ご存知ですか? / Do you know?

環境問題について,世に様々な常識がある。しかし誤解もある。環境科学において最も大切なこと,それは自然から学んだ真実を国民に科学的に伝えることであろう.何故なら、自然環境の保全は自然についての正しい理解なしには進まないからである.環境と人間の健康においても同様、真摯な科学する心が、真の環境論理を育てるのであろう。(Y.ISHII)
(エネルギーと地球環境問題、愛智新書

2003年3月22日

地球の「オイルピーク」に関する声明

Mark Sardella: The Local Energy Assistance Project
Julian Darley: GlobalPublicMedia.com

教育界と科学界のメンバーであり、世界の石油生産のピークの研究に関与している我々は、将来の問題とその影響について、以下の声明を発表します。 

石油は限りある資源です。
石油は地質学的な過去に形成されたもので、世界のより多くの主要な石油地質学者は、回収可能な石油全体の95パーセント以上がこれまでに発見されているとしています。従って、我々は適度な確実性を持って、利用可能な石油のトータル量を知っています。この声明の時点で、我々は回収可能な石油の約半分を既に消費しており、1日当たり約7500万バレルを消費し続けます。1981年以来、我々は発見するよりも速い速度で石油を消費してきており、増え続ける消費と減少する発見の間のギャップは広がり続けています。石油は現在、発見される4倍の速度で消費されており、状況は危機的になっています。

石油は最も重要なエネルギー源です。
石油は現代文明の成長を可能にした燃料であり、工業国は現在全て、異常なまでに石油に依存しています。石油は一次エネルギー全体の40パーセント、輸送エネルギーの90パーセントを供給しています。農業、化学、製薬業、殆どの衣類産業、また他の多くの産業において、更に重要です。石油の物理的、及び化学的な万能性はその高エネルギー密度と相まって、他の既知エネルギー源が十分な、または適切な代用品として役立たないほどのものです。要するに、石油は産業界の生き血なのです。

世界の石油生産は、ピークに達しています。
この問題に関する50年間以上の研究と分析の結果、世界の産油国が石油を生産することができる速度が最大限に達した、または非常に近いレベルに達しているということが現在明らかになっています。これが「オイルピーク」が意味するものです。大きな努力と消費により、現在の石油生産のレベルはおそらくもう数年間維持することができますが、その後の石油生産は変えることができない減少を始めるに違いありません。この減少は我々の物質界を管理する自然の法則が保証する確実なもので、いかなる科学、技術、工学をもそれを防ぐことはできません。限りある資源の消費は有限の努力でしかあり得ず、また、減少の開始を遅らせる試みはより急激でコントロールの効かない減少を保証するだけです。

オイルピークは、世界を不安定にする大きな影響力です。
差し迫った石油生産ピークの前兆は、我々の経済、環境、及び地政学に既に影響を与えています。供給の厳然たる制限は、現在最も微細な混乱にも極端な価格反応を示している石油市場を不安定にします。より高い石油価格は、支出できる収入を減らすと同時に消費者物価を上昇させることにより、経済を傷つけています。環境規制の緩和、よりデリケートな野生生物保護地域での掘削、石炭や核技術への移行を通じて弱まった経済を支える努力は、環境に対する懸念を高めています。また、現在50を越える石油産出国で減少がみられるなか、石油に富んだ中東に置かれた焦点は劇的に鋭くなりました。中東の国々は伝統的に、生産を増加させることで逼迫した石油市場を緩和することができましたが、中東自身がオイルピークに近づくと共に、提供できる緩和が制限され、一時的なものになっています。それにもかかわらず、多くの国々が中東の石油に極度に頼るようになり、この地域における紛争の地政学的利害関係は過去最高レベルに達しています。

解決策はサイエンスに基づいていなければなりません。
熱力学の法則や物理学は、ビジネスや経済学に相反し、この危機を通して我々を導いてくれるに違いありません。公開市場は、様々な代替技術の重大な技術的制限を予知することができないため、重要な資源の枯渇に対処するようには装備されていません。例えば、天然ガスはそれ自体有限の資源で、北アメリカでは既に減少しています。水素はよく万能の方策と言われますが、水素は一次エネルギー源というより、むしろバッテリーのようにエネルギーを運搬するものです。そのため、水素は厳密にはエネルギーを損失するものです。核エネルギーを7倍増加して石油の代替とすれば、重大かつ高額な廃棄物問題が発生するでしょう。太陽、風、地熱、及びバイオマスを含む再生可能なエネルギーは奨励されるべきであり、またそれらの大規模な配備の可能性を評価しなければなりません。既に証明されていてもいなくても、まだ研究所の中にある他の技術をこの問題が決定づける時間枠内や規模で展開させることは非常に困難かもしれません。

我々は、世界の全政府がこの問題に非常に真剣に取り組むよう、呼びかけています。
石油ピークは不可避です。最初の警告はほぼ半世紀前に公になり、石油地質学者たちはそれ以来ますます、世界の石油供給に対する懸念を示してきました。1995年以来、ベテランの地質学者のグループは、徹底的な分析に基づいた非常に特定された警告を発しています。我々は、今その声が聞かれるよう求めます。最初の対応は、消費の決定的な削減、及び世界の油田の大きさの徹底的な再評価を含んでいなければなりません。維持できる将来を作るのに参加できるよう、いずれのコミュニティーもこの問題に関して通告されていなければなりません。

オイルピークは現代文明が直面する最重要の課題です。一丸となって我々の集合的な脆弱を認め、我々の文化や文明の構造をかつて試みたことがない方法で変えるために、動き始める時が来ています。我々は課題の大きさも、行動を起こさなかったことによる結果も、過小評価していません。どうか我々のこの声明を採用され、増加しつつあるこのメンバーの一員として、あらゆるレベルで働きかけて下さい。


2003年3月22日 土曜日
著者
Mark Sardella: The Local Energy Assistance Project
Julian Darley: GlobalPublicMedia.com
(msardella@comcast.net, julian@globalpublicmedia.com)
アドバイザー
Richard Heinberg: New College of California
Colin Campbell: The Association for The Study of Peak Oil
訳:志満 直実
2000-3-16、改訂3-25

リサイクルは”3番目”に大事 

”循環社会を”.昨今の流行である.しかしこれは”殆ど間違い”である.何故なら、現代の大量生産、大量消費をそのままにしておいて、全てをリサイクルしようとすれば、膨大なエネルギーの浪費となるからである.[Reduce, Reuse, Recycle]の”3R”は、この順番に重要なのであり、リサイクルは3番目である.環境保全にとって最も重要なのは.[ゴミ]になるもの[作らない、売らない、買わない]の”3ない”なのである.浪費をそのまま放置し、循環を叫ぶのは”殆ど間違い”である.

下図、環境庁国立環境研究所によると、日本の国外起源も含めた57億トンに達する膨大な物流の内、再生利用量は2.1億トンでしかない.

(環境庁、環境白書)

2000-2-19:revised 3-28
緑の部分2003-9-3

”常識は常に間違っている”:無駄のない社会の構築
Common sense is always wrong


1)”常識は常に間違っている”、最近私はこの言葉を好んで使っている.それは閉塞的な日本を変えるために今最も相応しいと考えるからである.現在、日本の国家組織には様々な[甘えの構造]が[制度疲労]と共に蔓延し、本来営利が目的の企業ですら国に頼りつつ、リストラと称して簡単に[人を捨てる].今の日本、捨てられるのはゴミだけではない.そして国民は満足に説明されないまま税を払い続けるが、もう疲れ切っている.

最近、国際化、グローバリゼーションの名のもと、アメリカの仕組みが日本に輸入されてる.日本は殆ど無批判に受け入ているようである.”マネー敗戦”という、骨のある書がベストセラーになるのも、国民のいらだちの現れなのかもしれない.そして最近、”公用語を英語に”と言う人すら現れた.困った国際感覚、太平洋戦争後方向を見失った当時の指導層が、一夜にして変節し”英語を”と叫んだのを彷彿とさせる.今の日本に必要なこと、それは英語ではなく知的独立することではないだろうか.

 ところで”常識は常に間違っている”だが、実はこれは私のものではない."Common sense is always wrong"の日本語訳である.実は敗戦直後、トヨタ自動車を立て直すのに役立ったという[看板方式、Just in time]を考案した、Taiichi Ohno(大野耐一:1912-1990)によるものである(”Lean thinking”, J.P. Womack,1996).”Ohno”とローマ字にしたのは、この名を最近のアメリカの環境書などで知ったからである.余談だが、私は今洋書を世界最大の本屋、amazon.comから購入しているが、その理由は単純である.速くて安いからである.便利で無駄のないものは使えばよい.

 このように、世界は急速に変わりつつある.今までの古い常識は役立なくなったのである.しかし誤解の無いように言っておくが、私は歴史的なものを否定するつもりはない、また古い伝統、文化を軽んじるつもりもない.私は優れた歴史書なら内外を問わず読むし、伝統芸術、特に歌舞伎の大ファンでもある.人間の行動は歴史の流から逃れられない.正しい史観は未来を模索するときこそ必要なのである.むしろ私は現代の日本の問題とは、[史観の欠落、日本の伝統的な心の喪失]によると考えている.

2)Ohnoはトヨタ自動車の製造工程から、”無駄”を徹底的に排除する独創的な顧客優先型の工程を考案した.このOhnoの名は日本では余り知られていないが、日本語の無駄”Muda”と共に、近年アメリカで出版される環境書、例えば”Natural Capitalism,” Paul Hawken著などに、頻繁に現れる.日本人離れのした独創的な発想が、アメリカ人に共感を与えているようである.彼の主張したMudaのない工場、製造工程のあり方が、広く低環境負荷社会システムの構築にとっても参考になるからである.

考えの基本は、消費者の求める価値、valueを追求するところにある.消費者への商品の価値から発想するところにユニークさがあるのである.つまり現代の大量生産型システムに効率を求めず、工業製品あるいはサービスを利用する、末端の消費者から見た効率を優先するところに発想の本質がある.まとめて大量に製品を作らない、製品をストックしない方式である."batch and queue"を避け"flow"させる方式だが、これで企業収益はむしろ向上するという.現代の工業社会は大量生産が最も効率が良いとされているが、全体を見ると必ずしも効率的とは限らないからである.

その全体とは末端の消費者から見てのことである.すなわち部分でなく全体の工程、流れから無駄を徹底的に省けば、結局コストは軽減される.当然のようだが、実際はそうではないから、既存システムに徹底的なメスを入なければならないのである.常識は常に間違っている、との主張はこれから来ている.

3)"Muda"の排除は浪費型社会から脱却する道である.環境に優しい社会は無駄の排除が第一歩である.欧米での”Ohnoーsensei”リバイバル”の理由はここにあるが、前述P. Hawkenは、日本ではもう殆ど忘れられていると述べている.

Ohnoの[Just in time]とは、「必要な物を必要な時に必要な量しか作らない」、生産から消費までの流れつまり社会の物流において、物を上流からプッシュ、押し込むのではなくプル、引っ張る、つまり「Push からPull」の考えである。一方、現代社会はマスメディアを総動員し、最大限人間の欲望を煽るもの、これは纏めて物を大量に作り、無理矢理消費させようとすものでもある。両者は真っ向から対立する。
Ohnoの「無駄、Muda」のない[Just in Time]方式は資本主義の中核、自動車工業で成り立っている。「最も無駄をしない仕組み」が「永遠の消費者の浪費」を求める現代工業化社会で成功を収めている。奇妙なことである。
環境負荷の少ない社会とは、
「無駄のない社会」のこと、自然資本を最も大切にする社会、Natural Capitalism社会のことである。 Just in Time を社会全体に適用できないものだうか。これが自然科学者であり環境学者でもある私の願いである。

アメリカでは"Lean thinking"ともこの考えを呼んでいる.そしてMass-productionからLean productionへ転換する理念として、環境に優しい企業の指針として着目している.消費者からみて要らない物は作らない、これが持続型社会の原点と考えて行く.この[消費者からの発想]が、もともと企業人から出されているだけに興味深い.常識を常識と思ってはならない,という考えは独創的である.持続可能社会への大いなる指針である.

4)環境問題の様々な常識.思いつくままに記述する.

  • 事実と真実は同じか
     科学的な個々の[事実]と全体の[真実]が同じとは限らない.今までにも誤った常識、植え付けられた通念などは、数えきれないほどある.太平洋戦争時代、天皇は神であった.これに疑問を挟むことは許されない言論の自由が束縛された時代だが、これは軍が強制しただけではなかった.国民も自発的に互いに監視しあったのである.当時子供ながらにその恐怖を味わった。常識、世論とは本来その様なものかもしれない.下って近年のバブル時代、誰もが地価が永遠に上ると思った.
     環境問題も同様、世論形成が進みすぎ、ある見方が常識として定着すると、人々はもう自分で考えなくなる。時として社会全体が冷静に行動出来なくなる.注意すべきである.
  • いわゆる循環型の社会
     環境に優しい社会は、循環型でなければならない.これは最近の日本で、”確固たる常識”となりつつある.考えそのものは、”使い捨てに対する警告”であり結構なことであるり、反論する理由などない,[社会の正義]である.その結果、全てのゴミを再利用、再資源化しようということになる.このための技術開発がいま盛んである.市民運動も盛ん、自治体に対して積極的に働きかける.
     しかし、
    徹底した循環が”常識”となるにつれ思わぬ問題も出てきた.コストの無視である.いかなるコストをかけても再資源化、再利用すべき、プラスチックは絶対に燃やしてはならない.たとえそれがゴミ発電であっても、ということになる.
     だがこの”正論”が常に環境に優しいかどうは疑問である.無駄の多い浪費社会をそのままに、大量生産される物流を全て循環するのは、[大量循環型社会]を目指すことであり、むしろ資源・エネルギーをさらに浪費する結果になるかも知れない.
     循環そのものを目的化してはならないのである.持続可能性を目的とすべきである.
  • ゴミ問題とは
     時折立ち止まって、環境問題の本質を考えたいものである.当たり前だが、環境に優しい社会とは、ゴミを出さない,ゴミとなる物を作らない浪費のない社会のことである.繰り返すが、現代の浪費社会をそのままに[大量循環型社会]を目指すことは大変な間違いである.これは資源・エネルギー浪費社会でしかない.そのような完全社会には無限のコストがかかるものである.ゼロは無限と思うべきである。ここで欠けていること,それは正しい資源論である。改めて言う。資源とは自然が濃縮してくれた”恵み”を指す。分散し希薄なものは価値が低い。何故ならその集中にエネルギーが要るからである。現在,自治体はゴミの回収に大変な労力,つまりエネルギーを費やしている,これに市民の税が使われている。
  • 二酸化炭素と地球温暖化
     温暖化を危惧する余り、本筋を見失ってはならない.発電所の排気ガスから二酸化炭素を抽出し、深海に投棄する考えは"Muda"である.ここでは二酸化炭素削減が目的化している.また未来の水素社会をと,かなりきれいなエネルギーであるメタンをエネルギーを使って,水素と炭素に分け,水素だけ使う研究をする人がいる。炭素は何とか処分して水素だけ利用すべき、というのだが、これはどこか間違っている。21世紀,そんな悠長なことをするゆとりなどない。これからの人類の問題とはを煎じ詰めると,エネルギーと水に帰する。水は食料そのもの,そして農業でも大量のエネルギーが消費されている。
     繰り返すが,浪費社会をそのままにしての温暖化対策はあり得ない。決して温暖化問題だけが特別なのではなく、現代社会の隘路の一つに過ぎない。原理的には温暖化対策の第一歩として何をすべきか分かっている,現代人にそれを実行出来ない、利便なMuda社会に馴れきった現代人が,そのMudaを止められないのである。
    更に加えるなら、地球の気候は古より
    激しく変動してきた、人間はこれから学ぶべきであってコンピュータからではない。かって地球が温暖化したとき地球は砂漠化しなかったし、今も砂漠化に向かってはいないのである。
  • 南極オゾンホールは毎年消滅
     フロンのため南極のオゾンホールが年々拡大している,従って、フロンんを規制しオゾン層を守ろうということになる。これは正論、何人も反対することは出来ない。しかし,環境対策といえども理にかなっていなければならない。そのため一般の人といえども、オゾンホールとは、を十分理解しておく必要がある.
     しかし,ここでもその根本において,”間違った常識”があるようである.それは南極オゾンホールが常に開いていると殆どの人が信じていることである.これは間違いである。南極のオゾンホールは,南極に夏が来ると消滅するる.この変動は自然現象,季節変動である。その時,北極圏は冬になるから,同じ理由でオゾン減少域が出現する。しかし,それがいわゆるオゾンホールとならずあちこちに分布するのは、北極には大陸がないからである.

以上が、”間違っている常識”の代表的な例である.

2000-2-12

地球の気候はどう変ったか
過去100年と40万年
Climate chanes:
past 100 years & 400000 years

過去100年の気候変化:NOAAによる



過去40万年の気候変動、4回氷期があった(左端が現在):IGBP/PAGESによる

1999-12-5

ダイオキシン汚染、主役は農薬
Dioxin contamination, biggest source is agricultural chemicals.

横浜国立大学、中西準子、益永茂樹両教授他の研究成果

 いま焼却炉からのダイオキシン類が話題である.書店には関連の書物が氾濫し始めたが、中身のあまり変わらず個性的でないようである.これに対し、前にも述べたが、横浜国立大学、中西準子、益永茂樹両教授らのグループは、ダイオキシンに関してユニークな意見を展開している.
 以下、それを主な図表で紹介するが、一口に言えば、日本で今までに使われた農薬からのダイオキシン類は、焼却炉からのものより遙かに多く、それが長年人体に魚類などを経由で摂取されているというのである.

図1 一日当たり、ダイオキシン類の生涯平均摂取量
図2 ダイオキシン類を含む農薬の年間蓄積量


図3 日本におけるダイオキシン類の排出量


図4 一日当たり、ダイオキシン様合成物質の摂取量


表1 除草剤使用の推移


表2 環境に排出されダイオキシン類の比較
ベトナムの枯葉剤(オレンジ作戦)より多い

以上が中西グループによる研究成果の骨子だが、非常に明快であり、蛇足を加える必要もない.このような時流に乗らない、自分で考える環境研究には説得力がある.そして、農薬を大量に使う現代農業、焼却炉に偏ったダイオキシン対策に再考を求める内容である.

 実は、農薬の危険を永年警告してこられた先駆者がおられる.全国愛農会の元会長、本年90歳の小谷純一氏だが、氏は同志と共に27年も前から、農薬、除草剤、化学肥料は大地、土を滅ぼすと述べてこられた.そして言葉だけではなく、無農薬、有機肥料農法を実践されて来た.長年の経験を通して、昨今昨今話題の環境ホルモン問題は農薬が原因と喝破された.私事になるが、氏は最近完全有機栽培のミカンを一箱送って下さった.
 ワックス処理されない、光沢が無い、粒もそろわない見た目の悪いミカンでだが、味は抜群、言うに言われぬ風味があった.私は、改めてミカンとはこのような味であったと、子供の頃を思い出したのである.大量生産、画一的な工業化社会は人間だけでなく、ミカンの個性まで奪っているのだろうか.


環境ホルモン問題とその影響評価
 国立環境研究所長 大井 玄  
   

 近年,環境問題に対する我々の理解は急速に変化している。局所的な環境問題が地球規模に拡大するとともに,環境汚染・破壊の加害者対被害者の図式が錯綜化し(加害者は同時に被害者でありその逆も真),責任の所在が希釈拡散してきたことがよく言われる。それに加えて,後代へそこそこ安全な環境を残せるのかどうかと言う「異世代間の環境倫理」の問題が,我々の前にはっきりとした姿を現している。

こうした中,環境汚染が内分泌機能を撹乱させる作用を通じて,広く地球上の生物の生殖と生存への脅威となっている事態(「環境ホルモン」問題)は,こうした課題の深刻さを示唆している。先日行われた第二回「環境ホルモン」学会講演会では,内分泌攪乱による影響が懸念される人の精子の性状について,未だに恣意的側面の記述が多く,発表者の報告を比較することやどの報告結果に一番の信頼を置くべきか,判断に迷うことがしばしばであった。  

 一見して,精液の量や精子の数,運動,形を測るのは,さして難しい作業ではなさそうに素人には思えよう。原理的には一定の条件に精液を整え,位相差顕微鏡の下に,ある区画内での精子数,運動能などを観察することになる。現在では,ビデオ録画によって繰り返し観察し直すことも可能である。しかしながら,泌尿器科・不妊学の専門家によれば,話はそれほど単純ではなく,調査対象となる人々の選び方以外に,調査結果を大きく左右する様々な技術的要因があると言う。

第一に採取条件の問題である。通常,精液は数日禁欲した後に採取されるが,これがうまく守られない。中年過ぎの男性は精子数を増やそうとして大幅に禁欲期間を伸ばしたりする。また,完備された施設があれば,静かなムードのある個室でAV鑑賞などしながら,精液採取ができるだろうが,大部分の大学病院ではそんな設備があろうはずもない。共同便所でそそくさとした採取を余儀なくされるのが現実であり,こうした採取条件の違いによって,例えば精子数が大きく変化する。さらに,採取技法も影響する。ビタミンB12の投与が精子数を増加させることが実験動物で確認されているが,人体における実験では,対照群と比較してビタミン投与による差が観察されなかった。ところが,採取回数が増えるにつれて精子数の上昇が見られ,採取技法の習熟の効果があった。

 さらに観察方法に問題がある。精液採取後の保存(液化,希釈),計算板の洗浄,顕微鏡用のカバーグラスの密着などの多数の条件が誤差要因となる。また観察者の偏りも問題となる。精子の数は幾万ありとても,頭を左右斜めに振っている元気のない精子は卵細胞壁を貫通することはできない。直進する精子が必要であるが,直進か曲進かの印象は観察者によって異なるものである。

以上のような数々の技術的問題が,精液評価に関する知見を比較し,統一した見解に達することを難しくしているとすれば,誰の目にも対応方向は明らかだろう。言うまでもなく,採取や観察方法における国内的(そして国際的)標準化と精度管理が必要である。「環境ホルモン」問題への対応が成功するか否かは,関係者がいかに迅速にこうした要請に応えるかにかかってこよう。研究者が意欲的に研究を行い,その成果を発表する学会や講演会の愉しみの一つは,びっくりする様な情報や言説が得られることだろう。ただし「びっくり」の内容は,必ずしも愉快であるとは限らない。真摯な態度でこうした現実に対処していくことが大切であろう。  

執筆者プロフィール:東京大学名誉教授(医学部)(1999年、国立環境研究所ニュースより)


99-9-30

漂着する大量の[ゴミ
Drifted waste from Korea

写真は日本最西端の島,美しい対馬の井口浜である。流れ着く他国からのゴミ,その上にまた積もったゴミ。厚いプラスチックなどの堆積は30cm,足がすねまで埋まるほどである。砂浜は全く見えない、この世のものとも思えない風景に背筋に戦慄が走った。
島民はもう諦めている模様である。この対馬だが,すでに森らしい森がない。森は燃料として、あるいは木材として使い切ったと年輩の漁師が語った。いま辛うじて[鎮守の森]だけが残っており、かってこの島に豊かな森があったことを物語っている。
現在この小さな孤島に離島振興政策として,毎年巨額な土木工事費が投じられている。その結果
ツシマヤマネコは風前の灯火となる反面、建設業者の住居は小さな城のように豪壮だが,このままでは21世紀への展望は永遠に開けないであろう。

旧環境庁によると、994〜1996年度まで、ツシマヤマネコの推定生息頭数は約70〜90頭という。1970年の山口・浦田両氏の報告では、250〜300頭とされており、この25年ほどの間に激減したことになる。 以前は対馬全島に広く分布していたが、今では島の限られた地域に残るだけとなった。

ツシマヤマネコは、体重が雄3〜5kg、雌約3kg、頚胴長が雄50〜60cm、雌約50cm、尾長が雄21cm〜22cm、雌20cmでイエネコとほぼ同じ大きさである。 毛色もイエネコのキジ模様と似ているが、イエネコの場合は縞になっているのに対し、ツシマヤマネコではスポット(つながっていない小さな斑点)になっている。尾が太いこと、鼻の両側の白い縞、鼻から額・頭の後ろまでの黒い縞などが特徴である。 最大の特徴は耳の先が丸く、耳の後ろに白い斑紋があることで、野外でネコを見かけてイエネコかヤマネコかを区別する最も確実なポイントとなる。 この耳の後ろの白斑は、ツシマヤマネコだけでなく、ネコ科の動物に広く見られるが、その機能ははっきり分かっておらず、元来見通しの悪い森林に棲むヤマネコ同士のお互いの目印(特に母と子)になっているのだともいわれている。 (長崎県:http://www1.pref.nagasaki.jp/sima/html/profile/tsushima/catdownside.htmlより抜粋)

対馬は日本の縮図のようなところ。いまも日本列島中で在来型の土木工事に莫大な税を使われているが、対馬同様、未来への展望は一向に開けそうにない。ITと日本中で言うが、某政治家がいみじくも間違いICと言ったように、ICそのものなどのハードウエア、ツールのことのようである。そしてネットワーク情報化とは、光ケーブル、BS放送設備などの”物”のこととなる。毎日、テレビで放映されるのは視聴率のみを重要視する低俗番組、米国大リーグの”全放送”など、殆ど中身がない。日本での情報化とは殆どがこのような”物”、「大きな箱もの」に代わる「小さな箱もの」のようである。これが日本でいま流行の情報公共投資のようである。思想、理念、プライドなど、心を失った日本は今後どこに漂着するのだろうか。(緑の部分、2000-12-6)

この対馬のゴミ、急速に進むアジアの工業化社会から流れ着くゴミを無くすことが出来れば、いま懸案の多くの地球環境問題などは自ずから解消するかも知れない、おそらく地球温暖化も含めて。その理由は単純、その時アジアは無駄、浪費社会からの決別に成功しているからである。(この部分、2001-1-8)


Tushima Island, Iguchihama (1998 March by Y.Ishii)

Igutihama beach of Tushima Island, west most Japan, is completely covered by huge amount of drifted waste from Korea, accumulating almost as thick as about a foot
.

99-9-25

温暖化で活性化した北半球の植物 ハワイのマウナロア山で,長年大気の二酸化炭素を観測し,世界で初めて二酸化炭素の増加を明らかにした、アメリカの著名な科学者C. D. Keeling他 は,今度は96年のNature誌で,1960年頃から北半球では,植物の活性度が20〜40%も増加していることを発表した。次いで97年の同雑誌に,NASAの衛星リモートセンシングデータから,北半球で植物指標NDVIが増加していると述べた。その解析図が下図である。

 


左:NDVIの増加(%),右:NDVIの平均/(left: Increase in NDVI (%), right: Average NDVI)

ここでNDVI(Normalized Difference Vegetation Index)とは,太陽光の可視/近赤外域の地表面反射から計算される植物に関する指標である。左図が9年間の1982年から1990年までの”変化”,右がその間の”平均”である。 左図の赤い部分は,9年間に指標が25%も増加したことを示す。尚,このような研究結果は日本では殆ど報道されない。地球温暖化のインパクトには未だ分からないことが多く,論理的な対策が立てにくい。


99-7-13、改訂:2000-3-20

毎年消えるオゾンホール

  オゾン層破壊、これにフロン類が関係していること、これは科学的な事実である。オゾンを含むチャンバーにフロンを挿入すると急速にオゾンが減少することが分かっている。問題は地球で何が起こっているかである。知られていないが,いわゆるオゾンホールは季節変動している。これを先ず理解することである。次の2図を比較していただきたい。これは南極の人工衛星映像である.白い線が南極の輪郭である.


NASA/NASDAによる

 左から順に1996年10月、翌1997年1月のNASA-TOMS映像である。毎年一月、南極に夏が来るとオゾンホールは消滅する.このときオゾン減少域は北極圏に移る.冬太陽が出ないからである.この季節変動が,いわゆるオゾンホールの最も顕著な現象だが、今でも多くの国民はオゾンホールは、一年中開いていると思っている。
 このNASA-TOMSは日本の宇宙開発事業団によるADEOS衛星に搭載されたが、残念ながら機器の不具合により運用停止となった.得られたデーターは、当時毎日インターネットで国民に詳細に公開されていたが、今は見られなくなった.残念なことである.
 国民の税により運営される国家の仕事,国民にアカウンタブルでなければならない.人工衛星データはNASAがそうであるように,日本も広く一般に公開しなければならない.

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