平成17年2月13日
同年4月15日改訂

実質的に[石油ピーク]を認めたIEA:20世紀型文明の行方

石井 吉徳

1)「石油ピーク」とは
石油の価格が高騰し、世界が大騒ぎしている。この理由は中国、インドなどの需要が急増したため、或いは石油開発の投資が鈍っている、中東の供給余力が少ない、或いはこれが投機資金を呼んでいるなど、さまざまに言われている。そして石油価格が少し下がり安定すると、もう危機感はなくなるのか石油はまだまだある、カナダの重質油なども埋蔵量は膨大などと考え出す。そして価格高騰は一過性に過ぎないとの意見が幅を効かす。本当にそうなのかだが、朝日新聞は1月16日(日)、一面で「石油ピーク」をかなり大きく報道し、そして「さらば浪費社会」という記事を毎日曜日連載するようになった。大きな変化である。だが他紙は依然楽観論であり、多くの国民も「いずれ何とかなる」と思うのかもしれない。

私は地球物理学者の一人として、当たり前のように「地球は有限」と思っている。勿論、資源も有限と考え、その主張を20年も前から繰り返してきた。しかし同調者は少なかったが、石油価格の高騰のためか、私の悲観論も少しずつ理解され、浸透するようになった。翻って考えるに、日本は一つの考えに統一しないと納まらない国のようである。だがそれでは戦略性がなさ過ぎもろいものである。第二次大戦もそうだが、その画一性は今も変わらない。

しかし私は国家としての望ましい姿は、多様性であると考える、従って今回の石油問題にも、楽観論と悲観論が共に存在し互いに真剣に議論することが必要であると思いたい。色々な意見が展開される社会こそが健全であると考えたいが、残念ながら日本はそうはならないのである。この意味でも私は悲観的になる。どうしてかだが、日本は資源は外国から買えばよいと思うのか、資源と言えども市場が解決するとエコノミストは簡単に考え、技術者は技術が進歩するから大丈夫と楽観する。市場万能主義、技術至上主義の世界である。

しかしこれは間違っている。地球、自然などと言った本質的なことは市場、技術などでは解決しないのである。現代人の慢心、傲慢さと言っても良いのではないか。同様に有限地球の石油資源がいずれ減耗することは自明なのである。断っておくがこれはいわゆる「枯渇」のことではない。寿命が後40余年と言う話でもない。資源についての誤解はまだある。
資源の「質」を考えず「量」だけなのである。そのためであろう、石油が減っても重質油がある、量は膨大と言った楽観論が幅を利かすことになる。また繰り返される話として、海は資源の宝庫、海水にはウランが無限にあるなどだが、これは間違っている。海水に拡散したウランを濃縮するに膨大なエネルギーが要るからである。そこで石油の価格が上がればとなるが、このようなマネーコストでの考えは、近づけば遠のく蜃気楼のようなものである。
このような永久機関論に終止符をうったのが、熱力学の第二法則である。エントロピー則とも言われ、自然現象では常にエントロピーが増大するという原理である。エントロピー増大の流れとは、拡散、平均化、質の劣化の流れであり、これを逆にするには必ずエネルギーが要るのである。資源とは濃縮された物質、すなわち低エントロピー物質なのだが、日本で余り理解されない。今更ながらエントロピー論が必要のようである。

本論に戻ろう。石油は自然が濃縮した優れた資源、しかも常温で流体である。人類はこの石油の究極埋蔵量とされる2兆バーレルの半分を、殆ど20世紀の後半で使ったようである。まだ半分あると思ってはならない、人間は取りやすい質の良いものから採ったからである。残り半分は条件はかなり悪い質も落ちている。今では中東ですら、それほど供給余力はなくなったが、それでも最後の頼りは中東なのである。

ところでこの中東は地球史の上で特別のところである。億年単位の大陸移動が関係する。今から2億年程前、テチス海、古地中海とも呼ばれる内海が出来た。そこに沈殿した膨大な有機物が石油になったのである。当時、地球は二酸化炭素が今より一桁も多く温暖で、光合成が旺盛であったからである。しかもこの内海は攪拌されず酸欠状態であったことも石油の熟成に幸いした。このように地球史的に考えると第二、第三の中東は無くて当然なのである。しかしその中東油田も発見いらい数十年、年を取ったのである。従ってもう余り余力はないが、日本はこの中東に90%を依存する国である。今後エネルギー問題を真剣に考えるときに来ている。

更に、多くの人は気がついておられないが、石油は現代農業を支えているのである。従って石油減耗は日本の食、自給率40%の脆弱な食の安全を危うくする。そして石油は合成化学工業の貴重な原料でもある。このように、石油は現代文明の「生き血」なのである。

「石油ピーク」の意味
「石油ピーク」について反論は多い。そこで論より証拠、石油に関する権威ある機関の一連のグラフに物語ってもらおう。図TはExxonMobilの資料を基に、ASPO:The Association for the Study of Peak Oil and Gassがまとめたもの、石油発見量の減退が明確である。する一方、生産量の増大するのみであるから、最近の需給ギャップはどんどん拡大する。

もう中東の話でお分かりと思うが、石油は超巨大油田に決まるので図の凹凸は激しい。だがこれを均すと1964年がピークとなる。人類は過去の資産を食いつぶして繁栄しているのである。これが長続きするはずはない、これが結論である。



図1 石油発見の歴史と生産量、ASPO:2005

これを「石油ピーク:Oil Peak」論と呼び石油生産はピーク後、緩やかだが確実に減退することになる。「石油減耗:Oil Depletion」である。これを世界に訴えているのが、ヨーロッパの識者な集まりASPOであり、その創始者が石油地質学者のC.キャンベルである。

IEA報告WEO2004から学ぶこと
図2はIEA,国際エネルギー機関による過去、未来予測である。この図で、現存油田の生産は2005年ころから急減する。その減退を補うのが、先ず一層の生産向上であり、そしてEOR(Enhanced Oil Recovery)、つまり高度の回収率技術となる。Non-conventional、つまり非在来型の原油がその次で、最後に新規油田に期待する、という見解と読める。しかし現存油田からの生産がもっとも重要視されているが、その量は2010年以前から減退するとしているが、これは先の図1と本質において整合する。すなわちIEAは陽には言っていないが、結果として「石油ピーク」を認めている。

 


図2 IEA WEO2004

「Ghawar is dying」、今囁かれる英語の3文字だが、この意味がお分かりの方は相当の専門家である。世界最大のガワール油田、サウジの生命線が死につつある、と言う意味である。このガワール油田は1940年代発見されたもの、かなり老齢であるが、今も450万バーレル/日の生産量を誇り、世界最大の産油国サウジアラビアの6割にもなる突出した生産量である。だが、その生産には自噴圧力の維持のため700万バーレル/日の海水が圧入されており、日量100万バーレルの水を随伴するのである。これを常態と見るか老衰と見るかで、意見は分かれているが、今後の推移がそれを教えるであろう。

老齢化は隣国クエートでも同じである。世界第二のブルガン油田、湾岸戦争当時放火された油田の発見はさらに古く1930年代である。このように中東にの主要巨大油田には老齢が多い。図3は世界の主要油田の埋蔵量を円の大きさで表し、発見、生産そして残存量の推移を線で示したもので、横軸は年代である。これに見るとおり中東の油田の大きさは他地域を圧倒している。イギリス、ノルウェーなどの北海油田全体は中東の中程度の油田にも満たない。中国最大の大慶油田の小さも理解されたい。


図3 世界の油田発見と石油生産の推移:理解すべき中東油田の意味、その巨大さと老齢化
円の大きさで油田埋蔵量を表現、最大がサウジのガワール、次がクエートのブルガン油田、横軸は年代「石油の開発」(1983/6:石油鉱業連盟)

石油企業の見解
次は代表的な巨大石油企業ExxonMobil社の報告である。図4だが、石油需要にどう供給が応えるかで基本的に図2のIEAと相似である。現存油田の生産は年率4〜6%で減耗すると述べている。その一方、世界の需要は伸びるので需給ギャップは益々広がることになる。表現こそ違うが「石油ピーク」を容認している。

そこでExxonMobilは今後投資を増やし新油田、非在来型を発見、開発すると強調している。また技術開発にも力を入れるという。これは現状を認識しての楽観論のように見えるが、基本的に石油減耗論といえよう。


図4 ExxonMobil The Lamp 2004

そして最後が図5である
先に述べたASPOの見解「石油ピーク」、「石油減耗」である。 図1、4図と本質的に整合しており、いずれも同じことを言っている。

図5 世界と各石油地帯の石油生産量推移と予測(キャンベル1998年)

世界の生産量の過去、未来はベル型をしている。これは元シェル石油の研究者の名に因んで、ハバートカーブと呼ばれる。ハバートは1956年、アメリカ48州の石油生産ピークが1970年に来ると予測して有名となった。この考えをキャンベルが世界に応用したのが図4である。これにも見るとおり曲線の頂点は滑かであるから、具体的な2004年にはそれほどの意味はなく、「石油ピーク」は2010年より前、かなり早いと理解すればよい。

だが反対は根強く石油埋蔵量は今も増えている、究極埋蔵量も2兆バーレルではなく3兆バーレルである、最近では非在来型の重質油も入れ不安はないというが、楽観論の殆どは「資源の質」のことを忘れている。「質」を下げれば、資源量は見かけ上いくらでも増やせるのである。再び図1を見ていただきたい、石油発見と生産のギャップは拡大するばかり、これが現実である。これから「高く乏しい石油時代が来る」のである。

2)日本はこれからどうなる
石油の技術進歩している。問題はそれを発揮する有望地が殆どないことである。勿論これららも中小油田は発見されようが第二の中東はもうない。そこでペルシャ湾を囲む5カ国、サウジアラビア、イラク、イラン、クエート、アブダビ首長国連邦が益々頼りとされるが、これらの国々は皆イスラム圏である。地政学上の特徴を日本人はもっと理解すべきである。

だが石油が無くても天然ガスがある、と楽観論は続くようだが、最近分かったことだが天然ガスも無限と言うには程遠いようである。今アメリカは予想に反して、急激な天然ガスの生産減退に悩まされている。アメリカのブッシュ大統領のエネルギー顧問と言われるM. シモンズは、陸域の「天然ガスピーク」は1973年であったと述べているほどである。井戸あたりの生産量がこの年が最大であったからである。
そしてアメリカは今天然ガスの供給維持に懸命だが天然ガスは気体である、減退が始まると崖から落ちるように早いそうである。そこで世界的に、天然ガスピークは2020年頃との意見に信憑性だ出てきた。

更に付け加える。天然ガスは石油代替とはならない。それは石油のように常温で流体でないからで、まず運輸に向かない。そこで液化となるが、そのエネルギー損失は65%にも達するというのである。

質がすべてのエネルギー資源
前にエネルギーにおいて質がすべてと述べたが、その質は「出力/入力エネルギー比」で考えるのが分かりやすく、しかも科学的である。その代表的な指標にEPR: Energy Profit Ratioがある。


図6 各種のエネルギー源のEPRと運輸(BJ Fleay、Murdoch University, Western Australia1998)

図6は石油減耗の影響を真っ先に受ける分野、運輸を念頭にしたEPR比較である。巨大油田はEPR60と高いが、オイルピーク時の1970年頃、アメリカでのEPRはまだ20であったが、生産と共に低下し1985年には10を下回っている。最近ではEPRは3程度になったそうである。
原子力発電のEPRは、この図で見る限り極めて低いが、一方原子力関係者は50という数字を上げている。この一桁の違いを分析することはが、今後極めて重要となろう。

3)「高く乏しい石油時代が来る」:求められる戦略思考
ペルシャ湾岸の中東地帯、カスピ海を囲む中央アジアは石油のメッカ、今世界が着目する紛争、不安定なところである。そして南シナ海も石油がらみでキナ臭いところである。ここは日本、中国、そして韓国への重要な石油搬出ルートに当たる。中央アジアのフガニスタンもそうである。資源は生産されるだけでは意味はない、搬出され始めて輸入国は使えるのである。

石油は今第三次の石油戦争と言われるくらいであること、イラクなどを見れば理解できよう。日本はその意味で暢気な国である。各国が国家の生存をかけて石油に執着するが、それは石油が他のエネルギー源とは、較べものにならないほど優れているからである。繰り返すが先ず常温で流体、エネルギー密度が高く、合成化学原料としても優れているなど、際だって優れた良質の多目的資源である。このことは石油無しの世界を想像すれば、直ちに理解されることである、そのため昔から世界は「水、食料、石油」で動いてきたのである。日本の国家戦略は本来この視点で考えるべきであること、第二次大戦の苦い思いでを忘れてはならない。

石炭、原子力をどう見るか
石油の減退には、今から備えなければならない。現代工業社会の浪費体質は改めるとして、石油減耗を補う集中エネルギー源は先ず石炭、原子力であろうが、これは容易ではないのである。社会インフラがそうなっていないのである。先ず石炭だが、今から100年ほど前、世界は石炭から石油に移った。石油がより優れていたからである。従ってその逆は簡単には進まない。その上地球温暖化も加速されよう。

ウランも有限な地球資源である。一般に気づかないが、原子力もウラン鉱山での採掘、精錬から発電、そして廃棄物の処理まで全てを石油に支えれている。脱石油規模の原子力をとなれば、原子炉の数を一桁も増やす話となる。放射性廃棄物の処置は更に厄介となる。原子力は関係者が言うように、石油後の救世主となり得るのだろうか。
ウラン資源量からは増殖炉は理論的には避けて通れないが、フランスはこの路線から撤退しつつあるようであり、日本も「もんじゅ」の苦い経験がある。今後、技術面、国民のコンセンサスの両面で真剣に検討すべきかも知れぬが、容易ではなかろう。このためにもEPRのような科学的な指標は不可欠であろう。

水素はエネルギー源ではない
21世紀は水素の時代、車は水素を使った燃料電池でという意見が強い。二酸化炭素も出ないというのである。そして水素社会が人類の未来のように喧伝されれうが、本当にそうなのか。少し落ち着いて考えればすぐ分かるが、水素は何かから作るものでエネルギー源ではない。しかも最も小さな分子である水素はリークし易くしかも燃えやすい、かなり厄介なエネルギーキャリアーであると前述のExxonMobilのレポートでは水素に否定的であり、2020年より先のことである、と述べている。
クリントン政権時代、水素推進責任者であったJ. ロムは近著で短期、中期的には水素はまだ研究対象と述べている。特に天然ガスから水素を作るのは無意味と断定している。これもエネルギー論から当然である。
サトウキビ、トウモロコシなどからアルコール、そして改質して水素をという話もあるようだが、現代農業には大量の石油が使われていることを忘れてはならない。エネルギー農業というと格好が良いが、いずれ「食糧」としての本来の需要と正面衝突するであろう。

究極的には自然、再生的なエネルギーだが
自然エネルギーは最後の切り札かもしれない、持続型はこれしかないからである。だがこれは基本的に分散型であり、石油の集中的なエネルギーの代替とならない。人類が現代工業化社会を見直すことが前提である。これはライフスタイルと変えるといったレベルではなく、新しい脱石油文明を創造するほどのことである。エネルギー基盤の脆弱な日本だが、先駆けてエネルギー改革をするくらいの心構えが要るのではなかろうか。増す大量生産指向を止める必要があるがこれは容易ではないが、国民は浪費、無駄を今からでも止められる。ここに最も簡単で最も原理的な解決法がある。
幸い最近の世論調査によると、日本国民の3分の2は「物の豊かさより心の豊かさ」と考えているようであるが。

地球温暖化と石油減耗論
地球温暖化対策は石油がまだまだあると思って、今まで練られてきた。しかし、石油ピークは思ったより早く来そうである。これを念頭においた図7をじっくりと見ていただきたい。エネルギーの累積使用量は、IPCCの最も省エネルギーを実施した場合をも下回るのである。このASPOの見解、人類は温暖化させえないのでは、という意見は2003年10月にはCNNにも取り上げられ、世界の知るところとなった。


図7 地球温暖化問題IPCCと石油減耗モデル(ASPO、2004年)


まとめ
最後に総括する。「石油ピーク」がもたらす必然とは、1)現代工業化社会はエネルギー供給減退に今から本気で対処すべき、2)浪費型社会を根本から見直すが、3)短中期には石炭だが、原子力も避けて通れない、4)究極には持続的なエネルギー源は自然、再生的なのであろうが、分散型社会が前提、5)今の石油に頼る中国をはじめとする第三世界の工業化路線はおそらく不可能、日本はそれにも備えるべきである。そして6))石油減耗から今の二酸化炭素排出はいつまでも続かない、地球温暖化問題はまったく違った国際政治、社会問題と化す、7)文明の欲求は止まるところを知らないと言うが、それを支える豊かなエネルギー源はもうない、8)最後に[Think Globally, Act Locally]、我々は今からでも出来ることは沢山ある、これは心、志の問題である。


参照
1)「豊かな石油時代が終わる」:2004日本工学アカデミー・環境フォーラム編(代表石井吉徳)、販売:丸善
2)[Woreld Energy Outlook 2004]:The Interenational Energy Agency(IEA)2004
3)[A Report on Energy Trends, Greenhause Gas Emisson and Alternative Energy] :ExxonMobil2004
4)ASPO(The Assosiation for the Study of Peak Oil) : http://www.peakoil.net/
5)私のホームページ、
「高く乏しい石油時代が来る」:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/index.html
「国民のための環境学」:http://ecosocio.tuins.ac.jp/ishii/
6)「国民のための環境学」:石井吉徳、愛智出版2001
7)「エネルギーと地球環境」:石井吉徳、愛智出版1995

以上

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