2005年1月12日
改訂2005-9-12

高く乏しい石油時代が来る:「脱石油戦略」を考えよう

石井 吉徳

1 高く乏しい石油時代が来る

1‐1 地球は有限、自然も無限ではない
この簡単だが、人類にとっての「本質」を理解するのは、至難のようである。そして「有限地球」で人類は今も増え続け、物質的に無限の成長を望む。その当然の帰結として、資源を大量消費する現代工業化社会は、際限なく地球を収奪することになる。自然環境破壊も、とどまるところを知らない。地球温暖化など、地球規模の難問は現代社会を象徴する。

2002年のヨハネスブルグのサッミット最終日、国連アナン事務総長は「WEHABそしてP」が大切と述べ、科学技術はそのためにあると総括した。これらは水(Water)、エネルギー(Energy)、健康(Health)、農業(Agriculture)、生物多様性(Biodiversity)、そして貧困(Poverty)である。

これに対して、日本では「IT、バイオ、ナノ、環境」が重要な科学技術分野とされる。ここで、環境だけが問題解決型である。日本社会では昨今経済が過度に優先され、効率が重んじられるからである。これに対して国民はもう欲しいものが余りないが、日本には成長神話があるためか、指導者は国民に無理に物を買わせようとする、まだ使えるものを捨てさせようとする。これを、嘗ては「浪費、無駄」と言った。それも、そう昔のことではない。エコノミストは雇用に消費が必要と繰り返すが、本当にそうなのだろうか。これは資源浪費型の「持続不能の道」ではなかろうか、「有限地球」で人類だけが無限成長できる筈はないからである。

インド生まれのノーベル経済学の受賞者アマルティア・センは「どんな経済学者もそれ程賢くなかった、純粋な経済人は事実、社会的には愚者に近い」と言っている。

私の専門は地球物理学である、地球は丸く有限に見え、地球資源は有限としか思えない。「足るを知らない人間」の欲望をそのまま増長させれば、いずれ地球は人類を支えきれなくなる、と考えるのである。
図1ー1は1984年、ある国際シンポジウムのため作ったが、関心を持ってくれたのは外国人のみで、日本人の反応は鈍かった。当時、人口はまだ44億人、それでも地球の限界は明らかであった。それから20年、人類、地球問題は一向に解決しない。

図1-1 「地球は有限」:過剰な人口、資源の大量消費そして自然環境破壊(1984年6月27日、未だ人口は44億人)

 
未だ識者は、地球の限界を認めない。主流の新古典派資本主義と言われるエコノミストは、市場至上主義を唱え、マネーが全て、地球資源すら市場が解決するというのである。市場で物の値が上がれば、資本が投下され技術も進歩する、と考えるからである。そして、永遠に経済成長は可能と思うようである。その尺度がGDPであり、この成長が全てのようである。環境問題も例外ではなく、地球温暖化対策としての二酸化炭排出権取引などは、市場主義の典型であろう。

物を大量に生産し、そして捨てる。これが現代社会の仕組みのようだが、自然はもう大量の廃棄物を処理しきれない。大気には二酸化炭素、酸化イオウが、河川海には各種の汚染物質や農薬など、そして陸にはゴミの山である。しかし社会は、大量生産型を捨てきれない。そこで循環となるが、この過程にも大量のエネルギーが不可欠である。「ゴミは資源」などというが、ゴミとは物流が拡散、散逸、分散、そして劣化した物に過ぎない。これを元の有用な物質に戻すには、必ず相応のエネルギーが要る。
熱力学第二法則によれば、これは増大したエントロピーを下げることであり、必ずエネルギーが必要である。一方、第一法則とはエネルギー、物質の保存則である。

 



図1-2 大量生産、消費、投棄社会:循環には大量エネルギーが必要

 
図1−2の過程は、質の良い資源、低エントロピー物質を分散、拡散させる流れであり、質を低下させる高エントロピー化の過程である。これを循環させる、ごみから資源を回収するには、必ずエネルギーが必要ということである。これは熱力学の第二法則からみても当然だが、社会の理解は必ずしもそうはならない。その典型的な例が、地球温暖化対策のため発電所の排ガスから二酸化炭素を抽出、つまり濃縮して海中あるいは地中に捨てる話しである。これでは却って石油消費が増えよう。
より一般的には、社会が大量生産型を止めない限り、環境保全には益々大量のエネルギーが必要である。これは地球の有限性と相容れない。その石油にも限りが見えてきた。石油の生産が需要に追いつかず、ピークを迎えるというのが「石油ピーク」だが、そのピークはもう来ているかもしれない。
しかし国際機関IEAなどは、今後もエネルギーは大丈夫、十分需要を賄えるという。そして戦略性に欠ける日本は、このような公式見解を鵜呑みにするのである。本当にそれでよいのだろうか、これが本論の主題である。


図1-3 国際的な公式見解:旺盛なエネルギー需要は常に満たされる(DOE, IEA)

 
世界には様々な公表データがある。意味、背景は様々だが、国際的なエネルギー情報の信憑性は国家の大事であるが、嘗て日本は第二次大戦の時、十分な情報も無いまま戦争を遂行した。そして次々と作戦に失敗した。「失敗の本質」という20年前の名著があるが、これによれば日本軍は、成功からも、失敗からも学ばなかったそうである。その旧日本軍、最大の失敗は「失敗を認めなかった事」にあるという。そのために軍は「言葉を奪った」そうである。また軍隊にとって最も重要なことは、不測の事態に適切に対応することだが、旧日本軍はこの能力を全く欠いたという。言い換えれば、ルーティンはこなせるが変化に適応出来なかった、ということである。これは今の日本にも言えること、21世紀は不明である、現代日本人は心すべきである。

1−2 現代石油文明は、過去の発見量を食いつぶして繁栄している
石油は発見されて、始めて生産出来る。当たり前だが今の日本人は、この当然のことを理解できないようである。それは長年、石油は外国から買うもの、と思って来たからであろう。
図1−4は石油発見の歴史である。基本的に石油発見量はごく小数の超巨大油田できまるから、この図のように凹凸が激しい。しかし、これを平均すれば1964年がピークであった。それ以来、発見量は減少の一途であり、一方生産量は増大するのみであり、特に近年の増加は鰻登りである。中国、インドなどアジア、それに依然アメリカの増加である。今でもアメリカは4%の人口で、世界の4分の一のエネルギーを浪費する国なのにである。

 


図 1−4 世界の石油発見ピークは1964年であった、そして価格の乱高下(ASPO News 2005)

 
この状態は、表1−1で一層明快である。発見の最大は第二次大戦直後の10数年間で、その後減少し今では生産量の4分の一でしかない。一方消費量は、この表では250億バーレル/年だが、最近では300億バーレルと、その増加傾向は納まりそうにない。この間、資本投下も技術の進歩もめざましいが効を奏していない。そして最後の頼りが中東となる。


表 1−1 世界の石油発見量の推移と今の消費量:発見量の4倍

1−3 中東油田は、なぜ巨大なのか
多くの方は中東の重要性を、漠然とは理解しておられようが、その本質はそうではなかろう。そのためであろう、まだまだ石油は見つかると思うようである。勿論中小の油田はこれからも発見されるであろうが、年間消費量が300億バーレルを補うのは到底無理である。
中東の埋蔵量は桁違い、その中程度の油田でも北海油田すべてより大きい。カスピ海周辺も、一頃は第二の中東と言われたが、南部が意外に伸びなかった。中東がなぜそんなに巨大なのか、それを理解するには、先ず億年単位の地球史を理解しなければならない。


図1−5 地球史上特異な中東、大陸移動と太古のテチス海、Tethys:右最上図の赤道上(USGSによる)

図1−5には2.25億年前、ペルム紀の超大陸パンゲアが次第に分離、現在の姿になるまでが示されている。誰もが知る大陸移動だが、この過程で中東油田が出来たことはあまり知られていない。2億年前の三畳紀(Triassic)、右上図のテチス海(Tethys)が中東油田の始まりである。
石油とは有機物が熟成したもの、太陽光による二酸化炭素の光合成で出来た植物、藻などの有機物が海底に堆積し石油になったものである。堆積盆地とは、盆のようなところに堆積した地層の集積で、これがその後の地殻変動で褶曲し、馬の背のような形のように盛り上がった地質構造の上部にガス、油、水が軽い順に移動、濃集したものである。油田とは堆積盆地内の背斜構造にある。

ところでこのテチス海は、地球史上の石油生成に極めて特異だった。中生代は二酸化炭素の濃度が今より10倍も高かく、気温は10度Cも高かった。つまり地球温暖化で、植物の光合成は極めて活発であった。しかもこのテチス海は2億年もの間赤道付近に停滞し、内海であったため海水は攪拌されず長く酸欠状態が続いた。このため有機物は分解されず、石油熟成に好条件であった。この偶然が中東油田を作った。石油は探せばまだまだある、という単純な発想は地球史から見て正しくない。

更にもう一つ重要なこと、それは中東大油田の発見が古いことである。皆老齢である。次に述べる世界最大、サウジアラビアのガワール油田は1948年の発見である。その他皆老齢であること、十分認識しなければならない。

1−4 年をとった、世界最大のガワール油田
ガワール、地球上最大のガワール油田は今もサウジアラビア生産量の60%、450万バーレル/日を生産するが、既に60歳の老齢、圧力が低下し自噴しなくなった。今はもう大量の海水圧入で生産が維持されている。

 

図1-6 上)地球最大のガワール油田と、下)油田東部の生産及び水圧入井、水のフロント

毎日700万バーレルの海水を油層に圧入するのだが、生産原油には100万バーレルもの水が付いてくる。それでも、この日産450万バーレルは世界でも突出して巨大である。世界第二のブルガン油田は隣国クエートにあり、湾岸戦争時に放火されたが、その発見は1930年代と更に古い。それでも100万バール/日の生産量である。そしてイラク北方のキルクークは、1920年代の発見である。この中東に世界が頼っており、日本の依存度などは90%に達する。


1−5 20世紀型文明の終焉:石油ピークと石油減耗
地球は有限、当然石油も有限であり、人類はその可採埋蔵量の半分を既に使ったという。これをあと半分と思って安心してはならない、何故なら人間は、質のよい、取り易く儲かるものから取るからである。残りの、後述するEPRは今までの半分に較べて低下している。ネット・エネルギーが少ないのである。この意味でも20世紀型の石油文明は、終焉しつつあると思わねばならない。

振り返って石油時代だが、これは1859年のE.L.ドレークによる、ペンシルバニア北方の商業油井で幕を明けた。石油、この常温で流体の燃料が内燃機関、T型フォード1908年を可能とした。これが、大量生産型社会の幕開けである。20世紀は石油の世紀といわれるが、この石油に限界が見えてきたのである。
だが一方において、そうではないという意見がまだ大勢を占める。石油はまだまだ有るというのだが、これは見方の相違である。「資源とは何か」の理解の問題といってもよい。そこで改めて「資源とは」だが、それは、

 1)濃縮されている、
 2)大量にある、
 3)経済的に利用できる位置にある

ものである。特に1)の濃縮が大切である。
石油、石炭、天然ガス、ウラン資源など、現在の主流のエネルギー資源は、この3条件をみたしている。特に石油は、エネルギー源として優れているだけでなく、流体であるため車、航空機、船舶の内燃機関に欠かせない。そして「常温で流体」であることが、石油が他のエネルギー資源に無い優れた性質である。
自然エネルギーの代表の太陽エネルギーは2)、3)の条件を満たしているが、1)の濃縮条件を満たさない。従って大面積が必要で、濃縮をどうするかが大問題である。これが太陽エネルギーが、期待されほど進展しない理由である。
一方、森林は3条件のすべてを満たすものであり、文明は古代から森林に依って発展した。今では人類は地球の森を半分消費したようだが、その森の収奪は今も続いている。文明はその本質において、「留まる所を知らない」ようである。

前にも述べたが、人類は既に2兆バーレルといわれる石油の半分を使ったようである。しかしこれについて、3兆バーレルあるという意見など様々であるが、それらの多くは「資源とは」の条件について、同じ基準に立たないための相違と考えられる。つまり、質の良くない価値の低いものまで入れれば、埋蔵量はいくらでも増やせるからである。今までの20世紀文明を支えた、「安く豊かな石油が乏しくなった」ということ、悲観論も楽観論もその原点ではそれほど違いは無いようである。資源として「何処まで入れるか」である。
楽観論は「質の悪いものまで資源」に含める、石油ピークを主張する人は「今までの意味で、石油資源を見る」、この差である。本質的に両者共、「地球は有限」と思っている。これからも分かるが、「資源の意味」を理解することが、とても大切なのである。
近年、世界の石油資源の質が低下している。一方、回収率は通常40%くらいだが、原理的にはそれ以上に回収率を上げられるが、それに要するエネルギーは急増し、経済性は急速に低下する。そして、いわゆる「石油の寿命」とは、「可採埋蔵量を年間生産量で割ったもの」でしかない。
そこで後述する、EPR(Energy Profit Ratio)、「エネルギー利益率」が必要となる。ネット・エネルギーで評価しようというのである。

1956年、アメリカ、ヒューストンのシェル石油研究所の地球物理学者K.ハバートは、1970年代にはアメリカの石油生産がピークを迎えると主張した。当時は大変な反論に会ったが、事実1970年、アメリカ48州の石油生産は頂点に達し、その後再び生産は上向くことはなかった。これをハバート・ピークという。
石油生産量のピークは、埋蔵量を半分消費したときに訪れるという。これが石油ピーク、石油減耗論である。ハバートは、石油の生産量は横軸を年代、縦を年生産量とする、「左右対称のベル型」を辿ると考えたのである。曲線の大きさ、面積は埋蔵量に合わせ、カーブの形は過去の生産量から決めた。ハバートはこのアイデアを、アメリカ屈指のアパラティア炭鉱地帯の生産量の推移から学んだという。原理は単純だが、この発想は「資源とは何か」の本質を突くものであった。
このハバートの理論を最近、フランスのTOTALなどで石油探鉱に長年従事した地質学者C.J. Campbellが世界に応用した。図1−7は1998年、Scientific Amarican誌に発表と同じもので、これでは「石油ピーク」は2004年となっている。この2004年が賛否両論の議論となった。

 

図1-7 C.キャンベルによる全世界ハバート曲線:石油ピークは2004年(1998)


しかし、これにも見るとおりハバート・カーブは滑らかである。従って2004年という具体的な年度は、元々それほど重要ではない。21世紀の初頭、例えば2010年以前に石油の生産限界が来る理解すればよく、いわゆる石油の寿命はあと40年、という石油枯渇の話と違うのである。既述のように、元来量のみに着目する寿命に意味はないのである。それでも「狼と少年」の譬えで反論する人が多く、また悲観に過ぎるなど無視したがる。エコノミストは市場至上主義に立ち、技術者は技術万能と考える。
しかしブッシュ大統領のエネルギーアドバイザー、M.シモンズなどは悲観論ですら楽観的に過ぎる、と言っている。日本ではようやく議論が始まったばかりだが、社会のエネルギー基盤は簡単には変われないもの、この文明が変わるほど変革期に、日本はどう備えるのか。

図1−8には、石油生産、石油ピークのグラブに加えて、「天然ガスピーク」も示されている。天然ガスも無限でない。そして石油、天然ガスの生産が推定されれば、二酸化炭素排出量は計算される。図の山形の赤線である。このように石油ピーク論に立つと、地球温暖化はまったく違って見えてくる。

 



図1−8 石油天然ガスの発見の歴史、ピーク、減耗、二酸化炭素排出(ASPO,GCI 2003)

 
これからは、地球温暖化の対策、理念を根本から見直す必要があるかも知れない。石油が無限と思い対策を考えるのと、石油が既にピークにあると思うのでは、その理念に雲泥の差がある。図1−9は、IPCCと対比して石油減耗論を表現したものである。今後真剣に考える必要があろう。

図1−9 温暖化IPCCと石油減耗:人類は温暖化させ得ないか(ASPO 2004)

 

2 石油に浮かぶ現代農業

2-1石油も農業を支える。
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」が現実となっている。いま日本の水田地帯に、生き物が殆どいないこと、ご存知だろうか。「トンビが飛ばない」のである。原因は肥料、除草剤、殺虫剤などの大量使用である。これはまた広域環境汚染、日本の海の富栄養化の原因である。

 



図2−1 石油に依存する現代農業、そして広域環境汚染

 

地質学者、大矢暁によると韓国で窒素肥料は、必要量の3倍も使用されているそうである。日本の使用量は、それを上回るかもしれないというのである。肥料も農薬も石油から作るもの、石油ピークは食の安全保障上の大問題なのである。農耕機械なども石油で動く。
石油が途絶えたときの影響は、北朝鮮、キューバの例から学ぶことが出来る。北朝鮮では、旧ソ連の石油支援が途絶えて飢餓状態となった。一方キューバは、徹底した有機農業、自然と共存する農業によって国民は飢ることはなったのである。

2ー2自然と共存する農業、多様な生態系の保持
合成化学肥料や農薬は、食料生産に絶対不可欠と思う人は多いが、この常識は本当に正しいのだろうか。長年にわたり有機農法を実践してきた愛農会などは、自然の生態系を保持すれば最低限の農薬使用でも農業は可能だという。
日本は75%が山岳である。大陸に適する大規模農業が、日本に最適とは限らない。これからは、この国土を最大限利用する知恵、営みが必要なのであろう。石油に全面的に依存し、自給率は40%の日本農業、農民の半数以上が65歳を越す国、石油減耗の時代をどう生きるのだろうか。

図2−2 先進国中で極端に低い日本の食料自給率40%(農水省1999)

 
第三世界でも問題は大きい。インドの科学者、V.シヴァは画一的な外貨獲得型農業が、インド伝来の農業を駆逐し、伝統的な多様な社会を破壊したという。「種に自然を合わせる」先端的な「奇跡の種」が、インドの土壌、自然を破壊したのである。そして緑の革命、第三世界の開発は、結局のところ農民を幸せにしなかった。遺伝子組み替え種は更に問題は深刻である。それは自分が作った穀物が種にならないのであり、自然は更に遠のく。貧富の差は一層拡大し、農民はむしろ飢える。農民が自分が食べるものを作らない、大きな矛盾である。この「自然無視の仕組み」は、グローバリゼーションによって更に促進される。今求められるのは、自然と共存する科学技術である。

 

3.理解されない資源:エネルギー資源は質が全て

3−1 質が全てのエネルギー源:エントロピーの法則から考える
石油は単にエネルギー問題に留まらない。食の安全保障を脅かし、石油を原料とする合成化学工業に大きな影響を与える。石油は現代文明の「生き血」なのであるが、この「石油ピーク」は遠い話ではない。
そこで問題の本質を、原点からで考えよう。熱力学第2法則、エントロピー法則から論じる。自然現象では、エントロピーは常に増大する。集中した質は常に拡散、分散、平準化、均一化に向かい、質は常に劣化するのである。

例を挙げよう、高温の物質を放置すれば環境温度になる。水は高地から低地に落ちる。一方、低温は環境温度になる。このように、自然状態では常に「コントラスト」が消滅するのである。人間社会も同様である。放置すると常に均一化、低俗化する。ゴミも同様、散らばるのみである。

これらの例から理解できるが、その一方向性は絶対である。その逆方向は自然には起こらない。もうお分かりであろう、エントロピー則とは経験則であり、数学で証明することではない。
これがエントロピーの法則というもの、永遠の真実なのである。この原点は「確率」である、自然は「起こりやすい方向」のみに進むのである。
このような流れを逆にする、つまりエントロピーの減少は自然には進まない。例えば、コップに落ちた赤インキ一滴は自然に分散するが、もとの一滴に戻すのは容易ではない。環境温度にまで下がった水を、再びもとの高温にするには必ずエネルギーが要る。低地に落ちた水を集めて、高地に戻すにも労力を費やさざるを得ない。既に図1−2で述べたが、拡散したゴミを資源としてリサイクルするにも、エネルギーが必要ということである。
一方、エネルギー、物質が保存される、というのが「熱力学の第一法則」である。これは量の保存であり、「熱力学の第二法則」が「質の劣化」についてであるのと対照的である。

尚、用語“エントロピー”は、1865年にルドルフ・クラウジウスがギリシャ語の「変換」を意味する言葉を語源として用いた。

3−2 エネルギーの出力/入力比:EPR
エネルギー資源を理解するには、その評価基準としてエネルギーの出力/入力比が本質的である。EPR(Energy Profit Ratio)、EROI(Energy Return on Investment)などそれだが、残念ながら、日本では殆どしられていない。これから説明するが、この指標はエネルギー資源を評価するに、欠かすことの出来ない重要性を持っている。EPRは次式で定義される。 

      EPR=出力エネルギー/入力エネルギー

図3−1には、EPRが20と2が例示されており、同じネット・エネルギーを得るのに、後者は10倍のエネルギーが要る。

図3−1 EPRの意味:1.0以上でないと意味ない(BJ Fleay、Murdoch University, Western Australia1998)

 
図3−2は運輸関係のエネルギー源を、EPRで比較したものである。これから分かるが、殆どの巨大油田はEPR60と高い。オイルピーク時1970年頃のアメリカの油田は20と低い。それも1985年は10を下回る。今では3程度に落ちているそうである。同じ石油資源もこのように、EPRの値は大きく異なる。同じ油田でも生産とともに、EPRは変化する。勿論低下する。
原子力発電のEPRは、この図で見る限り極めて低い。別の例では4.0という数字もあるが、これに対して、原子力関係者の言うEPRは、50と高いのである。この一桁の違いを説明することは、今後大きな意味を持つと思われる。

図3−2 各種のエネルギー源のEPRと運輸(BJ Fleay、Murdoch University, Western Australia1998)

 
この図は石油減耗の影響を、最も受けやすい運輸についての研究結果で、オーストラリアで1998年発表されている。


3−3 日本のエネルギー、今後の課題
地球は有限、いつまでも安く豊かな石油があるのではない。石油価格の乱高下は、これを反映するのであろう。ところがエコノミスト、そしてエネルギー専門家すら、中東が不安定だから石油が高騰する、というのである。そして非在来型の炭化水素資源、オイルサンドなどの重質油が膨大であると楽観する。だが、これらのエネルギーの質は在来型の油田とは比較にならないほど低く、例えばカナダのタールサンドのEPRには1.5、という数字がある。非在来型はその名のとおり石油とは全く異質の、低品位の資源なのである。

日本で話題のメタンハイドレートなどは、資源と言えるどうかすら疑問である。海水ウランも未だに研究が続けられるが、海水に溶存するウランの濃縮には膨大なエネルギー必要、エントロピーを下げる話だからである。このように低品位の希薄な物質を量の大きさのみに着目し、未来の資源という話が日本には多すぎる。この意味でもEPRの導入は大事である。

水素も例外ではない。化石燃料から水素を作る話などは、本末転倒の議論である。今後「水素」は慎重に進める必要がある。燃料電池車の論議も気になる。世界には6億台の車社会があるが、これを変える捨てる話である。

更に続ける。流行のバイオ、エネルギー農業だが、既に述べたように、現代農業は大量の石油に支えられている。このためサトウキビからのエタノールはEPR0.8〜1.7と低く、トウモロコシも1.3である。またトウモロコシの残渣からのEPRも0.7〜1.8と低いようである。
これらの例は、教訓的である。トウモロコシは人がそのまま食べるのが最も効率的であり、家畜、特に牛に食べさせ肉を人間が食べるの無駄、もったいない。植物残渣もそのまま燃料とする、発酵メタンもそのまま燃料とするのが合理的である。昔から発酵メタンは、そのまま燃料として使われている。

ハイテクがすべてよい、と思ってはならない。自然エネルギーもその性質、意味をよく理解して利用するのよい。自然エネルギーとは広く分散しているもの、広域分散型は、広域のまま利用するのが最も合理的なのである。無理に集める技術では、EPRは高くならない、それはエントロピーを下げる話だからである。 


3‐4 「高く乏しい石油時代」を生きる
石油はあまりにも優れている。代替はありそうになく、これからは「高く乏しい石油時代」が来るが、それでも石油は大事な主要エネルギー源であり続けよう。しかし、その量はしだいに減耗する。
石炭、原子力も大切、というのはそのような意味においてである。単純に脱石油というのではなく、最も大切なことは現代の浪費型社会を可能な限り改めるのである。「高く乏しいエネルギー時代」を生き抜くには、先ず無駄をしないこと浪費しないことだが、これはライフスタイルを変えるというレベルの話ではない。
人類は数億年の地球の営みを、たった半世紀、しかもその後半の四半世紀で殆どを使い切ろうとしている。このような人類に、簡単な解決策などある筈はない。人類は地球の本質的な限界、壁に遭遇しているのであって、よくある悲観論か楽観論といったことではない。
これからは冷静な科学で、「原点から考える」しかないが、日本の立場から思いつくことを次に並べる。

石炭、原子力をどう考えるか。日本の石炭、海外炭そして石炭液化など。原子力での電力供給は何処まで可能か。原子力も、上流から下流まで石油に依存する。そして燃料サイクルだが、これらをEPRで整理できるのか。

水力、地熱など在来型の自然エネルギー、そしてこれからの小型分散水力、低温地熱利用など。分散、地域エネルギーと地方自治体。

再生可能なエネルギーの積極活用は大切だが、集中エネルギーとしては限界がある。今後冷静に考えたいが、大切なことは地域分散。大型、集中は自然エネルギー向きでない。

早急に解決すべきこと、内燃機関用の燃料だが、流行に捉われないことである。水素を万能と思わないこと。燃料電池も選択肢の一つと思うべきである。

バイオ、有機廃棄物の効果的な利用が大切、先端技術に過度の期待をしないこと、エネルギー源は変換する度に損失するからである。

社会のインフラは、急には変われない。早急な対策は必要だが、思いつきの拙速をしないこと、正確な問題認識が先ず必要。

総合的な論理思考が望まれる、評価にはEPRなどネット・エネルギーを重視する。税が投入されたエネルギー技術の多くは成功していない。

天然ガスからの合成液体燃料では、天然ガスの65%がその過程で費やされる。これはLNGでの35%を遥かに上回る。そして、天然ガスも無尽蔵ではない。天然ガスから水素などは、やってはいけない。

などなど。ここで判断の基本は、「地球、自然は有限である」ことである。「限界に生きる知恵」の時代がくる、と思うべきである。

 
3−5 「物より心」:変わりつつある国民の意識
幸い国民の意識は、変わりつつある。原点としての理念も、「物より心」である。内閣府の調査によれば、「物の豊かさより心の豊かさ」を優先、重視する国民が6割に達している。この「物と心の逆転」は、20年前から始まっていた。

図3−3 物より心の豊かさを:内閣府「国民生活に関する世論調査」(平成11年12月)

 
ところが、不況の90年代、日本政府は膨大な税を費やし、公共事業として橋、道路、箱物を作り続け、膨大な借金の山を築いた。そして今科学技術振興と称して大学、国研などは建築ラッシュ、箱もの作りに忙しいが、魂はまだまだ入らない。このように税の浪費は今も続く、環境ですら技術、ビジネス優先である。そして「日本人の心」は貧しくなった、マネーは人心を荒廃させるようである。
最後に図3−4は、人類の万年単位の過去、未来である。何も説明を要しない。人類の未来が、こうならないことを願っている。
 


図3−4 万年単位の人類史:化石燃料時代は人類繁栄のインパルスか(オレゴン州知事、1975)

著名な生態学者A.ロトカは、「エネルギーが豊富なとき、エネルギーを最も多く使う生物種が栄えるが、エネルギーが乏しいときエネルギー使用最小の種のみ生き残る」といっている。教訓的である。
尚本稿にて説明不足は、私のホームページを参照されたい。http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/である。

以上

inserted by FC2 system