2003-8-17より

[国民のための科学技術]:求められる戦略意志(未定稿2003-12-28)

石井吉徳

「国民のための科学技術」:求められる戦略意志
(2004-1-30 福岡女子大学産学官技術交流会、基調講演要旨)

  日本工学アカデミー・環境フォーラム(代表 石井吉徳)は昨12月、小泉総理他日本の指導層に“豊かな石油時代が終わる」:Nature誌も警告“と題する問題提起をした。下記はその送付文の抜粋である。

  “石油はやはり有限でした。2010年より前に「石油の減耗:Oil Depletion」が顕在化する怖れがあります。これはいわゆる石油枯渇論とは異なり、石油生産量がピークを打つというものです。「石油ピーク:Oil Peak」です。その後、生産は緩やかに減退に向かうと見られます。昨年11月、英国の科学雑誌Natureまでが、石油と文明に関する特集を出すに至りました。石油は現代農業を支えています。人々は食料エネルギーで生きていると思っていますが、これは間違っており石油を食べているのです。石油は化学原材料でもあります。このように石油は現代社会の生き血なのです。更に、地球温暖化は本質的にエネルギー問題ですが、科学者は温暖化の前に石油が減退すると考えつつあります。http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/index.html“

これからも分かるように、21世紀には入り、人類はその生存の基盤が揺らぐ可能性があり、これからの世界の科学技術はこれを念頭におく必要がある。本論はそれを日本の立場から論ずるものである。

問題解決型の「国民のための科学技術」が必要
 2002年ヨハネスブルグサミットにてアナン国連事務総長は、WEHAB-Pが大切と述べた。人類の生存に必要なものは「水:Water、エネルギー:Energy、健康:Health、農業:Agriculture、生物多様性:Biodiversity」であり、そして「貧困;Poverty」の解決が人類の重要な課題である、科学技術、人類の知恵はこの為に使われるべきであると述べた。この視点に立つと、日本は水には恵まれているが、エネルギー基盤は極めて脆弱、もし石油の減耗が顕在化すれば日本社会は大変なことになる。それは単に石油がエネルギー問題だけに止まらないからである。日本の農業、食は最終の消費に至まで、徹底的な石油漬けだからである。このことは、ほんの10分間でよい、石油無しの社会を想像すればその意味が直ちに理解出来よう。すぐ危機が来ると言うのではない。しかし今から備えないと大変なことになると言っているのである。WEHABの視点は日本の視点でもある。総合的な目的指向の考えは、国家、社会にとって不可欠である。
 しかし日本はそのように考えない。科学技術の重要分野でも“IT、バイオ、ナノ、環境”などと分類する。ここで環境だけが目標だが、他は手段である。社会にとって手段は必要だが、それはあくまでも手段、喩えて言えばノコギリ、カンナのような道具のこと、それを作るための技術は勿論必要だが、道具を使って家をつくる大工の技術はそれと同等、あるいはそれ以上に重要である。なぜならこれは問題可決型の技術、知恵だからである。日本はこれに弱い。
  明治以来の欧米追従の輸出産業優先政策のためであろうが、今では日本中に物が溢れている。それらはいずれゴミとなる。しかし今は不況もっと消費を、と官民上げて消費が促進される。そして残ったもの、それは膨大な借金だが、未だに未来は見えず、国民の不安はつのるばかり、雇用も増えない。何処かおかしいのである。ここに石油減耗の影響が出たらひとたまりもなかろう。多くの国民は直感的に、現代の大量生産型の社会にはもう限界が来ていると考えている。欲しい物がないから国民は物を買わないのである。無駄な公共事業は、もう要らないから反対するのである。これからは「国民を幸せにする科学技術」とは何かを、真剣に考えるべきである。

工業化社会から情報化社会へ:国民は求めている「物より心の豊かさ」
  今までの大量に物を作る工業化社会から、知の創造を優先する社会へ脱皮する必要がある。今の「足るを知らない社会」では、強大なメディアを総動員して、日常的に欲求不満が増幅される。そして物余りの中で人間の心は益々貧しくなり、アメリカ主導のグローバリズムがそれを加速する。そして勝者が全てをとる市場至上主義は、アジアを始めとする途上国で、伝統的な民族の誇り、人々の絆、社会の連帯を破壊しつつある。これが自然破壊と連動する。それはマネーを至上市場主義に、人の心も自然も入らないからである。
  最近の政府の統計によれば、「物より心の豊かさ」をと願う人が、全体の60%に達している。この「物より心の意識交差」は20年も前から始まっている。この願いに指導者は答えなければならない。石油の減耗をきっかけとして、自然へ回帰する新しい科学技術を促進するのである。いわゆる3R:Reduce, Reuse, Recycleにおいて、最初の減量が最も大切であり、そのためには物より知恵へのパラダイムシフトが不可欠となる。また「目方のある物」であっても、それには知恵がびっしりと詰まっていなければならない。これは付加価値と言っても良い。これが21世紀の脱石油時代にふさわしい低エネルギー社会、自然とともに生きる新しい社会への道と言って良かろう。生態系におけるエネルギーと自然淘汰を研究した生物学者A.J.ロトカ(1880~1949)は、”エネルギーが豊富な時、高エネルギー種が栄えるが、エネルギーが乏しい時、低エネルギー種のみが生き残る”と言っている。

21世紀:日本そしてアジアの生きる道
  「量から質へ」の転換には、「自然の中で生きる、都市集中から分散へ、社会の価値観、理念の多様化」など、20世紀の効率化に邁進し、安く豊富な石油に最大限依存した工業化社会から、知恵を重視する物より価値を重視する新しい文明へ一大転換すべきである。欧米に比して、伝統的に自然と親しんできたアジア諸国、これからはグローバリゼーションにただ翻弄されるのではなく、その優れた点を先取りするつもりで、「アジアらしい知恵の社会」を創造するのである。情報化社会と言っても、情報機械を大量生産するのではなく、その価値を社会、市民の為に活用する知恵を磨くのである。


1. 国家の戦略と視点

1.1. 有限地球観:いずれ来る最後の石油争奪戦と日本の危機

1.2. 脱石油時代に備える国家の戦略的視点:不安定化するエネルギーの需給、価格

1.2.1. 21世紀、もう成長は正義ではない:求められる「量から質へ」の転換

1.2.2. 21世紀、もう持続型の発展ではない;日本の生存への戦略意志

1.3. 自然と共存するための条件:集中から分散、都市から地方へ

2. アジアの成長と日本の役割

2.1. 挫折した開発思想:中南米、アフリカ、インドなど、かっての欧米植民地での新たな搾取形態

2.1.1. 押しつけられた「過度の市場原理と拙速の民主主義」の誤謬

2.1.2. 拡大する格差と矛盾:国家間と国家内における不満の蓄積

2.2. アジアの「成長と限界」:遅れてきた途上国、石油供給不足がもたらす問題

2.3. 自然と共存:新しいアジア主義、「日本、中国、アメリカ」の三極

3. 構造改革すべき日本の「農と食」

3.1. 脱石油時代の自然への回帰:21世紀型の有機農法

3.2. 食生活の脱合成化学物質

3.3. 農業の構造改革:若者にも魅力ある、報われる農業

4. 「国民のための科学技術」とその構築

4.1. 必要な指導層の意識改革:明治以来の欧米追従からの決別

4.1.1. これで良いのか:”過度の”ノーベル賞崇拝、サイエンス・ネイチャー至上主義

4.2. 科学技術研究者、学者:国益、国民不在の研究目的と予算獲得

4.2.1. 硬直した政官学の仕組み:日本中に蔓延る予算獲得への既得権益

4.2.2. 自然科学と工学で進む国税の無駄遣い:新しい公共事業の形

4.3. 基礎と応用研究:大いなる誤謬

4.3.1. 手段の目的化:ノコギリとカンナの最終目的化

4.3.2. 余りにも矮小化したベンチャー・大学・政府の目的意識

5. 求められる首相直結の「最高科学技術戦略会議」など

5.1. 国民に役に立つ科学技術、学問:真の人材登用:国民のための司令塔の構築

5.2. 専門分野毎の深い洞察、それらを統合する目的志向、問題解決型型の戦略意志

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