自民党は2007年参議院選挙で、何故大敗したのか?

ようやく日本も変れるのか


2007年 08月 29日

自民大敗(4、最終回): 限りある地球で「真の改革」、「美しい日本」とは何か、何だったのか

8月27日の内閣改造後の安倍さんの記者会見、本当に失望した。どんな国を目指すのか全くわからない。 「美しい国」、「改革を維持」、「経済成長」、「地球温暖化」などとオーム返しのように繰り返したが、歴史的大敗をした選挙期間中と何ら変らなかった。これには本当に驚いた。 結局のところ、安倍さんも周囲もそして自民党も「何もわかっていない」のであろう。改造後、祝儀相場のように支持率は少し上向いたが、問題はこれからの理念、中身である。

改造内閣の布陣について、世間ではいろいろな意見、議論があるが、私は全く興味も関心もない。目標がない、依然として「美しい国」というだけでは、意見など言いようがないからである。 だからといって、野党が頼りになる、良いとも思えない。言うことは自民党の裏返し、「表」があいまいで「裏」だけ明確な筈はないからである。 どちらにも欠けるキーワード、それは「限界に生きる」である。

安倍さんの「美しい、望ましい国」とは結局のとこと「更なるアメリカ化」である。大企業、権力サイド、今潤っているエリート層など、「格差上位」への更なる富、権力、権益の集中、「強者必勝、勝者が全てを取る(Winner takes All)」の仕組みでしかない。何故か? それが「アメリカが主導する市場原理の本質」だからである。

切り捨てられた地域、中小企業、社会的弱者に配慮すると口ではいうが、それも言葉だけに終るしかない。おそらく「どうしてよいのかわからない」のであろう。これは野党も同じである。

格差を是正するための「成長路線」とは、新古典派資本主義にたつ主流エコノミストがいつも主張することであり、それを支える技術至上主義のテクノロジストの常にいうことである。だがそれは格差上位を潤すが、それはつまるところ「格差下位の犠牲」による。そこで全体のパイを大きくする、底上げする、トリクルダウンなどと言い訳はするが、間違いなくこれは格差拡大への道である。 これも現代史の証明するところだ。

なぜ「彼らは間違う」のか、それは「限界を認めない」からである。 「地球は有限」、「自然にも限りがある」と思わないからである。しかしながら、地球の限界を象徴するかのように、石油、文明を支えるエネルギー源が本当に翳りだした。「石油ピークが来た」のである。2005年ごろから世界のデータが、そう語り始めている。

今最も潤っている企業、格差上位の人々にこそ「真の改革」が必要なのである。同じ路線のエリートも、急いで本当にゼロから勉強しないと、エネルギーピーク後の収斂社会、地域分散社会についていけなくなる。当分は惰性で「今」が続くであろうが、いずれ崩壊する。 「わかったつもり」は「無知に劣る」のである。

私の心配が、杞憂に終わればよいのだが、もう「石油ピーク」は来た。これから世界は激動しながら収斂に向うしかないが、そのための「日本のプランB」が求められる。

読売新聞(8月29日)に、「今の地球を考えていたら、涙が出てきちゃったよ。何でだろう」の全面広告、「この国のエネルギーとエコロジーのために。東芝」とあった。 勘違いしてはならない。 本当に危険なのは、そんな考え方しかできない、自然を畏れない人間」の方であって、「地球」ではない。 だから「真の改革」が必要なのである。


2007年 08月 26日

自民大敗(3): 「お金で幸せは買えない」を思い出そう、日本のエリート

「お金で幸せは買えない」は古来からの教訓である。洋の東西を問わない「人の心」である。これを破壊し格差を拡大した自民党が大敗した。日本のリーダが否定されたのだろうか。

次々と露見する企業の不祥事、バレなければ何でもするのか、志を失った日本のエリート達。そしてマネーにおもねる、自浄能力を失った日本の大学とアカデミズム。拝金と技術万能主義が日本社会のコアーを破壊しつつあるのか。

人類の生存基盤は急速に崩壊しつつある。その象徴がエネルギー、石油である。それがすでに2005年、生産ピークであった、エリートは認めたがらないが。 それが確信犯であればまだ救いようがある、だがそうでもなさそうだ


2007年 08月 19日

自民大敗(2): 「アメリカなるもの」の崩壊の始まりか

自民大敗は日本における「アメリカなるもの」への「もう一つの国民」の反乱であった。そして今、世界でそれが崩れだした。株の7年ぶりの安値と、米欧通貨の対円の下落である。これを円高と思わないこと。今の日本は「買いではない」、資源制約に最も弱いにも拘らず、いまも地球は有限と思わない、危機管理のない国、それが日本だからである。

只同然の金利、国民が受けるべき利子を、格差上位に移し続ける日銀、政府。「円キャリー」とかでマネーゲームで儲ける「はげたかファンド」を容認する日本国家。資本主義を無視した前代未聞の政策で、庶民はまた損する。

「アメリカなるもの」に追従する日本の格差上位の「一つの国民」に、格差下位の「もう一つの国民」が「ノー」と言った、それが自民大敗である。

アメリカ住宅建設のサブプライムローンの焦げ付き、これもマネーゲームであり、「浪費の行進」でしかないが、そんなことができるのは、ドルが世界の基軸通貨だからである。ドル紙幣一枚のコストは4セント、今ではコンピュータの数字、アメリカにとってドルは只なのである。

だが日本にとって1ドルは1ドルである。ヨーロッパが結束してEUを作り、ユーロでアメリカドルに対抗するのはヨーロッパの独立への意思表示だ。日本の防衛大臣は先ずアメリカ詣でをするが。

アメリカ言うなりの国民不在の政策は、そのほうが得をする陽の当たる「一つの国民」のためである。このマネーゲームの終焉の始まりが今回の株価クラッシュ、その本当の主役は「石油ピーク」である。 すでに石油文明が黄昏つつある、これがクラッシュの真因である、やはり「地球は有限」であった。今後、抵抗勢力との綱引きは興味ふかいが。


2007年 08月 11日

自民大敗(1):グローバリゼーションと市場原理は、何を切り捨てたか

自民党が歴史的な大敗をした。1955年以来、日本は初めて本格的に変わるかもしれない。 21世紀は20世紀の延長にない、国民は何かを悟っているようだ。むしろ、わかっていないのは日本のエリート、リーダ達かも知れない。

近年推進された改革とは、実質的には「日本のアメリカ化」であった。 アメリカ追従の竹中平蔵氏がそれを推進したが、日本的な固陋、既得権益などを破壊した功績はあった反面、日本の伝統、良い所を根こそぎにした。 陽のあたる「一つの国民」のための政策であった。だがこの物質至上の拝金主義によって失ったものは大きい、それは日本の心であり、志である。

アメリカ主導のグローバリゼーション、市場原理とは、新古典派資本主義、ネオクラシックエコノミクスとは、結局のところ「強者必勝」の「勝者が全てを取る」、強者のための仕組みであった。 アメリカが、国際的大企業が、そして権力サイドが更に得をする戦略だった。それは今や世界中でその矛盾、綻びを露呈しつつある。

その結果として「格差」は至るところに拡大した。 これはむしろ当然のこと、トリクルダウンはやはり言い訳でしかなかった。 経済は回復したが、それは誰かの犠牲によった。切り捨てられたのは地方であり、庶民、中小企業であり、そして社会的弱者であった。

初めて日本が動いた。 切り捨てられてきた、陽の当らない「もう一つの国民」が反乱した。だが、「陽の当る国民」も「もう一つの国民」も、与党も野党も、「わかったつもり」の識者も、確信犯は別として、有限地球時代にどう生きるか殆どわかっていない。 国際官僚の建前論的な情報に、頼り切るからである、だが世界は本音で動いている、それが国際力学である。

先ず理解すべきは 「地球は有限、自然にも限りがある」、「石油ピークは農業ピーク、そして文明ピーク」ということである。地域重視、分散の視点はここから生まれよう。

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