4/8/2004、9/17一部訂正

日本のエネルギー戦略と食の安全保障
東京大学名誉教授 富山国際大学教授 石井吉徳
(日本エネルギー学会誌:2004)
Japan's Strategy for Energy and Food Security
Professor emeritus of University of Tokyo
Professor of Toyama University of International Studies

Impending oil peak and oil depletion are discussed. While scarcely understood in Japan, oil depletion should greatly influence Japan's industrialized society and deteriorate modern agriculture heavily supported by large amount of synthesized chemicals. Japan's present self supply of foods is less than 40%, one of the greatest concerns when viewed from the oil depletion.

Key words: oil peak, oil depletion, EPR, foods self supply, renewable energy, organic agriculture

豊かな石油時代が終わる:Nature誌も警告

日本工学アカデミー・環境フォーラム(代表石井吉徳)は、昨12月小泉総理他に “豊かな石油時代が終わる:Nature誌も警告“ と題する問題提起をした。下記はその冒頭の文です。
  “石油はやはり有限でした。2010年より前に「石油の減耗:Oil Depletion」が顕在化する怖れがあります。これはいわゆる石油枯渇論とは異なり、石油生産量がピークを打つというものです。「石油ピーク:Oil Peak」です。その後、生産は緩やかに減退に向かうと見られます。昨年11月、英国の科学雑誌Natureまでが、石油と文明に関する特集を出すに至りました。石油は現代農業を支えています。人々は食料エネルギーで生きていると思っていますが、これは間違っており石油を食べているのです。石油は化学原材料でもあります。このように石油は現代社会の生き血なのです。更に、地球温暖化は本質的にエネルギー問題ですが、科学者は温暖化の前に石油が減退すると考えつつあります。http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/index.html“

このオイルピークは日本では理解者は少なく、未だに石油時代はまだまだ続くと単純に楽観するようである。しかし最近、イギリスの元環境相M. Meacherは、"Plan now for a world without oil"と題する文で警告した(Financial Times, Jan. 5 2004)。それによると、イギリスはもうネットでは石油輸入国となった、北海油田の生産量のピークは1999年の290万バーレル/日であった、世界の石油事情も明るくないとのべ、今すぐ脱石油社会を目指さないと、社会は大変なことになると述べたのである。
この考えの基礎には、図1のような石油減退論がある。石油地質学者C.Campbellを中心に多くの専門家は21世紀前半には石油減耗が顕在化する、ピークを迎えた後次第に減退すると見る。これには在来型の石油以外に、重質油、大水深、北極圏なども含まれている。
今、石油に全面的に依存する現代人の生存基盤が揺らぐ可能性があると、世界の指導的な人々は石油減耗の重要性を理解しつつある。石油ピーク後、社会は不安定化すると考えられるが、最近の石油価格の高止まり、原料炭の高騰、世界各地の紛争などで、現実のものとなりつつある。

 

図1 石油のピークと減耗、C.Campbell,(ASPO, 2004)

前述の英国の科学雑誌:Natureは、”取り尽くされた、低く垂れ下がったリンゴ”に喩えて、安く豊富な石油に浮かぶ現代文明は長続きしないと警告している。一方、その予測にはかなりの幅があるとも述べている。
いずれにせよ地球は有限、石油生産が需要に、早晩追いつかなくなるのは自明である。そして石油ピーク(Oil Peak)後、石油の生産は緩やかに減退するが、これが石油減耗(Oil Depletion)である。これはいわゆる枯渇のことではない。地下にある石油は取り尽くされない。「取り出すためのエネルギー」が、「得られるエネルギー」より大きくなり、資源として価値がなくなるのである。
ネットエネルギー、エネルギーの質の問題だが、Nature誌はEROI(Energy Return On Investment)で、その意味を説明している。いま世界各地で油田のEROI値が低下しており、カナダのオイルサンドなどの重質油では、この値は元々低い。
本論は、石油減耗が農業を直撃し、日本社会に大きな影響を与える可能性があると述べ、どのような対策がありうるかを考えられるものである。

持続可能でない、高エネルギー型の日本農業

日本国土の75%は山岳である。平野は少なく、その殆どは都市、工業用地、水田などに使われている。この基本的に国土、地勢的に異なる日本に、アメリカで発達した大陸型の工業化農業が導入されている。これが様々な歪を日本農業にもたらしているようである。
1961年に制定された農業基本法は、農業の大規模、画一的、工業的が農民に都市に匹敵する収入と生活水準をもたらす、との考えから国策として大量の化学肥料、農薬の投入が奨励され、農耕機械の購入が推進された。農耕機械は一年中、毎日使うものではないが、多くの農家が購入したという。この考えの基本は、大規模農業で「お金になる作物を作って売りなさい、そして自分が食べるものはそのお金で買いなさい」、というものであった。
それから半世紀、この画一換金型工業化農業は、農村の生活水準を向上しなかった。全国愛農会によると、むしろ借金に苦しむ農家が増え、土は力を失ったと言う。日本の農業は脆弱化し食料受給率は低下の一途、最近の食料汚染は目に余るものがある。野菜すら外国産,どのような化学物質が使われていえるかさえ分からない。食の国際化は消費者を翻弄し、地球規模で異常な病気、ウイルスなどがグローバル化した。人類の営みはある限界を超えたようである、それが人類に反撃しているのではないか。今、世界、地球、自然の何かがおかしい、と思うのは私だけであろうか。
ジェームス・シンプソン、龍谷大学教授は(日経2002-7-8)、
“日本の農業は国民総生産の1.5%を占め、他の先進国とほぼ同じ水準にある。しかし極めて小規模、農家一軒あたり平均耕地面積は2haに過ぎない。これに対しオランダは20 ha、米国は200 haである。これからも農業改革は必然だが地理的条件、人口密度からみて、関税その他の貿易障害なしに日本農業は国際競争に耐えられそうにない、生存不能である。そこで農業を切り捨て製造業とサービス業に徹し、各国とFTAを締結することが日本国民全体の利益になるとの考えが出る、外国は勿論、日本国内からも。果たしてそれは正論なのだろうか。今ですら食料自給率はエネルギーで40%でしかないが、これ以上下げて本当に良いのだろうか。
また米国農務省(2001-5)「WTOにおける農業政策改革今後の展望」によると、農産物に関する関税、補助金を撤廃した場合の経済効果は、一人当たり36ドルであるという。対してニュージーランド、米国はそれぞれ国民一人当たり156ドル、49ドルの所得増となる。36ドルで日本の農業が壊滅する日本は、安全保障上大変なことになる。この問題は自給率だけではない。中国からの食料に依存することも重大である。中国からの食料輸入はドルベースで1990年は7%だったが、2000年には14%と倍増した。工業において中国脅威論がある中、国民の生命線である食料の安全保障を等閑視して良いのだろうか。もう日本国民も真剣に「自分のこと」を考えるときに来ている“ 

この懸念には、まだ石油減耗のことは勘案されていない。故に問題は更に深刻なのである。大方の日本人は、指導者も含めて、未だに石油はまだまだある、石油が無くなっても天然ガス、原子力があるあら大丈夫、昔から石油はなくなるという人はいたではないか、と言うのである。また石油減耗論のあることは知っている、しかしそれは少数派と一蹴し、それ以上考えようとはしない専門家も多い。思考停止である。
最近ではメタンハイドレートが日本近海にある、何百年分もと言う政治家、企業家、大学教授すら現れた。そしてメディアが、それを新情報として流せば国民はもう信用するしかない。
活力を失った社会は、変化に適応できなくなる、過去に安住しようとする、既得権益を維持しようとするものである。それは社会の指導層の精神的な活力、志の喪失となって現れるという。日本国家、文明の滅びの兆候であろうか。
日本は今変化に対応できない危険な兆候を呈しつつあるようである。国家、民族が単一路線で安住、画一的な路線しか認めず、知的多様性を排除しようとする。このような時に、石油減耗が顕在化し、食料の安全保障が脅かされたらもうひとたまりもなかろう。
和光大学のA.F.F.ボーイズは近年、石油と農業に関する優れた分析を発表している。石油が途絶えたときのどのようなことが起こるか、旧ソ連崩壊後、石油供給が共に途絶えた国、北朝鮮とキューバの農業を克明に分析し、日本の現状と対比した。
それにようとキューバは自然と共存する農業である有機、自然農業に回帰して、国民は飢えることはなかった。一方北朝鮮は今大変な飢餓状態にある。工業化路線を転回しなかったのである。指導者の見識の優劣が、危機に当たって如実に現れたようである。
日本は石油減耗によって、北朝鮮の二の舞を踏むわけにいかないが、社会は一朝にして変わることは出来ないから、今からそれに備える必要がある。国民は余り根拠のない楽観論に惑わされて百年の計を誤らないよう、それぞれが「自分で考える」ようになりたいものである。

再生的な有機農法:食の自立を目指して

終戦後ほぼ50年、地道に有機農法を実践してきた(社)全国愛農会によると、結局のところ国が推進した大規模、画一換金農業は農民を幸せにはしなかった、経済的な向上も達成しなかったのである。現金収入は工場の出稼ぎで、兼業農業はむしろ増大した。

日本
フランス
イギリス

35歳未満

2.9
28.2
31.7

35-44

7.1
28.3
22.2

45-54

14.6
26.8
22.0

55-64

24.2
12.7
16.3

65歳以上

51.2
3.9
7.8
表1 農業従事者の年齢分布(%) 国際比較(A.F.F.ボーイズ)

人手減らすため機械、農地拡大への投資は、農家の借金を増加させ現金収入を求め農家の人々は都市で働く傾向を産み、米偏重策は減反政策という日本農業の歪を産んだ。このようにして若者は農業に見切りをつけ、農業従事者の年齢構成は極端に高齢化したのである。だがここで注意すべきは、表1のように老齢化は先進工業国中、日本だけの現象であるということである。


図2 自立しない日本の農業(農水省による)

図2は、日本の異常に低い、40%の食料自給率を示している。人手不足を補う農耕機械導入の反面、今日本では人が余っている。その反面、農業人口の減少と高年齢化は顕著である。この歪んだ高エネルギー農業を支える石油に、限界が見えてきたのである。しかし、一般に余り注目されないが、農業問題は強く石油問題であるのである。


図3 石油、農業そして広域環境汚染

図3は、石油、農業、自然環境が密接に関連することを述べるものである。現代農業では、石油から合成される化学物質が土壌の生命力を一掃する、何万年もかかって培われた土壌を喪失させるのである。これも知られざる資源喪失であるが、合成化学物質は大地、河川そして沿海の自然環境を最も広く汚染する元凶でもある。

多様なエネルギー戦略が必要

石油は世界の一次エネルギー需要の40%を賄っている。交通機関では95%を越すのであって、石油無しでは車は走らず、航空機も飛ばない。
ところが国民は石油のことは余り心配しない。専門家、エコノミストは石油が減れば市場原理が働き、投資が増え技術も進歩するので新油田もまだまだ発見されると言う。そして実際に石油が減っても、オイルサンド、オイルシェールなどもあると楽観論を並べる。国民もそれを単純に信じる、誰しも悲観論より楽観論のほうが良いからである。しかしこのような人々でも、石油は無限かと問われれば、そうでないと答える。
問題の核心は時間のようである、短期、中期、長期のどの時点を論じているるかである。これを整理しないと、日本では論理がいつまでも空転するであろう。ここのような理由から、資源の意味、石油の寿命の意味について更に論じよう。

資源とは:化石燃料の可採年数、寿命とは

経済産業省の総合エネルギー統計では、世界のエネルギー資源の可採年数、いわゆる寿命は石油では40年、天然ガスが61年とされている。この数字から石油のことを心配するのは、今から40年後でよい、天然ガスは61年もあるからから、あと100年大丈夫と錯覚するようである。石油減耗論に対しては、昔から石油はすぐ無くなると言う話しはあったと耳をかさない。

石油

40年

1兆460億バーレル

天然ガス

61年

150兆m3

石炭

227年

9842億トン

ウラン

64年

398万トン


表2、総合エネルギー統計による可採年数=確認可採埋蔵量/年生産量、H13年

これには大きな誤解がある、そこで以下に資源の意味を詳しく説明しよう。
先ず「資源とは」である。教科書的だが、資源とは、

1)濃縮されている
2)大量にある
3)経済的に採取される場所にある

ものである。特に濃縮が重要で、熱力学をご存知の方は資源とは第二法則、エントロピー則でいう低エントロピー物質と言うと分かりやすかろう。これは資源では、質が大切と言っても良い。この見地から、表1は資源の一つの意味、量のみを言っているに過ぎない。
第二は資源利用の経過、時間的推移である。多くの場合、資源は採りやすい質の良いものから採集するものである。そして次第に採掘困難な費用のかかるものへ移る。
表1の石油40年は、そのような意味で見る必要がある。自噴する元気な若い油田と、老齢のポンプで汲み上げるのとでは、コストは大違いでだが、同じ可採量一トンである。今舞台は大水深、北極圏などに移りつつある。
図1はベル型をしている。これも資源問題の本質によるものであるで、これをアメリカの石油減耗を予測したK.Hubbertに因んでハバート曲線と呼ぶ。ハバートは1956年に1970年の石油ピークを予測した。それを今キャンベル等が世界に応用している。
第三は、エネルギーの質についての指標とその重要性である。EPR(Energy Profit Ratio)、EROIなどだが、これは採集に必要な入力エネルギーと得られる出力エネルギーの比、「出力/入力比」のことで、これは1.0以上でないと意味はない。今後、日本もこのような指標を整備して科学的なエネルギー論を展開したいものである。


図4 石油発見と生産量の推移、C.Campbell,(ASPO, 2004)

第四は資源の発見量である。当然のことだが、資源は発見されなければ使えない、発見が先である。図4には過去の石油発見量が、棒グラフで示されている。凹凸が激しいが、均すと1964年となる。一方、石油の生産量は増大の一途である。
これから得られる結論は単純明快である。人類は今過去の遺産で食い潰し繁栄している。収入が減少しているにも拘わらず、浪費を止めないに似ており、貯金はいつか必ず無くなる。
しかも現実には石油の消費は今も伸び続け、世界第一の人口の中国の石油輸入量が日本抜き、人口が第二のインドがそれに続いている。そして、頼るのは共に中東である。
そこで第五が中東とは、となる。中東地域は、地球太古の大陸が分裂する過程で出来た内海、テチス海の名残である。古地中海とも言うようだが、2億年前頃にその内海に堆積した膨大な有機物が石油に変わった。当時地球は大変な温暖化時代で、二酸化炭素が今より一桁も高かく、赤道付近に長く滞在したこの内海は攪拌されず酸欠状態にあり、石油熟成に理想的であった。この僥倖が中東巨大油田群を生んだのである。
しかし中東広しと言えども、その場所はペルシャ湾岸5カ国に集中しており、その面積は中東の7%、日本のほぼ1.6倍でしかない。第二の中東がないのは、地球史上むしろ当然なのかもしれない。
今、中東の超巨大油田も老齢化し、殆どが数十才であるが、人類はそこから出される石油を惜しげもなく浪費して現在文明、繁栄を謳歌していると言える。その宴の終わりに世界第一,第二の超巨大人口国家が新しく参入している。

地球は有限:指数関数的な成長は限界に来ている

地球は有限である。その限界の中で人類だけが、無限成長できる筈はないが、どういうわけか現代人は「成長は正義」と思うようである。その頂点がアメリカだが、この超浪費国家は、世界人口の4%で、世界のエネルギーの4分の1を使う。この国はまた世界最大の債務国がであるが、そのアメリカ発のグローバリゼーションが南北格差を拡大させ、世界に紛争を広めている。そして科学技術は、マネーに仕えるものでしかなくなったようである。
2002年、ヨハネスブルグサミット最終日、アナン国連事務総長はWEHAB-Pが大切と述べた。 水:Water、エネルギー:Energy、健康:Health、農業:Agriculture、生物多様性:Biodiversity、そして貧困;Povertyのことである。これらの人類の課題に、科学技術は使われるべきと述べたのである。大変な卓見である。
これは問題解決型の発想だが、日本でIT、バイオ、ナノ、ロボット、ロケット、そして環境などが重要と言うのと対照的である。ここでは環境だけが問題解決型であり、他は手段でしかない。もちろん手段は大切だが、手段はあくまでも手段、目標が定まらなければ手段は選べない。
喩えて言えば、ノコギリ、カンナを作る技術と、それを使って家をつくる大工の技術が全く違うということである。日本で科学技術立国という意見が目立つが、本質的にはこの隘路で呻吟しているのかも知れない。これは目標喪失による停滞といっても良い。

石油の半分を使った人類:安く豊富な石油時代の終焉

ASPO (The Association for the Study of Peak Oil and Gas)の第2回会議が、2003年パリ郊外で開催された。私はアジアただ一人の出席者であった。ASPOはスエーデン、ウプサラ大学を場にC. Campbellが中心となって活動する。毎年の会議には、ヨーロッパ各地から地球科学者、企業家、環境派などが参加する。アメリカからは、ブッシュ大統領のエネルギー・アドバイザーであるM. Simmonsなども参加する。2002年、第一回会議がスエーデン、ウプサラ大学で開催されている。因みに今年はベルリンである。
ASPOの主張を要約すると、人類は既に世界の石油の半分を消費、石油生産量はピークを迎えつつある、これは20世紀の安く豊富な石油時代の終焉を意味する、いずれ近い内に石油減耗が顕在化する、となる。それをまとめたのが、図1である。
Simmonsはヒューストン在住のエネルギー投資銀行家は極めて悲観的で、石油ピークは2000年にであったと過去形で言っている。そしてアメリカは今、天然ガスの急速な減退に悩まされていると言うのである。技術的には、ガス田はガスの性質から一旦減退が始まると、崖から落ちるように早いからである。アメリカはその不足分をカナダから補っているが、そのカナダのエネルギー資源も憂慮すべき段階にある。
繰り返すが「石油ピーク」は安く豊富な石油時代の終りを意味する。最後の頼みは中東、全てに異質のイスラム圏である中東なのである。日本は、中東に石油の85%以上を依存する、国際的にも脆弱な国である、よほどの心構えがないと21世紀は大変なことになる。
この為の対策は級を要するが、戦略は短期、中期、長期と分けて論理的に考えなければならない。先ず石油減耗を正しく認識すること、そして天然ガス、石炭、原子力、非在来型エネルギーなどを戦略的に正しく位置づけることである。インフラ整備はすぐ始めなければならない。不意を突かれ社会が動揺しないよう、国家戦略を早急に策定すべきである。
自然エネルギーの位置づけも大切であるが、その前提として浪費型の現代文明そのものの見直すことは更に大切である。単純に、太陽、風車、あるいは水素社会など言うには、石油減退の問題は余りにも重大である。先ず自然エネルギーの意味を正しく認識する必要がある。
生物学者A.J. ロトカは、「エネルギーが豊富な時、高エネルギー種が栄えるが、エネルギーが乏しい時、低エネルギー種のみ生き残る」と述べた。繰り返すが世界の4分の1の使うエネルギー浪費型のアメリカ、中世の石造りの町並が残るヨーロッパ、経済のみ大国の日本、今から世界の工場を目指す中国など、来たる石油減耗時代をどう生きるのだろうか。

日本農業の見直し:脱石油の自然農法

安く豊富な石油時代が終わる時、石油漬け日本農業はどうなるのか。私は、石油減耗がむしろ自然農法へ回帰する契機となるのでは、と思っている。日本には、今も全国愛農会のように長年有機農法を実践して来た人々が大勢おられる。その経験によると、多様な自然な調和的な農業では、殆ど人工物を使わなくも農業は行えるそうである。
インドの農村には古来、「害虫」という言葉は無いそうであり、これは数千年の民族の知恵とも言うべき自然と共存する農法が伝授されている。これを「緑の革命」、近代化の象徴として持ち込まれた種子と、それが必要とする農業技術が破壊したのである。先端農業技術は、結局のところインドの自然と調和しなかったのである。そして持ち込まれた画一的換金農業は、農民を最初先ず飢えさせたのである。V.シヴァは、同様のことが第3世界の至る所で起こっていると警告している。

図5 先進各国の農耕地面積 (農水省)

自然と調和する農業、農村社会の在り方は今後の日本の重油課題である。山岳国家日本の土地の利用の在り方である。図5に見るように、日本では一人当たりの農地面積は極端に少ないが、同じ島国イギリスは日本とはかなりも違うようである。既に述べたが自給率も対照的である。
石油減耗時代を迎えて、日本に相応しい農業への転換期が来たのかも知れない。先ず75%が山岳である日本の地勢の有効利用が要である。
立体農業という言葉がある。終戦後、賀川豊彦は日本再建の柱として立体農業の導入を主張した。これに応じたのが岡山の山間に住む久宗壮であった。五反百姓の生きる道として山を多面的に利用する自然農法を研究した。椎茸、ひらたけなどの人工栽培の道を付けたのも彼である。それをキリスト教の農業伝道の一環として、日本のみならず韓国、南米の日本人移民など伝道したのである。これが日本における、立体農業を始まりと言えよう。その影響を受けているのが、有機農業を実践する全国愛農会などである。
これは一つの小規模農業の形態であり、大規模、画一的換金農業と対照的なものである。地方の特徴を生かした農業であるが、これはグローバルに拡がるBSE、鶏インフルエンザ禍などと住む世界の全く違う人間の営みである。
本来生命の糧を生産する農業に、数や競争原理を持ち込むことには限界があるのであろう。これからは農業生産者と消費者が自然と共存する道を目指す時代なのかも知れない。幸い、アメリカでも小規模農業の収益性の高さが見直され始めた。小規模農業では多種多様な農作物を作るので、全体としてのOutputは、画一農業のYieldを上回るので、収益性はむしろ農場の広さに反比例するそうである。
近年、国民の意識も変わった。内閣府の統計によれば、「物より心の豊かさ」をと願う人が、すでに国民の60%に達しており、この「物と心の意識交差」は20年も前から始まっていた。これからの科学技術も、効率一辺倒の発想ではなく、「物より知」へののパラダイムシフトも求められよう。

自然と共存する社会:自然エネルギーの推進

再生可能な自然エネルギーの推進が、これこれからの課題である。しかし太陽、風力エネルギーの本質を良く見極めることも大切、自然エネルギーには低密度、間欠性などの欠点があり、資源としての濃縮の条件を欠くからである。自然エネルギーは、このため工業の中核エネルギーとなり難い。森林、地熱なども消費が早過ぎれば、非再生的となる。
エネルギー農業も、その意味を良く考えたい。工業的な大規模農業には、大量の石油が使われているからである。また、食料問題と競合しないための配慮も必要であるが、そのような分析にはEPRが欠かせない。バイオマスとして森林の間伐材利用は、今後の森林保護に貢献する地域振興型エネルギー技術として重要視されている。海洋温度差発電、波浪もエネルギー密度が低いことを勘案して、地域利用を工夫したいものである。
再生可能な自然エネルギーは、このように多様であり、目的、地域毎の論理が大切のようである。最近ヨーロッパで急速に伸びている風力も、平坦な大陸での1500kw級の巨大風車と、75%が山岳の日本での1.5kw級の小型風車とでは、その社会的、技術的意味が全く違うのである。今年、立山連峰を望む富山国際大学に、企業の好意もより日本の大学としては初めて実用1.5kw風車が12mの塔に立った。これから発電実績の調査研究を始める予定である。また富山は三方山岳に囲まれている。豊富な急流を利用する、小規模水力も今後楽しみである。
21世紀は、20世紀型の巨大化、集中化とは逆の発想である「分散地域適応、地産地消、自家発電、草の根型」が大切であろう。「小さいことは美しい、集中から分散、教師は自然」である。

(試案)ウプサラ議定書:京都議定書支援の動き

京都議定書の遵守は、国際的な日本の課題である。言うまでもなく、地球温暖化はエネルギー問題そのものであるから、石油減耗論と無関係ではない。
図6はASPOの試算だが、IPCCの最低線すら下回るものであり、これは、人類は地球温暖化させることすら出来ないという見解なのである。キャンベル等はこれを石油減耗、ウプサラ議定書と呼んでいる。


図6 試案:ウプサラ議定書(ASPOによる、2003)

21世紀の日本とアジア:脱欧米、自分で考える

最後にまた繰り返すが、20世紀は効率化を求め、安く豊富な石油を最大限に使って物質的に繁栄した時代であった、これからは物より知恵を重視する脱石油文明の構築が最大の人類課題でとなろう。それには、自然と対峙する欧米思想から脱却して、自然と共存するアジア本来の伝統に回帰する「アジアらしい知恵」を創造したいものである。
狭い列島にすむ1.2億人の日本人が生存するには、エネルギーと食の安全保障が不可欠である。それには有限地球を生き抜く「21世紀のアジアの知恵」を構築するのである。

参照

1)「国民のための環境学」:石井吉徳、1995 愛智出版
http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/oil_depletion/nature_oildepletion.html
2)A.F.F.ボーイズ:http://www9.ocn.ne.jp/~aslan/fande21j.htm
3)ASPO:http://www.peakoil.net
4)「日本農業の明日をひらく者」:愛農学園農業高等学校後援会編、1990年 新地書房
5)「生命の樹に賭ける−立体農業のすすめ」:久宗壮、1978年(財)冨民協会
以上


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