2004年 10月 7日

石油が危ない:瀕死のガワール油田

石井吉徳

東京大学名誉教授、元国立環境研究所長、富山国際大学教授

「安く豊かな石油時代が終わる」
  Ghawar is dyingー。今囁かれる英語の3文字、この意味がお分かりの方は相当のエネルギー専門家である。 世界最大の「ガワール油田、サウジの生命線が死につつある」と言うことである。石油の象徴、サウジアラビアがこければ、世界がこけるのである。ガワール油田は1940年代発見されたもの、かなり老齢である。今450万バーレル/日を生産する自噴圧力の維持のため、700万バーレル/日の海水が圧入されている。そして日量100万バーレルの水を随伴する。この中東から、日本は2003年88.5%の石油を輸入している。この依存度は先進国でも突出して大きい。
  最近の原油50ドルも、一過性と思う専門家が多い。日本では石油埋蔵量は今も増えていると言う人すらいる。しかしこれは間違っている。公表データを鵜呑みにするからである。技術が進歩すれば何とかなる、オイルサンドなどあると日本の専門家は言うよう。これも正しくない。

中東とは:大陸移動説から見た特異地域
  いまから2億年くらい前、世界の大陸は一カ所にまとまっていた。超大陸である。これが分かれる過程でいまの地中海、ペルシャ湾地域に「テチス海」と呼ばれる内海が出来、長い間赤道付近に停滞した。二酸化炭素は今より一桁も高く、気候は温暖、活発な光合成が作った藻類など、大量の有機物がテチス海に沈殿した。こテチス海が内海であったため酸欠状態であり、これが石油生成に幸いした。
  中東の超巨大油田群は、このように地球史的な偶然によるものである。このような場所な他にはない、つまり第2の中東は無いのである。人類はこの億年単位の地球遺産をたった百年、しかも21世紀後半の2、30年で一気に使ったのである。このようなことが長続きするはずはない。「地球は有限」なのである。

「石油ピーク」:人類は石油資源を半分使い切った
  人類は既に石油の約半分を消費した。質の良い儲かるものからである。そして質の悪い物が半分が残った。どうやら資源は半分使ったときその生産ピークを迎えるようである。今人類は1日約8000万バレルも使う。年間290億バーレルである。これは最近話題のカスピ海周辺の全埋蔵量300億バーレルに匹敵する。既に減退気には入った北海油田はこれより少なかった。
  人類は1981年以来、発見するより速い速度で石油を消費している。発見される4倍の速度である。石油発見のピークは1964年頃であるから、人類は40年も前のストックを食いつぶして繁栄していることになる。市場至上主義のエコノミストの期待通り探査技術も進歩し資金も投入されたが、最近10年間の発見量は年平均で60億バーレル程度、生産量の4分の一にも満たない。「石油ピーク:Oil peak」、石油減耗:Oil depletion」である

 


図1 石油発見量と消費(ASPO 2004)

  石油の生産はベル型の栄枯盛衰のカーブを辿る。アメリカでは1970年にピークを迎えた。世界は2004年がピークという。C.キャンベルである。アメリカのブッシュ大統領のエネルギー顧問、M. シモンズはピークは200年であったと言う。非常に悲観的である。

 

図2 石油生産量の過去、未来(C. Campbell 1988)

  現代文明は石油無しに存続できない。石油ピークは世界を不安定にする。だが石油ピーク論には多くの反論がある。「オオカミと少年」の論議と言って冷笑する人さえいる。しかし最近の石油暴騰はそのような根拠のない楽観論を一蹴しつつある。「地球は有限」、石油ピークは早いか遅いかでしかない。「大量生産、大量消費、大量廃棄型社会」も永続するはずはない。
  だが注意しておくが、「石油ピーク」とはいわゆる資源枯渇のことではない。石油は地下に永遠に残るものだからである。「高く乏しい石油時代が来た」といこと。化学原料も乏しくなる、石油漬けの農業も立ち行かなくなるということである。最後の頼みが、全く異質のイスラム圏、地政学上特異な中東と言うことである。2兆バーレルを半分使い切った人類に残されたのは、新地域といえば聞こえがよいが、コスト高の大深度、大水深、極域など、不便な条件の悪いところのみである。

現代農業は石油漬:日本の農業、食が危い
  日本の40%の食料自給率は危機的である。この現代農業は石油に浮ぶことをご存じか。化学肥料、農薬などは石油から作られ農業機械は石油で動くからである。現代農業は集約、単作、画一的である。アメリカ型と言っても良い。これが問われている。これからはは食の安心、安全が我が国の緊な課題となろう。先進国に例を見ない農業従事者の老齢化、半数が65歳以上も大変な問題である。旧ソ連崩壊の石油切れで飢餓状態になった北朝鮮、同じ条件におかれたキューバは徹底した有機、自然と共存で飢えなかった。教訓的である。

図3 日本の農業、自給率40%は世界に例を見ない

  エネルギーと食の安全保障を考えない日本、マネーと効率至上主義の日本、前途が危ぶまれる。

「高く乏しい石油時代」が来た:代替エネルギーの決め手はない
  「安く豊かな石油時代」は終わりつつある。しかも、アメリカの例に見るごとく、天然ガスも有限であった。21世紀は「高く乏しい石油」を浪費しない社会、エネルギーの多様化に努める社会と目指すしかない。次の述べるように代替えの決め手はない。
  先ず石炭だが、固体で不便でしかも汚い。車などの内燃機関にすぐは使えない。だから一世紀まえ石油に移ったのである。原子力も日本では電力の40%は原子力とは言え、一次エネルギーの14%程度でしかない。世界的にはその半分、石油を使わない、全て原子力の世界は想像すら出来ない。ウラン資源問題、重大な廃棄物問題がある。海水ウランと言う人が今でもいるが、「資源とは」を勉強すべきである。
  オイルサンド、オイルシェールなど重質油に期待する人も多い。石油の価格が上がれば採算が取れるという。確かに条件の良いところは、今でも稼行している。しかしエネルギーと水を大量に必要とする。石油に浮かぶ社会での「貨幣コスト」では、本来の価値を計りきれない。エネルギーコストが大切というのはこのような意味である。流行のメタンハイドレートは資源の条件を満さない。喧伝される「天然ガス何百年分」は幻想でしかなかろう。
  そこで改めて「資源とは」だが、それは先ず1)濃縮されている、2)大量にある、3)経済的に取り出せる位置にある、ものを指す。
  一方、水素は一次エネルギー源でない、バッテリーのようにエネルギーキャリアである。
  究極的には自然エネルギー、太陽、風力、バイオ、水力、地熱などだが、大規模水力、地熱などを除けば、いずれも資源として密度が低く間欠的、現代工業の中核となり難い。古代から、今でもそうだが森林は重要であるが、地熱と同じに早く使えば非再生的となる。最近エネルギー農業が話題である。計画も可能だが現代農業に膨大な石油が使われていることを忘れてはならない。その上、食料問題とも競合する。海洋温度差発電、波浪エネルギーなどはエネルギー密度が低いのが悩みである。
  これからは集中化と逆の発想、「分散地域適応、地産地消、自家発電、草の根型」が課題である。「小さいことは美しい」、「集中から分散」、「教師は自然」が標語であろう。これは地域での雇用確保にも通ずる。

エネルギー資は質が全て:EPR(Energy Profit Ratio)
  楽観的な専門家、エコノミストは石油が減れば市場原理が働き、技術も進歩する、油田もまだまだ発見されると言う。それだけに科学的な論理が大切だが、それにはエネルギー利益率:EPR(Energy Profit Ratio)、EROI(Energy Return on Investment)のような「入力/出力エネルギー比」が重要なのである。様々なエネルギーの話出、「本物か偽物か」を見分けるポイントは、熱力学の第2法則:「エントロピー則」を理解すること、エネルギーの質の意味をエントロピー則で考えるのだ。

京都議定書と(試案)石油減耗プロとコール
  京都議定書が来年にも発効しそうである。その遵守は国際的な日本の課題でもある。だが地球温暖化はエネルギー問題そのものであるから、これからは石油減耗を念頭に温暖化対策を考える必要がある。キャンベル等ASPO(the Association for the Study of Peak Oil and Gas)の試算では、IPCCの最低線すら下回りそうである。キャンベル等は「石油減耗、ウプサラ議定書」を提案している。簡単には石油減耗に合わせた石油消費量の減少が不可欠、それが持続型社会となるという意見である。具体的には2015年ころ、年マイナス2.5%の省石油社会をと言うこと、温暖化対策推進と協調してと言う見解である。これは脱石油文明の構築と言っても良い見解である。難問だが、京都プロとコールの遵守は、元々このレベルの話である。

図4 ASPOによる石油減耗プロとコール

パーティーは終わった:「高く乏しい石油時代が来た」
危機感、戦略に欠ける日本、今のままではこの国は危ない。持続型の21世紀型社会とは、20世紀の巨大化、集中化と逆の「分散の世紀」と考えられる。地域適応、地産地消、草の根などがキーワードとなろう。何故なら集中は優れた石油が支えたもの、これが乏しくなるのからである。これは文明改革のレベルである。それは浪費しない社会、物より価値を求める社会と言っても良い。
  今「失敗の本質」という本が読まれている。20年も前の本である。これには旧日本軍の「作戦失敗の本質」が究明されている。を繰り返した。これによると、システムとしての旧日本軍の最大の失敗は、「失敗を認めなかった」ことだという。そのため旧日本軍は「人の声を奪った」のである。今の日本に通ずる。
  さらにこの書は分析する。旧日本軍は手本のあるときはそれなりに機能したが、不測の事態に遭遇すると非常に脆かったという。これは命取りになる、何故なら軍隊は不足の事態に適応するのがその本質だからである。
  総じて論理的に発想できず、グランドデザインが作れなかったという。唯一の例外は真珠湾攻撃だが、旧日本軍はその成功から学ぶことをせず、大和など戦艦を作り続けた。一方アメリカは、真珠湾の失敗から空母が主体とする戦略に転換したという。
  今は文明の変換期、もう「自分で考え始める」時代、元来日本人は優れている、方向が見えないだけである。今必要なのは「志」であろう。


参照
1)「国民のための環境学」2001年、愛知出版
2)「エネルギーと地球環境」1995年、愛知出版
3)エネルギーレビュー誌、2004年5月:「豊かな石油時代が終わる」:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/pdf_files/energy_review.pdf
4)日本エネルギー学会誌、2004年6月:「日本のエネルギー戦略と食の安全保障」:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/opinions/energygakkai.htm
5)東京電力の科学情報誌、LLUME312004年6月:「エネルギーと地球環境の調和」:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/opinions/illume.html

 

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