層への戦いになりました。しかし、グローバル化の規則は神から与えられたものではありません。それらは変えることができます。変えられなければなりません。私たちはこの戦いを終わらせなければなりません。

シアトル以来頻繁に使用されているフレーズは、規則を基盤としたシステムの必要性です。グローバル化は通商の規則であり、唯一の価値の出場所であるように、ウォール街を昇進させています。その結果、自然、文化、将来など高い価値があるはずのものの価値が下げられ、破壊されています。グローバル化の規則は、公正と維持能力、同情と共有規則をむしばんでいます。私たちは市場全体主義から地球民主主義に移行しなければなりません。

生物圏の規則に則って生きる場合にのみ、私たちは種として生き残ることができます。世界経済が維持能力と公正によって設定された範囲を尊重すれば、生物圏は皆のニーズのために十分です。 

ガンジーが私たちに思い出させたように、「地球は、皆のニーズのためには十分ですが、少数の人々の貪欲のためには不十分です。」.

以上

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