豊かな石油時代が終わるー人類は何処へ行くのか

日本工学アカデミー発行(2004-10-20)・環境フォーラム(代表 石井吉徳)、販売:丸善

(原稿のまま図面なしです。どうぞ本屋でお買いください:1050円です)


第1章 石井吉徳

人類は持続可能か?安く豊かな石油時代が終わる

 

1.1 古代から人類は持続的ではなかった

1.1.1 レバノン杉は戻らなかった

人類は昔も今も、森を大事にして来なかった。図1−1?1は世界遺産に指定され、辛うじて生き長らえるレバノン杉、数千年の残骸です。ある日本人女流写真家が撮影したもので、これに見る通り、以前は深い杉に覆われていたレバノンの国も、今ではこの様な小さな林が所々に残るのみだそうです。このレバノン杉は、エジプトのファラオの死語の旅立ちの船としても使われました。これはスフィンクスのそばに今も残っています。

このレバノン杉の木立は、いまは石垣で囲まれていますが、世界遺産に指定され観光地となったため観光地となりました。しかし、心ない観光客は記念に自分の名を彫るそうです。そして数千年の樹齢の杉は、酸性雨にも晒されています。

レバノンの砂漠は人為的のものです。世界中で問題となる地球砂の漠化ですが、その最大の加害者は人間なのです。良く地球温暖化のためなどと言いますが、そうとは限りません。人類は農業のため森を切り開墾し、燃料に材料に使うからです。今では地球上の森は半減したのですが、この森資源の減耗は今でも続くのです。

 

図1−1−1 僅かに残るレバノン杉(撮影 川村徒最子)

 

いま話題のイラクは殆ど砂漠ですが、嘗てはメソポタミア文明発祥の地、チグリス、ユーフラテス河に囲まれた地帯は黄金の三角洲と言われ、今も残る古文書にも書かれています。人類の歴史は、森の破壊の歴史でもあるのです。J.パーリンの名著「森と文明」には、人類は常に森林の不足、つまり材料、エネルギー資源の不足に悩まされて来たとた克明に語られています。

人類の歴史を物質、日常生活から描いた優れた歴史家、フェルナン・ブローデルは中世から産業革命まで、人口は増えることが出来ず、基本的に横這いであったと書いています。森林の慢性的な不足が、人口増を妨げたからです。エネルギ?の制約が人類の増加を抑制していたと言って良いのです。例えば、中世のスペインでは、食べ物よりも薪のほうが値段が高かったという記録すら残っているそうです。人間と森については、平成7年の環境白書にも詳しく書かれています。

人間の歴史は地球の森という地球資源を巡って展開されてきたのです。人は材料、燃料として自分の森を使い切っては移動し、力で他国の森を奪うなど、資源を巡って葛藤しました。資源の制約から、人間は増えることが出来なかったのです。

人口が増加出来るようになったのは、産業革命からです。言うまでもなく科学技術の進歩によるものですが、そこで重要であったのは、人類が石炭つまり化石燃料を使い始めたからです。森に較べて圧倒的に豊富なエネルギー源であった、当時殆ど無尽蔵とも言えるこの化石燃料、石炭がその後の幾何級数的な人口増加を可能にしたのです。ほんの小さな炭坑ですら、エネルギー量では森と比較になりませんでした。

しかしこの石炭も、古代から燃える石として知られていましたが、薪炭のほうが使いやすかったのです。イギリスでも工場では盛んに石炭を使いましたが、家では石炭は汚いと嫌われ、産業革命に入ってからも金持ちは薪を使い続けたそうです。しかし一般の市民は石炭でした。産業は勿論石炭ですから、ロンドンの煙害、煤塵はひどいものでした。公害の始まりですが、この豊富な新エネルギーと科学技術があって近代工業社会が生まれ、発展したのです。

このような意味から、文明の発展と人口増は、ほぼエネルギーで説明が付くのです。「エコロジー経済学」の著者ホワン・マルチネス=アリエは、人類をの営みを考えるときその中心にエネルギーを据えても、失うものは極めて少ないと述べています。本文でエネルギーを主題にするのは、このような理由からです。例えば水ですらエネルギーが無限であれば、海水から淡水をいくらでも作ることが出来ます。そして、この水を使えば砂漠でも農業が可能です。

すでに世界人口は63億人と巨大です。しかも毎年7000万人も増加します。しかし地球は有限、資源には限りがあるのです。このような理由から、21世紀は人類がこの地球の限界にどう向き合うかが最大の問題となります。しかし、未だにこの限界そのものを認めない人が多いのです。特に、主流の新古典派資本主義に立つ人々は、競争至上主義、市場原理のもと、経済成長は無限に続けられる、続けねばならないと考えるようです。これには地球、自然が原理的に入りにくいのです。その結果でしょうか、地球の収奪は留まることを知りません。本論のもう一つの主題です。

 

1.1.2 減少するタイのマングローブ林

自然破壊の根元には人口の増加があります。既に63億人であり、いずれ80億人、100億人に増えるとも言われますが、本当にそのようなことが可能なのでしょうか。資源は足りるのでしょうか。

アマゾンの熱帯森の破壊がいま話題です。地球の酸素の3分の1を供給しているこの最後の熱帯林の喪失は、世界の懸念材料ですが一向にその破壊は止められません。ブラジル政府も増える人口を吸収する場として、また経済を優先する必要性からアマゾン開発を続けざるを得ないのです。アマゾンで牛を育て、アメリカにハンバーグ用として肉を輸出しますから、アメリカ人はアマゾンの森を食べている、と言えそうです。

 

図1−1−2(撮影 大久保泰邦他)

 

同じことを日本人がアジアで行っています。エビの養殖です。タイでは沿岸のマングローブ林を伐開し養殖池が作られますが、過養殖、化学物質などの過剰投入で、養殖池は数年で駄目になるそうです。そこでまた林が破壊されますので、エビを食べる日本人は、タイのマングローブを食べていると言えるのです。

また環境に優しいとされるヤシ油は、マレーシアの熱帯林を破壊して生産されます。この矛盾に多くの日本人は気が付いていません。この事実も、環境と物流のことは日本国内だけでは考えられないことを教えます。

このように日本も含めて、殆どの先進工業国は色々な形で、第3世界の自然を破壊しています。地球資源を収奪を促進しているのです。例えばオランダはクリーンな国と言われますが、物流は海外起源、見えない隠れた物流が多いのです。また海外から製品輸入する場合でも、輸入元の国で環境を破壊してるかも知れないのです。これからは循環型社会についての論理もそのような視点、国際的な視点で考える必要があります。

 

1.1.3 限界に生きる:無限に成長はできない

人類の活動は巨大化し、文明は大いに進歩しましたが、未だ自然を守る十分な知恵を持ち合わせていません。そして今日も地球を、資源をあたかも無限であるかのように消費、収奪します。先進工業国は物を大量に生産、消費、投棄することで成り立っていますが、この現在の基本メカニズムに人々は疑問を持ち始めたようです。

しかし、これから脱却するのは現実には至難です。誰も答えを持っておりません。科学技術が発展すれば、と楽観する人も多いようですが、科学の歴史はそうではないことを教えます。最近、アメリカにおけるコンピュータサイエンスの中枢とも言うべき、サンマイクロシステムズ社の創始者Bill Joyは、"Why the future doesn't need us"のタイトルで,遺伝子組み替え,ナノテクノロジー,ロット工学など,頭文字でGNRと括られる現代科学技術の粋が持つ「不気味さと危険性」を警告しました。

"現代は商業主義の時代である。技術ー科学は技術に追従するものでしかない。次々と魔法のような新発明で莫大な富を産み出した。人々はグローバル資本主義独走の中,金銭的な動機,市場競争のプレッシャーに突き動かされ,新技術のもたらす夢を追い続けている"(Wired誌2000年4月号)。

今の科学技術が万能ではないと,西欧人すら気付いたというべきでしょうか。これからは、益々進むグローバル情報化社会の中で、人が如何に個性を再発見し、人間性を取り戻すかが大事なのでしょう。それには真実を知り、自分で考えることです。自然,地球環境問題などは分からないことばかりです、一般の人は専門家、科学者を信用するしかありませんが、彼らにとっても自然は永遠の謎なのです。科学の知恵は限られてるのです。ましてコンピュータのモデルで、未来が完全に分かるはずはないですから、温暖化の影響など地球環境の予測も永遠に確定しないのです。

だからといって問題を放置するわけにはいきません。これも大きな矛盾ですが、原理原則的な対策は分かっています。

1)[地球は有限],無限を望まない,欲張らない,

2)[物から価値へ],意識を変え,無駄:Mudaをしない,

3)[欧米の論理から独],自分で考える,

4)[知恵は無限],21世紀は,深い知的発展の世紀、

などです。

 

1.1.4 持続できない、大量生産型社会

繰り返しますが、現代文明は「大量生産、大量消費、大量投棄」で成り立っています。その維持には、大量の地球資源・エネルギーが必要です。しかし地球は有限です、いずれ減耗、枯渇します。現代の工業化社会が持続的ないというのは、この様な理由によります。

 

図1−1−3 循環社会:大量エネルギーが必要

 

図1−1?3の上で、左から右への一方向の流れを人類はほぼ1世紀続けてきたのです。この膨大な物流は日本国外での物流、つまり「見えない物流」ま含めますと、ほぼ57億トンに達するのです。今問題の地球環境の汚染、廃棄物はこの巨大な物流のなれの果てなのです。

そこで最近、日本で特に資源を循環させる循環型社会を構築すべきである、と考えられるようになりました。従来の一方向の物流を循環させ、資源として再利用するリサイクルをと言うわけです。

しかし循環は思うようには進みません。ゴミはむしろ増ええうばかり、日本列島は近い将来、ゴミで埋まりそうです。どうしてでしょうか。その理由は根本的には簡単です。人間が自分の排泄物にまみれて生きられないように、社会も自らの排泄物を簡単には再利用することは出来ないのです。よく自然の循環系に習う、とは言いますが、手本とする自然循環系は膨大な、太陽エネルギーで運営されてるのです。

自然系は植物から始まります。それは大気中の二酸化炭素を吸収し水を使い炭化水素、有機物を造ります。これが太陽光を使う光合成です。その植物を動物が食べ排泄しますが、様々な生物がそれを順次利用して行きます。その過程で次第に有機物は劣化しますが、それを含む大地、土壌にはまた厖大な小動物、微生物が待ちかまえており、残りの有機物を分解しエネルギーを得ます。そして最後に大気中に再び二酸化炭素となって戻ります。

これからも分かるように、この壮大な自然の流れは、太陽エネルギーが無ければ全く進みません。質の良いエネルギーなしに、循環は進まないのです。これを科学的に言うと、絶対温度6000度Kの太陽エネルギーが地球に入射し、300度Kの熱輻射となって宇宙に戻ります。地球の生態系は、この電磁波エネルギーの「質の差」で運転されているシステムなのです。ここで、エネルギーは入力/出力で保存されていることに注意しておきます。後で述べますが、エネルギー問題において、質が最も大切なのです。

このことは、人間が作る物流においても同様です。人工物を循環させるにも、エネルギーが必要なのです。本図の下に「エネルギー」と書いたのは、そのためです。この物流の分散、拡散の過程で必ず質が劣化しますが、それを熱力学の第2法則では、エントロピーが増大すると言います。

一般に自然現象では、常にエントロピーが増加する方向に進むので、この一方向性は絶対的なものです。この過程を逆に進めるには、必ず、それ相当のエネルギーが必要であり、単純にゴミから資源、あるいはゴミから合成石油をなどというのは、必ずしも正しくはありません。循環に向くゴミ、そうでないゴミがあるのです。

これを言い代えますと、エネルギーさえ十分であれば、循環は殆どあらゆる場合で可能である、と言えるのです。

 

1.1.5 人類は何処へ行くのか

21世紀の人類は何処へ行くのでしょうか。これは本当に大問題ですが、まだ誰にも答えられません。しかし超長期的にはかなり確かなことが言えるのです。

図1−1−4は1970年代の石油ショック時、米国のオレゴン州知事が作ったもので、悠久の時の流れから見れば、現代文明は「化石燃料時代」と位置づけられる、ほとんど「インパルス」のようなものである、と言うものです。すなわち現代工業文明は、1万年という時間スケールでみたとき、ほんの一瞬でしかないということで、これは米国の女性評論家H.ヘンダーソンの文明論に引用されていました。(Henderson H.(1996, first published in 1978、「Creating Alternative Future : The End of Economics」

 

図1−1−4 一瞬でしかない現代の化石燃料時代(出典:オレゴン州政府、1975年)

 

21世紀はこの次元で考える必要があるようです。化石燃料に代わる、本格的なエネルギー源を人類は持ち合わせていない以上、限られた地球で人類だけが、永遠に成長できるはずはないのです。「常に膨張する社会」はもう限界とヘンダーソンは言います。

しかし、現実の社会はそうはなりません。日本では今は不況である、もっと消費を、公共投資をと限りない要求が出されます。これも個々の立場ではもっともなところもありますが、永久にそうはいきませんので、原理原則的な視点に立つと本図のようになるのです。これは「時間軸上の洞察」が大切で、重要なことは長期、中期、短期、どの立場に立つかです。そうでないと議論がかみ合いません。

 

1.2 安く豊富な石油時代が終わる

アメリカのサイモン学派、新古典派資本主義の立場に立つエコノミスト達は、地球資源問題と言えども市場が解決する、資源が不足すれば価格が上昇するので探査、開発技術が進歩し、新資源はいつまでも見つかると主張するようです。このような視点に立つ彼らは、限界そのものを認めないのです。そして市場、マーケットが全てを解決すると考えるのです。日本でもこレニ沿った見解がが社会の要人から繰り返し出されます。勿論、エネルギーも例外ではありません。

一般にエネルギー資源の寿命は、年間生産量で割った可採年数で示され、例えば資源エネルギー庁が毎年出す「総合エネルギー統計」では石油が43.3年、天然ガスでは61.6年、石炭はこれより一桁長く231年などとなっています。原子力燃料ウランもその寿命は73年と有限です。

これが世間で言うところの「資源の寿命」ですが、現実社会においては資源の需給は、その時々の政治、国際情勢などによって左右され、その入手可能性は単に可採年数によって決まるものではありません。供給不安と見れば売り手市場となるなど、地政、政治力学が重要です。イラク戦争にも石油が大きく陰を落としていることは、今更言うまでもないでしょう。

最近の石油価格の高騰は、以下に述べる「石油減耗」が深く関係していると考えられるのです。日本も地政学的な視点で、地球資源、エネルギー、食料問題を、戦略的に考えたいものです。

 

1.2.1. 石油減耗論:ハバート曲線と石油ピーク

日本では殆ど知られていませんが、いま世界では石油生産量がかなり早い時期に減退に向かう、石油減耗論、石油ピーク論が話題です。2003年11月には、イギリスの Nature誌が[Hydrocarbon Reseves]と言う特集で石油減耗について警告をしました。

石油ピーク論とは、石油生産量は今後10年以内、天然ガスは20年以内にもピークを打つ可能性があるというもので、これは石油文明が大きな転換期にある、現代工業化社会、石油に依存する農業も要注意である、ということを意味します。これが石油ピーク「Oil Peak」、石油減耗論[Oil Depletion]です。この考えは決して新しいものではありませんが、近年それが世界的に顕在化しているのが問題です。 

1956年、シェル石油の地球科学者ハバート(M.K.Hubbert)はアメリカの石油生産は、1970年頃にはピークを迎えると述べました。このれは当時、大変な非難、反撃を受けたそうですが事実1970年、アメリカの石油生産量はピークに迎えたのです。その後、アメリカの石油生産量は再び上向くことはなく一貫して減退し続けました。ハバートは正しかったのです。

その予測理論曲線を、今ではハバート曲線と言い、ピークをハバート・ピーク、或いは石油ピークと呼ぶようです。原理的には、この曲線は一種の石油生産量の予測理論で、これには過去の石油生産量と可採埋蔵量に関する膨大な統計的データが用いられており、一見単純に見えるカーブも、科学的データな厖大な資料と資源についての深い洞察に基づいているものです。

 

図1−2?1 世界の石油生産量:過去と未来、ハバート・ピーク(C.J. Campbell)

 

そして現在、世界の油田探査に従事した石油地質学者C.J.キャンベルがハバート理論をの考えを世界に応用しました。図1−2−1がその例です。ここでは2004年が「石油ピーク」となっておりますが、これに見るように、ピークは滑らかですから具体的な年度はそれ程重要ではなく、今世界石油生産量がピークにさしかかっている、ことが大切なのです。概念的には2010年より前に減退が始まる、と言うことです。

これには勿論、多くの異論があります。その典型は石油の予測はいつも当たらない、価格が上がれば技術が進歩するから大丈夫、専門家は40年前も、あと40年と言った、などです。また石油ショック時も、世界中が大騒ぎをしたが、その後省エネルギーで何とかなったではないか、と言うものです。

しかし石油ショックの時と、今では大変大きな違いがあるのです。それは1970年代の石油危機は、後で分かったように全く政治的な理由によるものでした。しかし今の石油減耗論は石油地質学など、地球科学的な理由によるものです。原理的な地球の有限性に原因があるのです。

長い年月で見れば、石油のみならず地球資源はいずれ枯渇するのです。これが有限地球観であって、大量生産型社会は永続するはずはないのですが、専門家ですらそうは考えません。石油が無くなってもオイルサンド、オイルシェールなどの重質油がある、石炭、原子力もあるからと言います。特に原子力は無限、と思う人が少なからず日本にいるのは本当に困った事です。なぜならウランも「化石的」な資源でしかなく、長い地質年代をかけ自然が地中に濃縮したものだからです。海水ウランという人が今でもいますが、海水に溶存するウランの濃縮には膨大なエネルギーが要ることを忘れています。

改めて、資源とは自然が濃縮したものです。これが先ず大切で、そして「大量にある」、「経済的に取り出せる所にある」ものを資源と言います。例えば、太陽エネルギー利用が思ったようには進まないのは、それが濃縮されていないからです。海洋温度差発電などは効率が低すぎる、宇宙発電が荒唐無稽なのは、その場所が宇宙だからです。

 

1.2.2 石油ピークの意味するところ

ASPO (The Association for the Study of Peak Oil)は、キャンベルが中心となったヨーロッパ14カ国の専門家グループであり、スエーデン、ウプサラ大学に拠点を置きます。彼らの主張とは、世界の石油は既に半分消費された、そして今生産はピークを迎えつつある、「安く豊富な石油時代が終わる」ということです。これが石油ピーク(Oil Peak)、石油減耗(Oil Depletion)です。

アメリカ、ブッシュ大統領のエネルギー顧問M.シモンズ(Mathew. Simmons)は世界の石油生産のピークを2000年であったと言っているのです。そして今現在、アメリカは天然ガスの生産を維持に大変と述べています。そして天然ガスの生産はボーリングを倍増しても減退を留めるがやっとで、その減退はガスは気体なので崖がけから落ちるように早い述べています。アメリカはその不足分を、カナダから補そうです。そのカナダも、エネルギー資源の急速な減退に悩んでいるそうです。

最近の石油価格が高騰していますが、これは今までとは違って、構造的なものと言われます。OPECは石油増産には同意しましたが、それ程余力はないようです。

シモンズは繰り返し「石油ピーク」はその時には気づかない、と警告しています。例えば1970年アメリカの石油ピークは、当時は誰も認めませんでしたが、後になったピークであった、と分かったのです。「ピーク」はその時分からないのは、むしろ当然かも知れません、それはその時が生産量が最大だからです。

翻って、地下資源は発見されなければ生産されません。従って石油発見のピークが問題ですが、今では世界の石油発見ピークは1964年とかなり昔のことでした。巨大油田が主役なので、発見のカーブの凹凸の激しいですが、、それを均すと1964年となるようです。

これは重大な意味を持っています。何故なら人類は40年も前のストックを、いま大量に使っているからです。残念ながら、このことに気づいている人は日本には殆どおりません。日本人は資源は、外国から買えばよい、と思うからです。

表1−2?1が、第二次大戦後の石油発見と最近の消費量です。これによると戦後間もなく、中東などの巨大油田が相次いで発見されましたが長くは続かず、最近10年間の発見量は、消費の4分の一にも満たないのです。

いわゆる市場原理は、このような地球資源などの人類の本質的な問題には無力だったようです。それは後述するように、地球史的に見ても、第2の中近東は元々無いからです。

 

1945~1970 35

1970~1990 23

1990~1999 6

1990~1999 25:年平均石油消費量

表1−2−1 世界の年間平均石油発見量と現在の消費量(10億バーレル)Duffin, BP, Amoco

 

この表に見るように、最近10年間の年平均発見量は60億バーレルで、年間消費量250億バーレルの4分の一にも達しません。この消費量250億バーレルは巨大で、最近話題のカスピ海の全量に匹敵するほどです。それが更に増えており、今では年280億バーレルとなっています。

 

1.2.3 世界の石油生産量とその予測

地球資源の限界は、今石油減耗として象徴的に現れていますが、これをどう理解するかが今後の文明の分かれ道となるでしょう。石油はまだある思って進むのか、そうではなく文明の転換期と思うかで、戦略に雲泥の差が出るからでます。昨今の石油高騰についての対策においても、石油資源の楽観論で産油国に増産を求めるのと、短期的には増産を求めつつも、悲観論に立って将来の世界戦略を考えるのとでは、論理深度、戦略のしたたかさにおいて全く違うからです。

そこで問題の深刻さをもう少し解説します。最後は中東が頼りですが、この中東も増産余力は余りないようです。各油田に衰えが見えるからです。非公式情報ですが、サウジアラビアの世界最大のガワール油田ですが、これは1940年代に発見されましたが、世界最大の産油国サウジアラビアの半分の石油を生産します。日産450万バーレルですが、実はこの圧力を維持するのに700万バーレル/日もの海水が注入されており、石油生産に100万バーレル/日の水が付いていると聞きます。

この中東に、日本は2003年には石油の88.5%を依存しており、これは第一次石油危機以来の最高水準です。国家の安全保障上危険なことです。しかし日本人はあまり心配しません。石油が無くなるはいつもの話と聞き流すのです。そこで更に続けます。

「石油減耗」とは、いわゆる「枯渇」のことではないのであって、その本質とは「安く豊富な石油時代が終わる」ことです。石油文明の終焉が来るという意味です。これは石油漬けの農業に大きな影響を及ぼします、化学工業の原料にも一大影響がでるということです。先ず交通機関への影響が甚大で、航空機は飛ばなくなり車は走れなくなります。95%以上が石油に頼る分野だからです。

頼み中東が、全く異質のイスラム圏であることも重要です。しかもこの地域は地政学上も特異であり、いま人口が急増すしています。資源は、単にお金で買う問題ではないのです。石油ショックの時最も慌てふためいたのは、日本でしたが、為す術がありまっせんでした。先にも述べたように、これからの石油減耗問題は、石油ショックのそれをは根本において違うのことを、十分理解すべきです。

 

1.2.4 資源とは、エネルギー問題とは

そこで、改めて資源問題を教科書的に解説しましょう。一般に資源を、人は採りやすい経済的なものから開発、採取します。このことは一般の再生的な資源、森林、漁業においても変わりはないのです。人間は自分周りの木から切ります。魚でも沿海から捕っていきます。そして次第に遠くのより不便な、価値の低いものへと移るのものです。

 

図1−2−2 在来、非在来型の全石油、天然ガスの生産量予測(C.J. Campbell 2002)

 

石油も発見しやすい、儲けの高い油田から開発使用します。そして今では確認可採埋蔵量2兆バーレルの半分、ほぼ一兆バーレルが残るのみです。勿論その埋蔵量にも不確定性は大きいですが、今では専門家の多くは、世界の95%は分かっていると考えています。

これからも新地域はあるでしょう。また大深度、大水深、極域など話題ですが、いずれも小規模で、不便の所でコスト高ばかりでしょう。そして開発に必要なエネルギーは確実に増え、生産される正味、ネットエネルギーは決して大きくはないでしょう。

それらの価値判断には、EPR,EROIのような価格的な指標が大切です。このような意味でも、「石油ピーク」は石油時代の変わり目なのです。2兆バーレルの最小の半分と、これからの半分では価値が全く違ってきます。EPRの値は次第に減少します。この意味から老齢化したとは言え、中東の巨大油田は貴重なのです。これからも少ない経費で、大量の石油が期待できるからです。

そこで石油に代わるエネルギー源が話題です。先ず天然ガスですが、これは気体です。発電用は問題がありません。むしろに酸化炭素の排出量が減少します。現に世界では環境付加の軽減のため、天然ガスに切り替えた発電所は多いのです。しかしその他の用途、特に輸送関係は問題です。車、ジェット機には天然ガスはそのままでは使えません。液化するなどの処置が必要です。これにはエネルギーが必要であり、社会インフラ整備も必要です。化学原料としても、天然ガスが石油とは違います。

問題はさらにあります。天然ガスも有限資源なのです。思ったより先は短いようです。既にアメリカでは天然ガス不足で価格も高騰していると既に述べますた。シモンズはアメリカの「天然ガスピーク」は「石油ピーク」1970年の3年後、1973年であったと、本年の第三回ASPOワークショップ、ベルリンで講演したほどです。今までそれに気付かなかったのは、海底天然ガス田の生産が陸の減耗を補っていたに過ぎなかったのであり、坑井当たりの生産量で見れば、1973年から減退していたと述べています。

このような理由から、アメリカでは石炭火力発電の復活が現実となっています。しかし問題は山積します。石油より不便で、環境負荷の大きな石炭の移るのです。石炭時代のインフラをどう復活するのでしょうか。

原子力がもう一つの有力候補です。しかしウランも有限資源です。市民の受容も大きな課題です。また日本では電力に占める比率は35%程度と高いですが、全一次エネルギーでは14%で、世界ではその半分程度しかありませんから、原子力で世界の一次エネルギーの全ては賄えません。まして2010年以前という、脱石油に間に合いません。

その上、今でも原子力は上流、中流、下流の廃棄物処理、そして高レベルの放射性物質の超長期保存に至るまで、全てに石油に頼らざるを得ません。それは今が石油社会だからです。核融合は更に遠い先のことです。

それだは、非在来型のカナダのオイルサンド、タールサンド、ベネズエラのオリノコタールなどの重質油はどうでしょうか。しばしば専門家が話題にします。しかし、かなり誤解があるようです。量だけに着目するからです。いずれも質が低く、ネットエネルギーで石油に到底敵いません。比較出来ないくらい程EPRが低いからです。そして資源量も限られます。その上環境保全まで考えると果たして、エネルギー源かどうかすら疑問です。繰り返しますが、エネルギーは量だけでは駄目なのです。先の図1−2ー2は、重質油なども含めた全炭化水素資源の予測で、天然ガスを入れても2020年頃にはピークとなっています。

話題のメタンハイドレートも、資源かどうか疑問です。海底下のハイドレート層とは、メタンが水和物となって不均一に拡散した固体で、石油とは違い井戸を掘っても、自噴するわけではありません。その上海底面の地滑り、メタン放出と温暖化の関係も気になります。これも来る脱石油には間に合いません。

 

1.2.5 カナダのオイルサンドと自然破壊

Oil and Gas Journal誌が、最近カナダのオイルサンドを、石油埋蔵量に入れているようです。このため石油埋蔵量が増えたと錯覚する人がいます。また産油国、石油会社などが政治的理由から埋蔵量増加のことがあります。資源量は科学的に説明されデータは透明でなければならないのですが、現実には産油国の生産枠が資源量で決められるため、或いは企業の株価対策などで左右されます。はっきりしません。

特に非在来型と言われる、重質油が誤解を招きやすいのです。

 

図1−2−3

 

カナダのアルバータ州のオイルサンドが有名です。それは揮発成分を失った石油が重質油となって砂に含まれたもので、量は膨大と言われます。しかし通常の油田と違い自噴しませんから、砂を処理して油分を抽出しますが、この仕事にかなりのエネルギーが必要です。

図1−2?3がその現場です。広大ですが、環境破壊も広範囲となります。まだ環境保全はされていませんが、元に戻すとすればそのコスト、エネルギーは厖大のものとなるでしょう。最近では地下で重質油を抽出する技術もありますが、そのエネルギーも今後の課題です。エネルギー資源において、質が重要というのにはこの様な意味からです。ある資料によりますと、タールサンドのNPRは1.5程度だそうですが、因みに若い元気な油田のEPRは、これより一桁も高く数十です。

ベネズエラのオリノコタールも有名です。地下約1000mの重質油層にスチームを送入して、間欠的にポンプで汲みますがエネルギーコストはかかります。更にオイルシェールですが、これは岩石である頁岩を採取して処理するもので、もう鉱山と思った方がよいでしょう。非在来型の重質油を少し詳しく説明しましたが、自噴する油田と本質的に違うことを理解して頂きたかったからです。

図1−2?3はオイルサンドの露天掘り現場を、地球観測衛星から観測したもので、宇宙リモートセンシング技術と言いますが、今後地球規模の分析に有効と見られます。

 

1.2.6 今後のエネルギーを考える

エネルギーの用途は、産業、民生、運輸に3分類されます。工業国日本は産業用が多く40%を越しますが、最近は横這い傾向にあるようです。一方民生、運輸が伸びていおり、一般国民の一層の省エネルギーが重要です。

最近、地球温暖化対策を根拠にして、水素社会が推進されています。水素、燃料電池技術なども過熱気味ですが、水素は二次エネルギーですから何から作るかが問題です。水素をメタンから、或いは石炭からと言う話はもありますが、これは却って二酸化炭素排出量は増大するのではないでしょうか。水素は自然エネルギーなど、再生可能なものから作って初めて意味があるのです。

水素社会の推進者でもある、アメリカのエネルギー省の元幹部J.J Romm: 2003は、近著"The Hype about Hydrogen"で過熱気味の水素社会について本格的な警告をしております。短期、中期的には車も含めた、本格的な水素社会移行は時期尚早であると述べています。当分は、色々可能性、選択肢を総合的に調査研究すべきとの意見です。傾聴に値します。

エネルギー問題はとかく立場、主観に左右されやすいものです。それだけに科学的な論理、哲学が最も大切で、エネルギー利益率:EPR(Energy Profit Ratio: EPR)、EROI(Energy Return on Investment)のような科学的、客観的な指標の普及が国策としても重要でしょう。

2004年、6月1?4日、国際的な政府間会議としてドイツ、ボンで [Renewables 2004]が開催されました。主催者発表で3000人集まったそうです。ドイツ、イギリスの首相も参加し、持続可能な発展と地球温暖化の回避には、再生自然エネルギーを積極艇に開発する必要がある、との宣言が採択されました。正論です。

しかし現実には、風力は最近かなり伸びてはいるものの、全体に占める量はまだ微々たるもの、日本のように大きな経済を持つ国での本格的な自然エネルギー社会の構築は「今のままでは」殆ど不可能と言ってよいでしょう。これからは、集中的なエネルギー社会を見直し、浪費しない、物より価値を求める低エネルギー社会を目指すべきです。

かっての高度成長時代は「大きいことは良いこと、より速く」などがキーワードでしたが、これは高エネルギー社会に通じる道でした。そして石油ショック時,徹底した省エネルギーで、日本はむしろ国際的に優位に立ったのです。しかし今度の石油減耗は、地球の限界による本質的なものです。発想を全く変える必要に迫られます。

集中から分散型社会、日本列島を最大限に利用する社会を考えるのです。太陽,風力などの自然エネルギー利用は、広大な面積を必要とするからです。

著名な生態学者Lotkaは「エネルギーが豊富な時,エネルギーを多く使う生物種が優位に立つが,エネルギーが乏しい時はエネルギー消費が最小の種のみが生き延びる」と言っています。とても教訓的です。

 

1.3 「沈黙の春」:問題は目の前にあった

R.カーソンの1962年の書「沈黙の春」は、それまでは理想的な殺虫剤とされていたDDTなどが、自然環境を破壊すると警告したもので、世界初の本格的な化学産業告発の書でした。当時化学界、企業などから強い反撃にありましたが、次第に彼女が正しいことが認識されるようになりDDTなどが使用禁止されるなど、これを機に世界の環境意識は大きく変わったのです。カーソンの比較的薄いしかし内容の濃い本が世界に与えた影響は計り知れないものがありました。

有名なカーソンの「春になっても、小鳥がさえずらない」は、もう過去の事と思われるでしょうが、実はそうでなかったのです。それは目の前にあったのです。

 

1.3.1 田園から消えたトンビ

私事なります、が私は60年程前、幼稚園から小学校まで富山で育っています。イタイイタイ病で田の土を入れ替えた婦中町ですが、子供の頃、夏には蛍が、秋にはうるさい程赤トンボが飛び、田圃にはタニシ、ヒルなどが沢山いたものです。小学校の授業でイナゴ取りをして持ち帰った、袋いっぱいのイイナゴを母が煮てたべさせてくれたのが、とても不味かったのを今も覚えています。そして小川のくぼみに手を入れると、フナが跳ねたものです。勿論メダカも沢山いました。

それから半世紀以上たってた今、富山国際大学にいます。この富山は日本では日本でも有数の稲作地帯で、農耕地の96%は水田です。田園風景は広々と、豊に見えます。遠方には立山連峰が見え、大学のキャンパスには時折日本カモシカが来るほどです。

ですがある時、妙なことに気づきました。田園が静か過ぎるのです。車以外の音が殆ど聞こえない、動くものがいない鳥もいない、蝶が飛ばなけらば虫もいない、蚊すらあまりいないのです。子供の頃は、うるさいほどいた赤トンボもあまり見かけません。そして最後に、空には「トンビが飛ばない」ことに気が付きました。

「トンビが飛ばない」ということは、食物連鎖の頂点にいるトンビの餌になる、小動物がいないと言うことです。小動物がいないと言うことは、彼らが食べるミミズ、虫などがいないということです。この発見は、私にとって衝撃的でした。考えられる理由はただ一つです。水田に撒かれる農薬、合成化学物質、大量の合成化学物質が自然生態系を破壊したとしか考えられません。

そこで大学の学生たちに聞いてみました。若い彼らですら昔はもっと蛍もいたな、と思い当たるような顔をするのです。そして家族に聞いてもらって分かりましたが、富山でも山沿いではトンビが飛んでいるそうです。しかし地元の年配者からは、蛇が居なくなったという答えが返ってきたのには驚きました。カーソンの「沈黙に春」が目の前にあったのです。

農業、食糧の生産は人間の最も基本的な営みです。「土」がその基盤ですが、現代人はいつの間にかその大切さを忘れたようです。全国愛農会(義父が指導者の一人)の有機農法実践者はいうのです、

「土」とは単なる岩石粉末ではなく、有機物を豊富に含む豊かな土壌で、そには小動物、微生物など極めて多様な生物が生きている、植物は光合成で大気中の酸化炭素を固定し自然生態系の原点であり、生育には微量栄養素である窒素、燐酸、カリなどを必要とする、自然界ではそれらは落ち葉、朽ち落ちた木々などを通して循環している、この自然の循環系を現代農業は化学肥料、殺虫剤、除草剤などの合成化学物質の大量投下で断ち切り、結果ととして「土」は次第に固まり無機化し地力を失う、

と。これが近代農業の「土壌破壊」です。農業用の合成化学物質は、石油を原料として作るものです。農業機械も石油で動いています。この意味から、現代農業は石油無しには成り立たないのです。

 

図1−3−1 石油に依存する現代農業、そして環境汚染

 

効率最優先の換金型の現代農業は、必然的に集約画一化に向かうようで、農民は自分が食べる食料すら自分で作らないのです。むしろ構造的に、「作れなくなった」という方が良いのかも知れませんが、同じ事がアフリカなど第三世界各地でも推進されているようです。貧しい第三世界の農民が、真っ先に飢えるのはこのような仕組みによるもので、近年この傾向はグローバル化によって加速されます。

 

1.3.2 石油、農業そして広域環境汚染

図1−3?1は「石油、農業、自然環境」の因果関係です。石油から作られる肥料、農薬は、日本では過度に使われ広く環境を汚染すると言いたいのです。現代の集約的、画一的農業は、生態系を破壊しそのバランスを奪うため、病害虫被害はかえって増加するそうです。それは殺虫剤などが、害虫と同時に天敵をも一掃するからで、次第に土は無機の岩石粉と化すからです。これはあまり知られないようですが、重大な20世紀型の資源枯渇と言えます。

インドの科学者V.シヴァによりますと、1970年代インドなどに「緑の革命」として持ち込まれた「夢の種子」は、結局のところ極端な高エネルギー、環境破壊型でした。インドの古い伝統を持つ自然共存型の農業、民族基盤を破壊し、マネー優先、外貨獲得優先の換金作物の農業はかえって農民を貧困に追い込むこととなり、農民を飢えさせたと、シヴァは世界に告発するのです。

伝統的社会が疲弊し、人の絆、コミュニティーが分断されたとも言っています。この意味からも20世紀型の「自然と対峙する文明」は、基本的な曲がり角に来ていると言って良いのかも知れません。

先に、現代農業は石油の大量消費の上に成り立っている、生き物のいない鳥の囀らない水田地帯は異様である、と述べました。日本ですらそうなのです。私は人間は「ある限界を超た」と思うようになりました。

日本は食料の自給率は、もう40%程度にまで低下しています。そして音のしない水田地帯で働くのは、老人ばかりです。これは先進工業国では日本ぐらいなもので、島国であるイギリスでも、工業国ドイツでも、農業は今でも若者が支えています。

また農薬漬けの水田は日本だけではありません。米が主力のアジアにも共通することです。「日本農業」を考え直すことは、そのままアジア問題を考えることになる筈です。21世紀の「社会に役立つ科学」とは、このようなものでは無いでしょうか。どこか遠くに国際的な課題があるのではなく、問題は自分の周りに、目の前にあるのではないでしょうか。この視点が「国民に真に役立つ学問、研究」の出発点となると考えます。

しかし残念ながら、日本ではこのような地味なことは、研究課題になりにくく予算も付かないようです。「田園からトンビが消えた」などと言っては、相手にされないのです。21世紀は、自然を直視する自然を大事にする研究にもっと着目する必要があるでしょう。

 

1.3.3 持続出来ない石油漬け農業

脱石油農業とは、を更に考えます。前にも述べたように現代の集約的、画一的な農業は、あらゆる段階で石油に依存します。それが先細り途絶えたとき、日本はどうなるのでしょうか。実は、人工的な石油減耗が国家にどのような影響を及ぼすかを知るのに、格好な例が2つあるのです。北朝鮮とキューバです。今和光大学の教授のA.ボーイズは、この問題を詳細に検討しています。

それによると、良く知られた北朝鮮の飢餓は、ソ連崩壊後の石油の供給切れによるもの、人為的に起こったものとしています。一部で言われるように、決して天候不順などによるものではなく、現代工業化農業の弱さが、石油切れによって露呈した典型的な例なのです。これに対し、同じ条件に置かれたキューバは、自然と共に生きる伝統的な農業に回帰し、有機農業を積極的に進め国民は飢えなかったのです。このキューバの有機農法の成功は、今世界の話題となるほど有名となっています。

これらの事例は大変に教訓的です。石油減耗によって、我が国の石油漬け農業が、どのような打撃を受けることが想像出来ます。徹底した農薬漬け、低い食料自給率、農業従事者の高齢化した、極端に人工的な日本農業はもともと問題なのです。この独立国と言い難いほどの食の脆弱性は、国土が狭いにもかかわらず、広大な大陸、アメリカ型農業を採用したためと見られます。 

このように話すと必ずと言って良いほど、食糧生産に肥料、農薬は無くてはならない、増加する世界人口を養うには不可欠である、という反論が返ってくるです。しかしここで立ち止まって考えて見たいものです。この「常識」が本当に正しいのかどうか、人工的な化学物質漬けの米、食糧が人間にとって大丈夫なのか、をです。

1996年のシーア・コルボーン「奪われし未来」は、分析技術の限界ぎりぎりの濃度の化学物質が、子孫にも影響すると述べるものです。気になることです。

日本の化学肥料の問題については、地質学が専門の大矢暁が、調査研究しています、そして、

韓国の水田で3年間、窒素肥料使用量を3分の1にした研究結果は、予想に反して米の生産は落ちなかったそうです。日本では必要量の3倍の窒素肥料が使われている可能性が高い。よく調べれば5倍の肥料が使われていると言う可能性もあると述べています。

大量に使われる合成肥料、農薬は河川を経て湖沼、海に到達します。そして水域の生態系は破壊され、過剰な窒素、リン酸などは富栄養化の原因となって青潮、赤潮を発生させます。これも日本農業の構造的な問題なのでしょうが、余り本格的な研究はされていないようです。これも不思議なことです。或いは、私が勉強不足なのかも知れませんが、それでは困るのです。何故なら国家機関は、国民に知らせる義務があるからです。

大矢は更に、東北の三春ダム水系で組織的に農薬汚染調査を行いました。その結果、広域に窒素汚染が広がっていることを確かめました。この研究も個人的なものです。困ったことと、言わなければなりません。本当に必要な「国民のための研究」が、本来そのための国家組織では行われないとすると、問題は深刻だからです。

食料自給率40%は、図1−3?2のように先進工業国の中で異常といってよい程です。同じ島国イギリスもかっては自給率が40%まで低下しましたが、その後70%台まで回復しました。

 

図1−3-2 減少する日本の食料自給率:国際比較(農林水産省)

 

日本人一人当たりの農用地面積は、図1−3?3のようです。これも先進国の中で目立って少ないのですが、だからと言って日本の国土面積が特に狭いというわけでもありません。

 

図1−3?3 食料自給率と農用地:国際比較(農水省)

 

改めて言います。日本は資源、エネルギーを大量に輸入し、工業製品を輸出し外貨を稼ぎ、そのお金で食料を外国から買っていますが、余りにも低すぎる食料自給率は、国家の安全保障上大きな問題です。これからは、食料の自給、自然との共存が国家的な課題なるでしょう。

 

1.3.4 自然と共存する農業、食の安心

表1−3?1は我が国の米作における、投入/産出のエネルギー比です。投入エネルギーは1950年から1974年まで5.14倍に増加しましたが、産出エネルギーは5割しか増えなかったようです。エネルギー産出/投入比では、かえって0.3に低下しています。これが石油漬け農業の実態で、先端的とされるハウス、水耕農業、季節はずれの農業などは、一層極端なネルギー浪費型であることにも注意すべきです。

 

1950 1974年 1974年/1950年

投入エネルギー(肥料、燃料、農薬など) 38.39 197.44 5.14

産出エネルギー(玄米収量換算) 48.72 74.34 1.53

産出/投入比 1.27 0.38 0.30

表1−3−1 水稲における投入エネルギー(GJ/ha、宇田川武俊1976)

 

大矢が言うように、肥料の大量投入が生産向上に結びつくとは限らないのです。長年、有機農法を実践した人々は、自然の多様性を生かせば化学物質を殆ど使わなくても、農業は可能だと言っています。もしそうであれば、農業従事者と消費者の双方にとって、石油減耗への対策となる上、健康上にも良いことです。

この食料生産が自然と乖離する現代社会の傾向は、農業だけが特別なのでありません。牛、豚、鶏の飼育、魚の養殖などでも人工物の過剰投与は、異常な程に進んでいるのです。本来草食動物である牛に、肉骨粉を与え狂牛病を蔓延させ大問題となりましたが、その他一般的に飼料に混入する大量の抗生物質は、耐性菌の増加となって、人間に報復しているかのようです。

生産される食料には、消費者に到達するまで更に多くの化学物質が使われています。この、安全より効率優先、マネー、市場優先主義はグローバル化によって、更には拍車がかかるようです。

 

1.3.5 1990年代、農業のみ成長しなかった

内橋克人は不況とは言え1990年代、日本のGDPは200兆円も増えたそうです。GDPがこの大きさの国は世界に沢山はないとも付け加えます。つまり、不況と言いつつも日本はかなり成長していたのでした。不況は工業、社会のシステム変革期と考える事も可能ですが、農業だけはGDPが実質で減ったそうです。日本農業の特異さ、危うさがここに現れているのいう主張です。

最近、本家アメリカでは小規模農場、家内農業の良さが見直されており、統計の取り方によっては小規模農場の方が、総合的生産性は高いそうです。小規模農業では、多種多様の作物を栽培するからで、従来のYield(単位面積当たり単作の収穫)に代わりに、Output(単位面積当たり多種の収穫)で総合収益力を見れば、小規模農業の方が優位であり、農場面積に反比例する傾向すらあるのです。

石油減耗を機に、雇用確保のためにも小規模農業は見直される必要があるようです。21世紀を迎え、農業も「集中から分散へ」発想を変える時が来たようです。 

 

1.3.6 日本の農業従事者と年齢

日本では、農業が若者に見放されています。職場として農業が魅力ないからでしょうが、表1−3?2に見る農業従事者の極端な高齢化は大問題です。この異常さは、日本の食の崩壊を意味しますが、一方ヨーロッパ諸国では、若年層が今もかなり農業に従事しています。対照的なことです。

 

日本 フランス イギリス

35歳未満 2.9 28.3 31.7

35-44 7.1 22.2

45-54 14.6 22.0

55-64 24.2 12.7 16.3

65歳以上 51.2 3.9 7.8

表1−3?2 農業従事者の年齢分布(%):国際比較(A.F.F.ボーイズ)

 

1.3.7 自然と共存する農業は可能か

石油減耗は、食料不足を招ねく可能性があります。日本も有機、自然農法を積極的に推進する必要があるのです。脱石油時代の食の安全保障ともなり、地方の雇用促進にもなり得ます。

本来、農業とは自然と共に歩む、人の基本的な営みですが、日本も含めて多くの国で近代化と共にその意味を忘れたようです。幸い今でも日本には、今でもかなりの有機農法の実践者がおられます。その経験に学ぶべきではないでしょうか。

違った立場ですが、ジェームス・シンプソン龍谷大学教授は(日経2002-7-8)、

日本の農業は国民総生産(GNP)の1.5%を占め、他の先進国とほぼ同じ水準にあるが、極めて小規模、農家一軒あたり平均耕地面積は2ha(ヘクタール)に過ぎず、これに対してオランダは20ha、米国は200haである。これからも農業改革は必然だが地理的条件、人口密度からみて、関税その他の貿易障害なしに日本農業は国際競争に耐えられそうにない、生存不能である。そこで農業を切り捨て製造業とサービス業に徹し、各国とFTAを締結することが日本国民全体の利益になるとの考えが出る、外国は勿論、日本国内からも、果たしてそれは正論なのだろうか。今ですら食料自給率はエネルギーで40%でしかないが、これ以上下げて本当に良いのだろうか。

米国農務省(2001-5)「WTOにおける農業政策改革今後の展望」によると、農産物に関する関税、補助金を撤廃した場合の経済効果は、一人当たり36ドルであるという。対してニュージーランド、米国はそれぞれ国民一人当たり156ドル、49ドルの所得増となる。36ドルで日本の農業が壊滅する日本は、安全保障上大変なことになると私には思える。この問題は自給率だけではない。中国からの食料に依存することも重大である。中国からの食料輸入はドルベースで1990年は7%だったが、2000年には14%と倍増した。工業において中国脅威論がある中、国民の生命線である食料の安全保障を等閑視して良いのだろうか。もう日本国民も真剣に「自分のこと」を考えるときに来ている、

と述べています。注目に値する見解です。

 

1.3.8 失敗したインドの「緑の革命」

シヴァはその著書「緑の革命とその暴力」で、「開発」は第三世界の伝統的農業を徹底的に破壊したと述まています。近年、第三世界に拡がる先端農業技術への不信は、WTOなどアメリカ主導のグローバリゼーションへの抵抗となって現れつつあります。それに第3世界の農民の深刻な苦しみがあるからです。

本来「緑の革命」という「開発」は、第三世界の伝統的な種に代わって、高収穫の「夢の種」を導入して飛躍的に農業生産高を増大させようという目論見でした。外貨を獲得する換金作物を、大量栽培する考えでもあり、第三世界の指導層はそれを推進したのでした。

この高エネルギー種は、大量の人工肥料、農薬、水に良く反応するものでしたが、一方において「種に合う理想的な環境」をも必要としたのです。当初は「夢の種」はインドなどで、大幅の収穫増をもたらしましたが、次第に灌漑用水は塩害をもたらし、大量使用される人工肥料、農薬などがその地方伝来の生態系を破壊する結果となったのです。何千年も培われた先祖伝来の土壌、自然、農業基盤などが徹底的に破壊されたのです。

そして肥料、農薬の購入で、それまでは自給型であった農民は、大量の借金を抱えるましたが、作る作物は換金用、外貨獲得用ですから農民は飢えたのです。豊になるはずの農民はかえって貧しくなり、借金が返せない農民は農薬を飲んで自殺するに至ったのです。

一般に競争至上の市場社会では、農作物の価格は常に低く押さえ込まれますが、これは日本も含めて世界中で構造的なことのようです。これがグローバリゼーション下の、新しい搾取構造のようで、長年の植民地がようやく終わったと思っていたら、今度は「目に見えない新しい支配、権力構造」が出来上がったのです。

本来食べ物を作る農民が真っ先に飢えるようなことなど、有ってはいけないことです。第三世界に広がる貧困を、シヴァはそう批判し増す。この構想、仕組みは人心を疲弊させ、それまでは共存してきた部族間、民族間に争いが絶えなくなったと告発するのです。第三世界に鳴り物入りで持ち込まれた「緑の革命」は、それぞれの国の農民、一般市民を却って不幸にしたというのです。

何故、「奇跡の種子」は失敗したのでしょうか。それを調べると、現代文明の病理が分かるような気がします。それは効率優先の思想、自然を改変出来るとする考えなど、欧米思想の根元が問われてきます。分かり難いことですので、もう少し説明を続けます。

エリート農業技術研究者は、例えば麦の場合、穂だけ沢山実ればよい茎などは無駄と考えます。短い方が合理的と考えたがります。出来るだけ早く育てばよいとも考えます。

一見良さそうです。しかしここに問題が有ったのです。人工的な種子は自分にとって理想的な環境、その地方の自然に無関係な環境を要求します。誤りの本質は、この「自然の無視」でした。つまり「種子を自然に合わせる」のではなく「種子に自然を合わせる」る考えです。研究農場などの理想的環境では良い種でしょうが、実際の自然では最適とは限りません。しかも、作物は画一換金型、外貨獲得型が主でした。これと対照的に、当然ですが「伝統種」は、その地方の土地、自然と調和的です。長い茎は、家畜の餌としても重要なものでした。すなわち伝統的な農法は、全てが関連するのです。

水耕栽培と言う、更に近代的な農業があります。土を全く使わないのです。これも大地を、自然を必要としない人工的な営みです。この近代農法は、土を単に岩石粉と思うのです。むしろ土は要らないのですが、自然相手ではそうは行きません。大地に大量の肥料、農薬投入すれば、土壌の多様の生命系が一掃されます。

このようにして先進的と言われる近代農業は、自然の循環系を完全に断ち切ってしまう、殺虫剤は害虫と同時に天敵も皆殺しにするのです。その結果、害虫が大量発生するようになるのです。再びV.シヴァですが、インドの地方には「害虫」という言葉そのものがないそうです。

以上からの教訓は、「奇跡の種子」の失敗は、自然に無知なエリート科学者が、「自然にも限界があ」ことを知らなかった為と思われます。これも現代人の傲慢さなのでしょう。世界で蔓延する「自然との乖離」が、人間を破局に追い込んでいるのでしょうか。

 

1.3.9 グローバリゼーション:拡大した格差

ノーベル経済学賞を受賞したJ.スチグリッツは、その著「Globalization and its discontents」で、世界銀行、WTO, IMFなど先進工業国の世界制度、仕組みを厳しく批判しています。環境を守りつつ,持続的な発展をする,この誰もが口にする言葉は、それほど簡単ではないとも主張します。

[グローバリゼーション]にたいする批判は、市民レベルでも拡がりつつあります。J.B.ショアの「浪費するアメリカ人」、A.ギデンズ「暴走する社会」などは、浪費型アメリカ社会、生き方を痛烈に批判しています。

しかし一方において、アメリカが主導する[グローバルスタンダード]は、まだまだ止まるところを知らないようです。マーケット至上主義は依然として、世界そして日本を席巻します。これをニューヨークタイムスの記者,T.L. Friedmanは、アメリカの勝利宣言のような著書"Lexus and the Olive tree"で詳しく説明します。

冷戦後の世界にあるのは"The fast world"と"The slow world"だけである、前者が「勝ち組」で全てを取る「Winners take All」と言うのです。これを支えるのが「インターネット」であり,瞬時に世界に情報が伝達される仕組みが支えると説きます。この「強者必勝の原理」に、日本も組み込まれていますすが、このような世界では、「今日の勝者も明日の敗者」、瞬時も休めないのです。これが「グローバリゼーション」であり、世界が変わったのだ、とフリードマンは言うのですが、心に寒風が吹く思いがします。

この「効率優先、勝者が全て」の「マネー社会」では、自然、環境などが入る余地など有りそうにないのです。常に後回しにされます。そこでフリードマンは、「環境に関する行動原理」もマーケットに組み込めばよいと言うのですが、本当にそうなのでしょうか。

このような指導原理で語られる、[地球に優しい人間活動を]などの美しいスローガンも、空虚に響きます。現代文明の根底に、際限のない物的成長願望、欲望があるかぎり、自然は収奪の対象でしかないでしょう。

更に困ったことがあります。「早いもの勝ちの世界」では、「科学の本質」が抜け落ちることです。それは科学の進歩には、時間が要る、知の培養の時間が要るからです。知の創造、蓄積は巨大予算と人員を投入して、一気加勢に進めば良い、というものではないからです。スピードが全ての社会では、検証されない未完成の科学的な理論、説などがメディアで、もてはやされる内に「科学的な真実」と変貌する傾向があるからです。その最近の例が、世界でヒットした「The Day after Tomorrow」のようです。今はハリウッドが、科学をリードする時代となりました。それを説明する紙面の余裕はないですが、アドバイスはこの映画を見て「自分で考える」ことです。「20世紀は,科学を育てそして殺した世紀」と、後世の人々言われないように注意したいものです。

本論に戻り、グローバリゼーションについては、国連:UNDP(United Nations Development Programme)の基本的な疑問が大変参考になります。1999年10年目を迎えた「Human Development Report」によると,グローバリゼーションによって、世界で富が偏在する傾向が益々進行しており、富者は益々富み、貧者は益々貧しくなっていると警告しています。

以下の図は、それをグラフにしたものです。

 

図1−3−4

 

見るとおり、大変な較差でこれは個人、国家のいずれにも共通する現象です。そして世界に蔓延する[金銭,物質への欲望]は、人の心を廃退させ、自然に対する畏敬の念を喪失させたと結論するのです。

この第10回[Human Development Report]には,一番最初の1990年レポートの冒頭で述べられた文が,再掲されています。以下にその平易ですが,内容の深い文を引用します。

"The real wealth of a nation is its people. And the purpose of development for people is to create an enabling environment for people to enjoy long, healthy and creative lives. This simple but powerful truth is too often forgotten in the pursuit of material and financial wealth"

[長く健康で創造的な"生"を享受できる環境],これが人類発展、本来の目的であるとの主張です。単純ですが、極めて本質的と思います。21世紀の行動原理として、心に留めておきたい言葉です。

 

1.4 大量生産型社会は持続できない

1.4.1 無駄、浪費のない社会:常識は常に間違っている

「常識は常に間違っている」と思うくらいに思って、社会を変えたいものです。人類が持続するためには、根元的な発想転換が必要だからです。

 英語では"Common sense is always wrong"となりますが、実はこれは敗戦直後トヨタ自動車を立て直した[看板方式、Just in time]を考案した、Taiichi Ohno(大野耐一:1912-1990)によるものです。"Ohno"とローマ字にしたのは、この名をアメリカの環境書などで知ったからです。

独創的な顧客優先システムを考案したOhnoの名は、日本では知られていませんが、アメリカでは日本語の無駄"Muda"と共に、環境書"Natural Capitalism," P.ホ?ケン(Paul Hawken)に現れます。日本人離れのした独創的な発想が、アメリカ人に共感を与えているようで、彼の主張した「Muda」のない製造工程が、低環境負荷社会システムの構築に参考になるからです。

考えの基本は、消費者の求める価値valueを追求するところにあり、消費者への商品の価値から発想するところにユニークさがあるのです。現代の大量生産型システムに効率を求めず、末端の消費者から見た効率を優先するのです。まとめて大量に製品を作らない、製品をストックしない方式、"batch and queue"を避け、"flow"させる方式が企業の収益を向上させるのです。

現代の工業社会は、大量生産が最も効率が良いとされますが、全体を見るとそうとは限らないからです。そして「全体」とは末端の消費者から見てのことで、部分でなく全体の工程、流れから無駄を徹底的に省けば、結局コストは軽減されるという考えです。一見、当然のようですが、実際はそうとは限りませんから、既存システムに徹底的なメスを入なければならない、「常識は常に間違っている」はこれから来ているのです。

環境に優しい社会は、「無駄」の排除が第一歩です。欧米での"Ohnoーsensei"リバイバル"の理由はここにありますが、P. ホーケンは、日本ではもう殆ど忘れられていると述べ、アメリカでは環境に優しい企業の指針として着目しています。

消費者から見て、要らない物は作らない。これが持続型社会の原点と考え等れますが、この[消費者からの発想]が企業人から出されているだけに興味深いのです。「常識を常識と思ってはならない」は独創的です。今後の持続可能社会へ、大いなる指針となるはずです。

 

1.4.2 循環型社会とその意味

いま話題の循環型社会ですが、それを推進するのが循環型社会形成推進基本法です。これには5つの重点項目があります。その最初の3つを優先順位の高い方から、並べると1)発生抑制、2)再使用、3)再生利用です。これは3R、Reduce, Reuse, Recycleのことです.。最も重要なのが、最初のReduceですが、日本では「リサイクル」が特に前面に出ています。

おそらく今の大量生産型の社会をそのままに、という期待からかも知れませんが、これは大量循環社会を目指すことで、資源エネルギーを大量の使い、力ずくでゴミをリサイクルしようと言う傾向となります。そして、環境ビジネス何兆円という話が出てきますが、これには無理があります。なぜなら地球は有限ですから、資源、エネルギーには限界あるからです。

しかし世の中はそうはなりません、環境に優しい社会は循環型でなければならない、は日本で"確固たる常識"となりつつあります。本来この考えそのものは、"使い捨てに対する警告"であり、結構なこと反論する理由などない[社会の正義]でしょうが、文字通りに全てのゴミを再利用、再資源化するとなると話は全く違ってきます。

実際、徹底した循環が"常識"となるにつれ、問題も出てきました。先ずコストの無視です、いかなるコストをかけても再資源化、再利用はするべきである、プラスチックなども絶対燃やしてはならない、となるのです。たとえそれがゴミ発電であっても駄目、となります。

この"正義"が、本当に環境に優しいのか、大いに疑問です。無駄の多い浪費社会をそのままに、大量物流を全て循環するには資源・エネルギーのさらに浪費を招く結果となるのは、目に見えています。言い替えれば、循環そのものを目的化してはならない、持続可能性を目的とすべきなのです。

私は「ゴミになるものを作らない」「ゴミになるようなものを買わない」、そして「ゴミを捨てない」を国民運動にしたいと思っています。

 

1.4.3 ゼロエミッションとその矛盾

二酸化炭素もゴミも、人間活動の結果です。物流を入り口で制限しないで、出口だけをゼロにすることは出来ない相談です。人間が排泄物を出すように,社会も排泄物、無秩序を出さざるを得ないのです。廃棄物を出さないと、システムの秩序が維持できないからです。

熱力学的に無秩序、混沌とした状態となることを、エントロピーが増加すると言います。そして混沌、バラバラ、無秩序となった状態を元に戻すことを、エントロピーを減らすと言います。しかし、これにはエネルギーが必要なのです。

分かりにくいので、更に説明します。先ず理解すべきこと、それは自然現象は常に拡散、均一化の方に進むということです。宇宙はその発生から常に膨張、拡散してきました。これが自然現象です。人間そのもの、人間活動も自然の一部でしかないのです。これは常に、発散、拡散、劣化の方向に進みます。集中、収斂とは逆向きです。

この流れの一方向性は絶対です。これを述べるのが熱力学の第2法則、エントロピー則ですが、こりのよると「自然現象ではエントロピーは増大する方向のみに進む」となります。例えば高温の熱は低温の方に、正確には環境温度まで低下します。この逆はありません。これは確率的な法則に従っていますが、これは経験から分かることです。もしこの流れの「ある部分的」で、エントロピーが減少しているとしても、エネルギーが費やされており、全体では必ずエントロピーは増加しているものです。

ここでもう一つ重要なことがあります。それは今までエネルギーと言って来た言葉の意味で、ここで言うエネルギーとは、厳密には有効エネルギーのことです。例えば、高温のガスが低温になったとします、この時でも全体ではエネルギーは保存されています。しかし高温、熱、つまり「質」は失われます。周囲の環境の温度まで温度が下ったのです。

もうお分かりでしょうが、エネルギーにとって最も本質的なのはその「質」なのです。熱力学の第2法則は、自然現象での「質の劣化」を述べるものです。一方、エネルギーが保存は、第一法則です。

すなわち、熱力学の第一法則は「量」を、第2法則は「質」を定義しているのです。熱の例から分かりますが、エネルギーに関する現象は、一過性です、再利用はできないのです。この第2法則には、質が常に劣化する、と言う意味もあり、より一般には、システムの秩序にも通用する概念で、この熱力学の第2法則の本質を理解すると、色々のことが見えてきます。

地球環境問題でも、人類が大量のな資源、エネルギーを使い物を作り捨てるので、その結果として環境が劣化するのであって、その原因には、一般市民も入るのです。かっての公害時代は特定の大工場など、点源からの汚染が主な問題でしたが、さすがに先進国ではそのような典型的な公害は減りました。しかし一方において、一般国民に原因がある地球規模問題が、20世紀の後半ななって顕在化したのです。二酸化炭素問題はその典型で、地球規模の二酸化炭素問題は、国民全てが原因を作る加害者なのです。

その対策も原理的ですが、もう分かっています。先ず皆が浪費をしないこと、浪費を続ける現代社会の仕組みは、もう人間本来の幸せ、豊かさとは無関係と思うことさえ出来れば、真に科学的で合理的な環境運動が展開出来ます。それは「足るを知る」と言っても良いででしょう。しかしこれが出来ないので、難しいのです

人間の欲望をそのままに、ゼロエミッションの"ゼロ"を文字通り実現出来ない、それは無限エネルギー社会を目指す事になるからです。地球の環境負荷は却って増え、自然破壊が一層進むからです。

さらに根本的には、現在の地球規模問題、自然環境破壊の原点は人口増にあり、今でも十分豊かな先進工業国の飽くなき浪費指向があるからです。発展途上国にも問題はあります。常に先進国型の生活を目指すようです。エネルギー需要が急増する中国、インドは2カ国で世界人口の3分の1以上を占めますが、来る石油減耗時代をどう生きるのでしょうか。

 

1.4.4 環境問題を整理すると

「持続型の発展」が21世紀の課題と言われます。繰り返して述べたように、その実現は至難ですが、「持続型の発展」というと出来そうに思えてくるものです。スローガン、言葉の怖さですが、一見分かりやすい環境問題も、その本質はなかなか理解され難いもののようです。次の式は環境影響を分解したものです。

 

環境影響=人口*(GDP/人口)*(環境影響/GDP)

 

ここで(GDP/人口)とは一人あたりの経済発展であい,(環境影響/GDP)はGDP、つまり経済発展あたりの環境影響です。例えば、経済発展を知的な発展に変革できれば、左項の環境影響はかなり軽減されます。物流は出来るだけ減らし理にかなった経済がよい、ということにもなります。

 

1.4.5 二酸化炭素対策と地球温暖化

今最大の地球規模環境問題は気候変動、温暖化でしょうが、こおれを危惧する余り、本筋を見失ってはならないと思います。温暖化はエネルギー問題そのものだからです。発電所の排気ガスから二酸化炭素を抽出し、深海に或いは地中に投棄するなどの考えでは、二酸化炭素削減が目的化しています。水素社会をという話も、水素何から作るかよく考える必要があります。化石燃料を使って水素社会を目指すのは、本末転送です。原理的ですが、温暖化対策として成すべきことは分かっています。

図1−4?1は、石油減耗論に基づいて、化石燃料からのに酸化炭素の排出を見積もると、IPCCの最低線すら下回るとになると言う結果です。ASPOはこれを元に、(試案)石油減耗議定書(Oil Depletion Protocol)を提案しています。そして石油生産の減少に合わせて、例えば、2015年には年率マイナス2.5%の消費減を目指すべきと述べています。

 

図1−4−1

 

この考えは、温暖化対策と軌を一に出来るものです。エネルギー源蒙の見地から、温暖化対策を更に総合的に進めるのは、基本的に望ましいことでしょう。この図がCNNで放映され、今ではかなりの人が知っています。

先ず成長神話を止めることが大切です。それは地球は、市場至上主義のエコノミストが望むように、無限ではないからです。更に本質的な疑問もあります。現代文明、科学技術が本当に真面目に働く市民を、労働者を幸せにしているのかという疑問です。後で述べますが、政府の統計に依りますと「物より心の豊かさ」を願う国民の方がもう多くなったそうです。ここにも未来への重要なヒントがありそうです。

 

1.5 地球社会の課題:アジアそして日本

1.5.1 地球は有限:限界の指数関数的成長

年率何%の経済成長とは、言葉としては指数関数的な表現です。これは経済が無限に際限なく増えることを、暗黙に前提としているのでしょうが、これで計る経済成長は日本のような巨大経済では、仮に1、2%と言っても、正味は莫大です。しかし、エコノミスト、企業家、政治家は、これでは低成長と思うようです。このような指導者にとって「成長は正義」なのでしょうが、これでは地球は持ちません、その象徴が、石油消費量のウナギう登りでしょうが、いつの頃からか、人類はこの「異常」を「当たり前」と思うようになったのです。

最近アメリカの地質調査所という国家機関が石油の埋蔵量が増えている述べ、多くの人がこれに飛びついています。そしてOil and Gas Journal誌はカナダのオイルサンドを、通常の石油埋蔵量に加えたのです。そして去る4月には、ワシントンで"U.S.-Saudi Relations and Global Energy Security"と題するトップレベルの会議が2国間で行われ、サウジはいくらでも石油が増産できる述べられました。しかし巨大な投資も必要とされました。これにはグリーンスパンも出席したのです。これにたいするM.シモンズのインタビューはシニカルなものでした。IEAは2030年まで石油減耗を押さえ込もうとしている、パニックを避けるためとの非公式情報も入っています。日本は公式情報だけ行動する単純な国家です。しかしこれからはそうは行きません。国民が可哀想です。本論はこのような懸念、疑問を見方をかえて、繰り返す論じるつもりです。

今のアメリカは一国主義に陥っています。しかし、この世界最大の経済大国は、巨大な債務国でもあるのです。経常収支年間の赤字は、今では5000億ドルを越えます。要するに、この国は借金で繁栄している、他人の金で贅沢、浪費をしている国なのです。これを日本などが、大量の国債を買って支えています。一方アメリカは世界通貨であるドルを輪転機を回すだけ作れます。だから無限なのです。このドルも今ではコンピュータ上の数字でしかありません。イラクはアメリカに攻撃される前、石油決済をドルからユーロに変えようとして、アメリカの逆鱗に触れましたが、このことは日本では殆ど知られていません。

このような仕組みで、アメリカは世界人口の4%で、世界のエネルギーの4分の1を消費するのです。世界一の軍事力で世界に君臨し、彼ら流のグローバリゼーションを世界に広め更に強くなります。これについてのフリードマンの説は既に述べました。

啓蒙主義が欧米人のもう一つの習性です。「緑の革命」などの一見善意に見えることが、結果として南北間の貧富格差を拡大します。民主主義と広めると称して、世界に緊張、紛争を激化させつつあります。しかしアメリカにも正論を述べる人たちが大勢いることを、改めて強調しておきます。例えば[Party's Over]の著者、ハインベルグは限界に生きる文明にあり方を真剣に述べています。最近ではインターネットで、キューバの自然に回帰した農業、社会のあり方なども、詳しく報道されています。WTOについて、何故農民が、第三世界が反対するのかもその気になればいくらでも、彼らの真意を知ることが出来るのです。

内橋克人は「剥き出しの資本主義」は、人類を幸せにしているとは限らない、これからは、「足を知る」ことが大切と述べます。

 

1.5.2 求められる問題解決型の科学技術

 2002年のヨハネスブルグサミットで、アナン国連事務総長は「WEHAB-P」が大切と総括しました。人類の生存に必要なのは「水:Water、エネルギー:Energy、健康:Health、農業:Agriculture、生物多様性:Biodiversity」である、「貧困;Poverty」の解決が人類の重要な課題と述べたのです。そして科学技術、人類の知恵は、この為に使われるべきであると結論したのです。卓見です。

この視点に立つと、日本は水には恵まれていますが、エネルギー基盤は極めて脆弱、石油減耗が顕在化すれば大変なことになりそうです。石油問題は単にエネルギーに止まらないからです。さらに殆んどの人が気づいていませんが、現代農業、日本の食生活は、最後の消費に至まで徹底した石油から作った化学物質漬けなのです。

車、飛行機も石油無しには動きませんから、輸送システムが壊滅します。車が船が動かなくなれば、食料は運べず輸入も途絶えます。化学工業の原料も石油です。何もない日本は、今から備えないと大変なことになるのです。

このような時にこそ、総合的な知恵、目的指向の戦略が国家、社会にとって不可欠なのですが、日本はこのような哲学に弱い、総合指向が出来ないようです。これは科学技術の重要分野などで、"IT、バイオ、ナノ、環境"と言うことに典型的に現れています。ここで「環境」だけが目標で、あとは手段なのです。

社会にとって手段は必要ですが、手段はあくまでも手段でしかない、喩えて言えばノコギリ、カンナと、それを使って家をつくる大工の仕事、技術は全く違うのです。その基本は、目標から手段を選ぶのです。そして最も相応しい道具を磨くのです、日本人はこれが出来ない、明治以来の欧米追従型の習性が、いつまでも抜けきらないからです。今も輸出優先、外貨獲得型で不況を脱出しようとします。これには円安が不可欠ですから日本政府はドルを買う、アメリカの国債を買うのです。

勿論、不況対策は必要ですが、もう国民は欲しい物がないから買わない、将来が不安だから貯金を消費に回さないのです。無駄な公共事業は要らないから、反対するのです。これから日本の指導層は、国民を幸せにする政策とは、そのための科学技術とは何かを、真剣に考えるべきでしょう。

先きの内橋克人は、「経済大国から生活大国へ」方針転換すべきと言っています。「安く豊かな石油時代は終わる」、文明の変換期です日本は本気で何かを、急いで変えなければならないのです。

それでは、何を基準にすべきでしょうか、言うまでもないですが、国民を安心させることです。国民はリストラに脅かされます。今捨てられるのは、ゴミだけではない「人」も捨てられるのです。ここで石油減耗が現実となったら、日本はひとたまりもないでしょう。

科学技術投資も膨大です。基本政策の第一次で2000年までに17兆円、二次が23兆円と更に巨大です。今三次が検討中ですが、その方針には先に述べましたが、疑問があります。国民は税の使われ方を注意深く見守るべきです。もう誰かに任せてはならないのです。

 

1.5.3 「量より質」:心が大切

知の創造を優先する社会とは、物が全てではない社会、足るを知る社会と言って良いでしょう。先ず強大なメディアを動員して、欲求不満を増幅する仕組みを止めさせるのです。人は物余りと共に、心が貧しくなるからです。

勝者が全てをとる市場至上主義は、アジアを始めとする途上国で、伝統的な民族の誇り、人々の絆、社会の連帯感などを破壊しています。マネー至上主は自然破壊を誘導するようです。それはマネーが全て、効率最優先社会には、人の心も自然も入らないからです。

日本も、アジアでエビの養殖でマングローブ林を壊滅させ、マレーシアでヤシ油で原生林を破壊しました。アメリカはアマゾンの熱帯林を、牛肉作りで破壊します。そして日本もアメリカ人も飽食、肥満と騒く一方で、発展途上国で1割が飢餓の境界線上にいるという矛盾、どう説明したらよいのでしょう。

そして今、利便、効率最優先の石油文明が終焉しそうです。必然的に自然と共存する道を選ぶしかないでしょう。それには今までの科学技術が役に立つのでしょうか。便利な物を作ることで発展してきたからです。21世紀型の科学技術は、量より質、本質的でなければならないのです。「物より知恵」のパラダイムシフトです。目方のある物も大事ですが、それには知恵がびっしり詰まっていなければならないのです。付加価値が大切なのであって、低価格の大量生産、ぎりぎりのコスト削減の考えは、日本は止めるのです。

  「量より質」には、自然と共存、集中から分散、理念の多様化、知恵、価値の重視、などがキーワードとなるでしょう。欧米諸国にも方向は見えていないのです。今後は自然と親しむアジアの心、アジアらしい知恵を創造するのです。情報化社会と言って情報機械の大量生産に走るのではなく、その価値を社会、市民のために生かすのです。人余りの社会で、例えば介護ロボットなどと言うのは間違いです。宇宙技術が日本を救うとも思えません。

持続的な発展という言葉も、よく考えましょう。この言葉が地球上全て同じである筈はないのです。75%が山岳である日本列島に相応しい考えは、大陸アメリカと同じである筈はないのです。アジアには、アジア特有の生存への道がある筈です。日本と共通したところと違うところがある筈です。

 

1.5.4 巨大な日本の物流

図1−5?1は日本の物流です。これには「隠れたフロー」、つまり日本に輸入される物資が輸入元の国で作る物流、国内での土木工事で発生する捨て石、鉱さいなど、隠れた物流が含まれます。これらを総合すると、日本の物流は57億トンとなり、通常の「見える物流」約20億トンの2倍になるのです。これらを全て循環、リサイクルしない限り、ゼロエミッションとは言えないのですが、必要エネルギーは膨大でしょう。

勿論これは不可能です。発想を根底から変えなければならないのです。「浪費、成長型の20世紀」の逆の、「集中から分散」、「小さいことは美しい」、「効率より自然を重視」、「量より質」、「無限の成長を望まない」、「物より価値」、「多様な民族性の尊重」、「伝統的な知恵の尊重」などがキーワードとなるのです。

しかし隣国の、人口13億人の中国では、かっての日本型大量生産社会へと邁進しています。世界の工場と言われる昨今ですが、エネルギー需要は急増し、平成12年には日本と肩を並べました。水不足も深刻、黄河は断流し、環境破壊も進んでいるようです。インドの成長も体質は同じです。

これらの国々は、日本の高度成長型を後追いしてはならないのです。発想を代えるべきでしょうすが、当分いまのまま進むことでしょう。しかし、拝金主義に翻弄されるアジアに未来は無いのです。まだ余裕の日本はアジアに率先して、脱石油文明において世界に範を示したいものです。

 

1.5.5 改めて持続可能性を考える

そこで[持続型の発展:sustainable development]を、改めて考えてみます。この言葉は、反語とも言うべき[sustain ]と[develop]を合わせた語ですから、元々矛盾があると思われます。その意味では言葉が先行しているのですが、国際政治の産物ですから致し方はないのです。そこで批判ではなく、言葉の定義を云々するのではなく、前向きに考えてみましょう。

先ず、問題は有限地球です。際限ない[発展]が在来型の[物質的な発展]だとすれば、これは原理的に不可能です。単なるライフスタイルの見直しなどというレベルではありません。繰り返し述べたように、文明のあり方を根底から見直すレベルのことです。

その上、国、民族、宗教、地勢などによって、利害が違い論理も同じではないのです。先進工業国ですら同床異夢,同じことなど殆どありませんし。しかしグループ分けは出来ます。カナダ、北米、南アメリカが一連のゾ?ンで、北欧からアフリカはヨ?ロッパが影響力の強いゾーンです。そして日本は、アジア環太平洋と共通点は多いのです。

ハンチントンが「文明の衝突」で、「文明とは宗教と言語である」と述べています。そして日本は一つの独立した文明と定義します。これは教訓的ですが、このハンチントンですら、資源が文明間の葛藤の根底にあることに気付かないようです。これに対して「Resource War」の著者、M.T.クレアは明解です。水と食糧と石油で世界の動くというのです。そしてアジアでは南シナ海がエネルギー地政学の上で緊張があると警告します。

世界に広がる宗教、民族の対立、世界の分極傾向の下で[環境と人間活動の調和]をどう図るかです。日本人は、科学技術が進歩すれば、アメリカと仲良くすれば、などと考え勝ちですが、それには世界に通用しません。自分のことは自分で守るのです。持続型の発展とは、世界全体の視点も重要ですが、自国の持続可能性が先ず緊急の課題です。自分が守れないで、他国の持続可能性は考える余裕はある筈もないからです。持続可能性とはこのような視点、世界戦略の上での総合的な視野が不可欠なのです。

一方、"Think globally, act locally"と言う言葉もあります。例えばペットボトルの水を買わない、無農薬の食物を選ぶ、自転車に乗る、出来るだけ歩くなどは今からで出来ることです。

今日本では循環社会へと、国民的な運動が展開されていますが心配もあります。先にも述べましたが、文字通りの完全リサイクルは無限エネルギー社会を意味します。

日本の物流は国外起源も含め、57億トンに達するのです。しかし、日本国内で話題になるのは年間、産業廃棄物は4億トン、家庭からの一般廃棄物5000万トン、プラスチック類1000万トンなどです。鉄、アルミ、古紙、ガラスなどは、かなり再生利用されてはいますが、それでも全体で2.1億トンでしかないですから、57億トンが如何に巨大化がが分かります。「循環資源、ゴミ資源」もその意味で考えたいものです。

 

図1−5−1(環境庁、環境白書)

 

巨大な物流は国民すべてに責任があるのです。車のアイドリング禁止、ゴミは資源、循環資源、環境技術など、と言うレベルではないのです。かって高度成長時代、[浪費を作り出す人々]という本がありました。米国の著者の名は覚えていませんが、ジャガイモの皮むき器のメーカーが販売を伸ばすため、皮むき器の色をジャガイモと同じにしたそうです。とたんに販売数が跳ね上がったのです。理由は簡単で台所で皮むき器が、ジャガイモの皮と一緒に捨てられたからです。

この話はたわいもないですが、現代社会を象徴しています。高度成長時なら笑って済ませますが、もうそうは行きません。しかし現実には、今日も浪費は促進され企業も浪費を待望します。21世紀は知の時代、情報化時代と言いますが、現実は逆です。知の象徴の筈のコンピュータも、次々とモデルチェンジされ、新モデルでは旧プログラムも走らなくなります。そしてハードも2,3年で捨てざるを得ません。IT革命も浪費が必要なのです。これは何処かがおかしいのです。これでは持続可能どころでありません。

 

1.5.6 アジアの論理:西欧と非西欧

京都大学の松井三郎教授によりますと、4大文明中、中国文明がかなり違うそうです。その典型として人間の出すゴミ,つまりふん尿を肥料として利用したのは、中国文明だけだそうです。日本も、つい最近までは貴重な肥料でした。これに対し、中世ヨーロッパでは、ふん尿を窓からそのまま捨てたのです。今も残る中世の古城,宮殿などにはトイレが無のことから、その違いは理解できます。

つまり人間と自然の関係で,アジアはヨーロッパではその基本において違うようです。今の言葉ではより循環型でした。アジアは西欧より自然と共生する道を歩んで来たのです。今その基本が失われています。西欧化は進歩と同義語となったのです。

明治以来、富国強兵政策の柱として西欧を手本として来ましたが、もう限界です。グローバリゼーションに振り回されないよう心がけたいものです。今も世界は、西欧と非西欧に分けられますが、前者が布教する時代は終わりにしたいものです。西欧の羅針盤も方向が見えなくなったからです。

アメリカとの付き合い方も、が要ります。クリーン北欧諸国も人口は少い国ばかりです。デンマークは人口520万人、スエーデン890万人,オラン1500万人でしかないのです。全く違う所なのです。

 

1.6 21世紀への思索:理念の整理

1.6.1 江戸時代から何を学ぶか

「江戸時代に戻れ」という意見が聞かれます。江戸時代が持続型だったからでしょうが、本当にそうでしょうか。しかし振り返ることは、意味がありそうです。この時代約300年間は燃料として薪炭、すなわち森を使い、動力は人馬、風力、水力でした。天日、乾燥は太陽エネルギーで、もちろん食料は自然、無農薬ですから今の言葉では、江戸文明は徹底した省資源・省エネルギー社会であり、経済は低成長、持続的でした。

庶民の生活では、趣味・芸術が重んじられ、庶民の幸せ感は、現代と比較してどちらが上か分かりません。一言すれば、環境にやさしい持続型の時代であったのです。そして社会構造は、士農工商」と固定しており、政治形態は徳川独裁の封建性でした。しかも世界でも珍しい鎖国、閉鎖社会でした。そして、江戸時代の知恵のお陰で、欧米の植民地となることもなく、江戸時代はシステムとして安定していたのです。しかし人口は、ほぼ強制的な間引き、姥捨てなどで、3千万人を維持したのです。食料が限界を決めたのです。

これはある意味では、理想の持続型社会なのかもしれませんが、現代人がこの江戸時代に戻ることは出来ませんが、色々な教訓が得られます。それを纏めますと、

 

図1−6−1 持続的であった江戸時代

 

当時は自然エネルギー,有機農業の持続型社会でしたが、それには上段の諸条件、徹底した無駄の排除が不可欠でした。人口は3000万人と現在の4分の一です。これは重要で、我々の先祖は図らずも閉鎖系日本列島の究極的な人口保持能力が、3000万人であることを証明したのです。

これから得られる教訓は明快です。現在は海外から大量の資源エネルギーを持ってくる、食料ですら60%輸入するので人口1億2000万人が生存出来るのです。これは科学技術で何とかなる、といったことで無いのであって、今流行の循環型,リサイクル社会,自然エネルギーで、という単純なことではないのです。

 

1.6.2 見直すことは多い

現代文明の象徴は車ですが、車は燃料からのエネルギーを20%しか車に伝えず、その5%が実際に人間の移動に使われるそうです。結局、投入エネルギーの1%しか役に立っていないことになります。これは大変に勿体ないこことです。燃費の向上と言うレベルのことではありません。

この自動車社会に、道路の建設、大気汚染,交通事故などと言う形で、国民は負担をします。石油減耗との関係で大きな課題です。航空機も、エネルギー負荷の大きい乗り物です。これも石油無しに飛びません。中国など途上国は、車,航空機を多用する「近代化」が目標です。今後どうなるのでしょうか。

農業が石油無しでは成立しないことは、繰り返し述べました。水も大変です。穀物一トンに1000トンの水が必要とされますが、中国の水不足は深刻のようです。レスたー・ブラウンは、中国の食糧問題を繰り返す警告するのですが、一向に好転しません。

日本では、石油が無くなったら水素がある、燃料電池には無限の可能性があると言う意見が政策にまで影響するようですが、これも慎重に考える必要があります。水素はエネルギー・キャリアーで、一次エネルギー源ではないからです。また最も軽いガス体です、扱いの難しいものです。しかも、現在のエネルギーインフラ、社会システムの全てを根底から代える必要があります。壮大な無駄を前提とする技術であることを、十分認識すべきです。アメリカの水素推進者、ロムですら短期、中期には水素ではないと言うのです。最近、常温で流体の合成炭化水素が着目されてきました。今のインフラをそのまま利用できるからです。

この初めに水素ありきはの発想は、日本の工学者の習性のようです。欧米でその動きがあると聞けば、もう考えないのです。只ひたすらに道具作りに邁進するだけ、その根拠は外国でやっているの一点張りです。妙なことに最近ベルリンのASPO会議で、日本がやっているを水素が必要の理由とした人がいました。勿論大勢の聴衆の失笑を浴びました。小泉総理の写真まで出したのです。欧米も方向を見失っていると言うのは、手段が目的化するのです。

これからは、このようなことは通用しません。手段、物ではなく、物が提供する価値,機能が大切なのです。企業も必要な価値,機能をサービスするのです。例えば石油会社も、石油を売るのではなく,エネルギーのもたらす快適さ,利便さを提供するのです。電力会社も明るさ,暖かさ,涼しさをサービスする、というのは如何ですしょうか。省エネそのもの売る企業があってもよいのです。

アメリカでは絨毯そのものではなく、絨毯が敷かれた状態をサービスする企業が現れ、急成長したそうです。その成功は、システムから徹底的に無駄を排除したことで、絨毯を点検するなどの新しい雇用すら生まれたそうです。このような社会では、消費者は物を所有しませんから、捨てないですむ、企業も物でなくサービスが仕事ですから、出来るだけ使う物量を減らすほうが利益になるのです。

我々は[豊かさとは、幸せとは何か]を問い直す時にいているのでしょう。

 

1.6.3 21世紀の分散型社会

 都市への集中は近代化そのもの、とされてきました。世界人口の60%が都市に住む、という予測もあります。都市に行けば何とかなると考えるのでしょうが、現実には世界の大都市でスラム化が進んでいます。そして様々な環境問題も、都市に集中するのです。

都市とは何でしょうか、それは外から食料,水,資源エネルギーなど、すべての生存に必要な基本物資を吸収しないと存続出来ない場所です。大気,河川,陸に、大量の廃棄物を大量に排出するのです。ゴミの排出は都市の秩序、低エントロピー維持するため不可欠な行為です。

それでは都市の存在意義、利便性は何でしょうか。情報の集中,迅速な競争の場を提供する場かも知れません。競争に勝つには情報の早さが絶対条件だからです。このため自給自足の出来ない都市に人は集まるのかもしれません。この情報センターとして都市機能ですが、この機能はもう決定的に変わったのです。それは情報技術、インターネットの登場です。ネットワークに繋いだ端末さえあれば、その場所が世界の中心,情報のハブ、地理的な条件など本質的ではないのです。

どこに居ても最先端の情報に、アクセス出来るとすれば、都市集中に大きな意味はなく、地方にいても情報ギャップは無く、むしろ煩わしい都会から離れた方が、純粋に世界が見れれる利点すらあります。知の分散こそが、最先端的なのです。しかしそのためには、物を見る力、見識を養う必要があります。これが21世紀の分散型,分布社会とはの、もっとも重要な課題と思われます。

それでは人,物の移動はどうでしょうか。そして行政、社会システムは、などと考えるのは楽しいことです。新しい社会科学のテーマではないでしょうか。

そして生活です。日本列島を最大限に使うことを考えるのです。75%の山岳の日本列島において、自然と人間の共存システムとはですが、先ず自然エネルギーの利用は分散が本質、本命なのです。太陽、小型風力、小型水力そして、バイオマスの利用です。しかし決して先端技術をと思ってななりません。社会システムそのものを、自然と小さなコミュニティーをいつも念頭におくのです。

石油減耗は「遅れた地方」といった考えに、終止符を打つかも知れません。長さが2000kmもある、周りが海で囲まれた海岸線の豊で長い国は、世界にも余り例がありません。いつの間にか日本人は、大陸に見習うのに忙しく、忘れたようです。

この日本ですた地域ごとに地勢は異なります、それぞれ個性的な文化,情報拠点,活動の場を模索するのはどうでしょうか。地方は工場誘致の場としてでなく、多様な知の発信地と位置づければ、日本は根本から変わります。多様でしたたかな、複合日本国家を形成出来るのではないでしょうか。

中央の情報一元化も見直す必要があります。国民の税で仕事をする機関は、積極的に情報公開することを旨とすべきです。民間組織,NGO,NPOなどはもっと育ち易くなるでしょう。これも中央の補助といった発想ではなく、市民,企業など国民が直接に活動を支える、税制を欧米並にするのです。「依らしむべし、知らしむべからず」はもう終わりにしたいものです。

 

1.6.4 「物より心」、変わりつつある国民の意識

図1−6?2は日本人の意識調査です。日本では「物の豊かさより、心の豊かさ」を求める人が、既に3分の2に達しており、この「物と心の意識交差」は20年も前から始まっていました。国民は、新しい国の在り方を望んでいるようです。分散の時代とは、民主主義のあり方そのものを見直す時なのかも知れません。

 

図1−6−2 変化した日本人の豊かさ意識(内閣府による)

 

2003年、100連敗したハルウララという競走馬が、国民的な人気を集めました。このようなことことから、日本の指導者はもっと学ぶべきです。市民は、競争至上主義、マネーが全て、強者が全てを取る社会に飽きているのです。根本的な疑問を持ち始めていると思うべきでせう。

 

1.6.5 もう一つ、「第3の経済学」

21世紀に相応しい、有限資源観に立つ新しい経済学が必要なのです。今主流の経済学が「地球資源の有限性」を考慮しない、限界を認めないからです。

歴史的には百年以上も前、イギリスに石炭資源の「限界」を意識した「もう一つの経済学」が誕生していました。1865年イギリスの経済学者W.S.ジェボンズ(1835?1882)の「石炭問題」です。この書はイギリスは産業革命の進展と共に、採炭深度が深くなり、19世紀末には石炭が枯渇するのでは、との懸念から書かれたものです。今の石油のように、当時は石炭は最も大切なエネルギー資源でした。

それまでの主流の「2つの経済学」、つまり資本主義経済学とマルクス経済学は、それぞれ全く立場が全く違うにも拘わらず、地球資源の有限性を全く視野に入れませんでした。ジェボンズの経済学と、その流れを今も汲む経済学を「第3の経済学」、あるいは「もう一つの経済学」と呼ぶのは、このような理由からです。しかし、この先駆的な発想も、その後の豊富な石油時代の到来と共に忘れられたのです。 

そして1972年、第1次石油危機が訪れ、改めて地球資源、特に石油の有限性が問題となりました。難解なニコラス・ジョージェスク=レーゲンによる「エントロピー法則と経済過程」が世に出たのも1971年のことです。その基本理念は「人間活動は常にエントロピーを増大させる」、「そのプロセスは非可逆的」というものでした。

図1−6?3がその思想の要であって、2行、3行目がそれぞれ熱力学の第1法則、第2法則に相当します。特に第2法則「エントロピーは常に増大する」は、自然科学上の最も根源的な原理で、これによると「人は自然の悠久なエントロピー増大過程にある、小さな陽炎のような存在」と言うことになります。

 

経済のプロセスはエントロピー的である:

それは物質、エネルギーの生産も消費もしない、

ただ低エントロピーを、高エントロピーに変換するのみである。

(ニコラス・ジョージェスク=レーゲン)

 

図1−6−3 第3の経済学

 

その後1979年には、第二次の石油危機が訪れました。これも前と同様に石油の不足の原因は、地球の限界ではなく政治的な理由によるものでした。しかし、世界が初めて石油の有限性に気がついたことは画期的でした。

それからほぼ30年、今度は本質的な石油減耗が心配されています。1970年代の石油ショックが政治的なものであったのに対し、今の石油減耗論は地質学、地球科学的な理由によるものです。石油資源に関する膨大なデータの集積からの警告であり、原理的な「有限地球観」に基づきます。かってのジェボンズ時代のように、今回は新しいエネルギー源はないのです。

石油は人類にとって、最高の資源であったのです。このような根元的な人類問題は、皮相的な科学技術よって解決する、というものではありません。石油は余りにも優れれいます。その代替えはないのです。

 

1.6.6 まとめ

以上を項目的にまとめますと、「有限地球の石油減耗を理解する」、「究極的には自然、再生可能エネルギー」、「論理的な物質循環」、「自然の維持能力内のい人間活動」、「足を知る、無限成長を望まない」「先ずReduce、大量循環型社会を目指さない」、「対策は総合的に、手段を目的化しない」、「自然と人間を浪費しない」などです。

20世紀は「浪費の世紀」でした。浪費が文明を支え、人類が繁栄したのです。経済成長最優先、マネー至上主義は人の心を、貧しくしました。世界で拡がるテロ、中東の紛争、殺戮、不安定を見る限り、人類は本当に進歩したの疑問に思えます。便利な文明、利便な社会とは同時に、大量の廃棄物が大気圏、水圏、地圏を投棄します。そして地球、自然の収奪は限りなく続きます。

現代社会が捨てるのは「ゴミ」だけではありません、人間すら捨てます。日本ではリストラで、第三世界では極貧によて人は不要となります。そして社会の格差は広がるばかり、南北間での貧富の差も一向に減りません。WTOに抵抗するするのは、発展途上国の人々だけではないのです。日本の農業関係者ですらそうです。

最後に図にまとます。左上から、1)地球は有限である、2)物よりその利用価値を重んじる、3)浪費を求めない、そして4)自然と共存するアジアを目指せば、右の5)環境保全型の持続文明が可能となる、です。

  

図1−6−4 持続可能な環境保全型文明

 

1.7 参照

1. 「豊かな石油時代が終わる」私のホームページです:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/

2. 「日本のエネルギー戦略と食の安全保障」石井吉徳、日本エネルギー学会誌:v.83, no.6, June 2004

3. 「国民のための環境学」石井吉徳著、愛智出版:http://ecosocio.tuins.ac.jp/ishii

4. 「沈黙の春:Silent Spring」1962年、レーチェル・カーソン

5. 「成長の限界:The Limit to Growth」1972年、ローマクラブ

6. 石油減耗問題、Nature誌も警告:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/oil_depletion/nature_oildepletion.html

7. 三春ダム、大矢暁:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/opinions/n_ohya.pdf

8. エネルギーの質について:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/oil_depletion/netenergy.html

9. 石油ピークからCO2排出まで:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/myenvironmentalism/technology/21_energy.htm#oil_depletion

10. シモンズ、再び「成長の限界」:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/pdf_files/limit_to_growth.pdf

11. A. ボーイズ:http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/pdf_files/tombo.pdf

12. The Entropy Laws and the Economic Process (Nicholas Georgescu-Roegen, 1971, Harvard Univ. Press)

13. Hubbert's Peak- The Impending World Oil Shortage(K. S. Deffeyes, 2001,Princeton Univ. Press)

 


第2章 大矢 暁

しのび寄る硝酸性窒素汚染の脅威

 

2.1 はじめに

 

 この章で硝酸性窒素による地下水や表流水汚染のことを書いてみようと思います。硝酸性窒素による地下水や河川水の汚染と言ってもぴんと来る人は少ないのではないでしょうか。しかし、富栄養化と言う言葉は聞かれたことのある方が多いと思います。富栄養化は湖沼や内海、内湾のような水の停滞しやすい閉鎖水域に営養塩類が流れ込むと、植物プランクトンや水草が増殖します。これらはやがて、枯死して水中に窒素やリンを放出することになり、水質はますます営養に富んだものになっていき、"あおこ"などの藻類を発生させ湖沼の環境を悪くします。このような現象を富栄養化と呼んでいます。営養塩類として流入してくるのは、生活廃水、農地に過剰に施された肥料、畜産排泄物、工場廃水などが主要な発生源です。また営養塩類の主役はリンと硝酸性窒素です。

 生活廃水に含まれる硝酸性窒素やリンは湖沼の富栄養化の原因になるとしていろいろな対策が取られてきました。下水道の整備によって浄化をすると言うことが主要な対策です。畜産排泄物に含まれる窒素がアンモニア性窒素から硝酸性窒素になって地下水や河川水に流出して汚染する問題についても、最近は大規模な畜産経営に対する管理基準が法制化され改善の方向に向かいつつあります。農業生産において肥料が使われることは基本ですし、最も重要なのが窒素肥料です。窒素肥料は硝酸性窒素の重要な供給源です。農業は国の基本と言うことからいろいろな保護政策が採られてきましたが、そのような中で農業生産に起因する硝酸性窒素による地下水汚染問題は、その対策としては肥料や農薬の使用量を削減するしかなく、その対策については、ある意味でタブー視されてきた嫌いがあり、20年以上も前から汚染が確認されていたにもかかわらず、最近まで、あるいは現在でも本格的に取り組んでいないように思えます。

 この章で問題にしたいのは、農業に使われる化学肥料や農薬が硝酸性窒素の重要な供給源になっていること、それが地下水の硝酸性・亜硝酸性汚染のもっとも大きな供給源になっていることです。

 地下水そしてそれが流出した河川水や湖沼水は硝酸性・亜硝酸性窒素汚染の脅威にさらされています。それに対しての実態把握、ならびに対策を急がねばならないのです。本当に日本の農業に使われている化学肥料は生産に必要な量を使っているのだろうか、それとも過剰に使って余剰分を地下に浸透させ地下水を汚染しているのだろうか。そのような問題について検討してみたいのです。

 

2.2 硝酸性窒素による地下水汚染は世界的な問題になった。

 

 ワールドウォッチ研究所[地球白書2001-2002](レスター・ブラウン編著)には、その第2章「しのび寄る地下水汚染を防ぐ」で、硝酸性窒素による地下水汚染の問題を取り上げています。そこでは、世界の多くの地域で農業に使用されている化学肥料と農薬が農業地帯の地下水を汚染していることを警告的に記述しています。

 1950年以来世界の農業で収穫量を増やすために窒素肥料の使用量が20倍に増大したこと、農業生産に必要な量の1.5倍から2倍の化学窒素肥料が使用され、地下水の汚染を増大させ、それが流出して表流水(河川水や湖沼水)の硝酸性窒素濃度を増大していることを警告しています。

 硝酸性窒素による汚染は畜産の糞尿処理や都市・農村下水の未整備による生活廃水も関係するのですが、とくに主要な供給源は化学肥料と農薬の過剰使用であり、おそらく適切な肥料・農薬の使用を研究すれば、使用量は2分の1程度まで減らすことが可能と予想されること、そのような環境管理を意識した農業経営が出来れば、貴重な淡水資源である地下水や、窒素やリンで富栄養化した湖沼水の汚染度を30%程度下げることが可能であることが指摘されています。

 

2.3 地下水汚染が問題になる背景

 

2.3.1 水が無ければ人類は生きていけない

 当たり前のことですが、水が無ければ生物が生きていくことが出きません。20世紀において人類は人口の爆発的な増加をもたらしました。地球は水の惑星と言われていますから、人口が大きく増えても水は十分にあると思いがちですが、本当にそうなのか、実は水資源が足りなくなっています。水が無いために生活が出来ない地域が世界にはたくさんあります。

 

2.3.2 人口問題

 日本でも少子高齢化など人口問題が大きな問題になっていますが、世界全体で見ると人口問題はもっと深刻です。それは、増え続ける世界人口という問題です。西暦元年、今から2000年前の世界の人口は2億5千万人と推定されています。それが2000年には60億人以上に膨れ上がったのです。とくに、19世紀になって科学技術が大きく進歩し、医療技術が進んでくると幼児死亡率が低くなり、また死亡年齢も一般に高齢化する傾向になり、世界の人口は指数関数的に増加してきました。1830年に世界の人口は10億人を超えました。その後の100年間で人口は倍になり、1930年の世界人口は20億人を超えました。次に倍の40億人になるには僅か44年で到達してしまいました(1977年)。1999年の人口は60億人、2020年には80億人になると推定されています。

 国連主催で開催される世界人口会議は10年に一度開かれていますが、1994年にカイロで開かれた会議では、発展途上国の人口政策や家族計画の具体的な数値目標を議論しています。カイロ会議では初めて持続可能な発展と言う視点から人口問題が議論され、会議の名前も国際人口・開発会議と変更されています。

 いずれにしても、このままの傾向が続くと、近い将来に地球が許容できる人口を超えることが明らかになり、大変深刻な問題を提起していると言ってよいでしょう。その理由のひとつは、人口が指数関数的に増加していること、食糧生産も当然増えているのだが、これは直線的に増やすのが精一杯で指数関数的に生産量を上げられないこと、何よりもエネルギー資源が有限であること、また生活の基本を支える水資源の絶対的な不足の問題があること、などが人口問題です。(図-1)

 

2.3.3 水の惑星の淡水は限られた貴重な資源

 地球は水の惑星といわれます。太陽系の惑星の中で唯一豊富な生物が生活する惑星です。最近の火星探査船の調査では、嘗て火星にも水があった証拠を見つけることに、そして水があったのなら生物もいたのではないかということをミッションとして、熱心な調査が進められていますが、最近のNASAの報告を見ても、水が以前には存在したらしいという証拠は見つかっても、生物が見つかる可能性はどうもなさそうです。まだまだ、地球は唯一の水の惑星です。   

 地球と言う惑星が唯一水のある惑星、そしてそのおかげで生物の豊富な惑星と言えるのですが、水の惑星と言う割には地球そのものの質量的大きさに比べて地球上にある水の量はけっして多いものではありません。地球をサッカーボール大の模型とすると、水はその表面に張り付いたごく薄い皮膜のようなもので、その厚さは0.1mmにもならないのです。しかも、その大部分は海水です。真水、すなわち人が生きていくために使える淡水は、地球上の水の2.5%にしか過ぎません。地球上の水の総量は114億km3、その約2.5%が淡水なのですが、その多くは南極やグリーンランドの氷床や氷河に固定されていて利用できる形になっていません。我々が利用できる淡水は淡水全体の1/4ほどであり、地球上の水総量の1%にも達しないのです。(図−3)

淡水は河川水、湖沼水、土壌水分、大気中の水分、そして地下水という形で存在します。地下水は量的に利用可能な淡水の大部分を占めますが、緩慢な速度で流れており、入れ替わるには数百年の時間が必要です。短期間で見ると地中に固定されている水といってもよいでしょう。だから、地下水がいったん汚染されるとその回復には極めて長い時間がかかるのです。 

地下水を回復させるには長い時間がかかるということは、地下水を利用する場合の制約条件になります。このことをわきまえないで、地下水を過剰利用すると帯水層の間隙水圧を低下させてしまい、広域に塩水が進入してくるとか、地盤沈下を生じるとか、環境の問題を発生します。地盤沈下などは、一度沈下してしまうと回復不能な環境被害となってしまいます。

また、いったん化学物質で汚染された地下水はその回復に、大変長い時間を必要とするのですが、汚染の早期発見や対策樹立が実際にはなかなか困難です。早期発見が困難であるというよりも、早期に発見されていながら汚染の抑止・浄化対策をひどい汚染になる前に計画して実行することが難しいのです。これは、科学・技術的な知識が十分でないと言うこともないわけではありませんが、むしろ政治的な、あるいは経済的な理由からといえましょう。日本だけではなく、欧米でも問題を先送りする傾向が見られます。よほど問題が深刻な状況になるまで問題を先送りする傾向にあるのは、残念ながら洋の東西を問わない問題のように思えます。

 

2.4 世界の飲料水に占める地下水の割合

 

過去半世紀の間に世界中の人口と食料需要は2倍以上に増えました。この間、工業化の進歩、農業・畜産業の拡大はいろいろな環境汚染を広げ、とくに河川・湖沼水の水質汚染が急速に進みました。この結果飲料水と灌漑水の多くを地下水に依存するようになりました。地下水は土壌でろ過されるためにきれいな水であると言う、誤った理解が今でもあります。しかし、実際には地下水の汚染が次々に発見されています。

 表‐1は飲料水に占める地下水の割合や地下水使用者数をまとめたものです。この表にはアフリカに関するデータは入手不能で示されていません。アメリカでは地域による差が大きくこの表に示されていませんが、都市を除くと99%が地下水に依存している、あるいはインドでは地方の住民の80%が飲料水を地下水に依存しているということです。

 日本では、地下水の利用管理が一元化されていないために、正確な取水量の実態把握は難しいのですが、平成6年(1994年)における地下水使用量は都市用水および農業用水の合計で130億m3/年と推計されています。このうち都市用水(生活用水ならびに工業用水)については全使用量の28%にあたる91億m3/年が地下水を利用していると推定されています(改訂地下水ハンドブックによる)。さらに、養魚用水、冷暖房用水、消雪・流雪用水としての地下水利用を加えると、全地下水利用量は年157.7億m3でその用途別割合は図‐4に示すようになっています。

 また、用途別に地下水に依存している割合を示したものが図‐5です。日本での生活用水の地下水依存率は23.7%とされています。

これらの図に示した注記でわかるように日本では地下水は用途別に異なった行政官公庁によって管轄されており、国土庁(現在は国土交通省)、農林水産省、環境省、通産省などの各省庁に、そして地方自治体から資料を集めないと全体の把握が困難なのですが、このことは地下水の汚染問題についても同じように各行政官庁のかかわり(縦割り的な管轄)があり、全体の実態把握を難しくしています。

 世界的にみると20世紀後半に地下水利用が高まりました。主な理由は灌漑農業の急速な増加です。世界全体では河川水および地下水から採取される淡水の2/3が灌漑用に使われています。灌漑面積で世界1位のインドでは、地下水汲み上げ井戸が1950年には3000本であったのが1990年にはなんと600万本に増大しています。

 また、灌漑面積が世界3位のアメリカでは、灌漑農地の43%で地下水が使用されています。

 工業に利用される地下水も急速に増大しました。日本でも図‐5に見られるように工業用水の1/3を地下水に依存しています。世界中で工業化が進むにつれて、農業よりも収益性の大きい工業に水利用がシフトしています。20世紀末時点で水の総消費量の22%が工業で利用されているおり、これはアジアの急速な工業化によって増大する傾向にあると言えます。

 

2.5 河川湖沼の水は酷使されており地下水は無限でない。 

 

 河川水の利用はダムを作り貯水することで進みましたが、一般に農業用水としての配分、工業用水としての配分、飲料水源としての配分、水力発電用としての配分などに厳しく割り当てられ、余裕の無い状況にあります。言うならば酷使されていると言ってよい状況です。日本だけでなく、異常気象などにより旱魃になった場合、水不足になるケースがどの国にも多いのです。

 この結果、地下水利用が進みました。台湾では、水供給に占める地下水の割合が、1983年の21%から1991年には40%に、8年間で2倍に増えたと言うことです。以前には、殆んどの水を河川に依存していたバングラデッシュでは1970年代に100万本以上の井戸を掘り地下水利用が進められました。灌漑農業に安定した水を供給することと、河川水が汚染されたために、現在では95%の国民が飲料水を地下水に依存しています。

 また、先進国では瓶詰めのミネラルウォーターの利用が急増しました。アメリカでは1978年から1998年の20年間に使用量は9倍に増加したということです。

 地下水は有限の資源で、ほぼすべての大陸で地下水資源の使用可能量が限界に近づき、あるいはすでに限界に達し、自然の涵養率を上回る利用がされるようになりました。とくに、地下水の減少に深刻な地域はインド、中国、アメリカ、中東の各国、などです。地下水の過剰利用により生じる問題は以下のようなものです。

  ○ 内陸の農業地帯では化学肥料や農薬による汚染の濃縮

  ○ 海岸平野での工業用水利用による塩分の浸透

  ○ 揚水に伴う水圧低下による広域の地盤沈下

  ○ 湧水の減少や枯渇

  ○ 湿地の減少と生態系の変化

 

2.6 地下水への主要な脅威

 

 地下水の流れは、川の流れと違って直接眼で見ることができません。流れの方向や流速がわからない場合が多く、また井戸が無ければ水質も調べられないのです。そのため汚染が見つかっても、その広がりを調べるのには多くの観測井戸を掘って調査しない限り容易に把握することが出来ません。多くの場合、地下水の汚染が流出して河川に流れ込み、河川水の水質が汚染されたことが観測され、それが地下水汚染を調べるきっかけになっています。そのために、汚染に気がついたときにはすでに取り返しがつかないほどに、地下水汚染が広域に広がっていることが多いのです。

 農作物を害虫から守るために古くから殺虫剤が使われてきましたが、本格的な化学殺虫剤として登場したのはDDTでした。DDTは第二次世界大戦後全世界で多用されたのですが、日本でも1950年代1960年代に多量に使用されました。当時の地下水汚染そして河川水の汚染の多くはDDTなどの農薬によるものと言っても良いかもしれません。

 アメリカの環境生態学者で有名なレーチェル・カーソンは広大なアメリカの農地に飛行機で大量に散布されるDDTが環境を汚染し、自然の生態を破壊することを調査して、1962年に「沈黙の春」という著作を完成し、当時農薬使用量が増加しつつあったアメリカやヨーロッパの先進諸国に大きな衝撃を与えました。

 日本でも有機塩素系の殺虫剤(DDT、BHC、ディルドリン、エルドリン、エンドリン、クロルデンなど)の使用は、残留毒性が強く深刻な環境汚染を生み出し、集落や農業地の下流の多くの河川で奇形魚が見られるようになり、1971年に使用が禁止されるにいたりました。これを契機に「化学物質の審査および製造等の規制に関する法律−化審法」が定められました。

 1960年代は日本が工業国家として急速に発展した時代です。このころは高度成長時代といえるのですが環境無視の時代とも言え、産業優先の時代であったと言うことができます。しかし、1960年代後半には、農薬による汚染が問題になったばかりでなく、大気、水質、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭などいわゆる公害が大きな社会問題になりました。1967年には公害対策基本法が施行されました。水銀やカドミウムの重金属汚染、PCBなどの石油化学製品、石油の投棄問題、パルプ廃液の投棄による河川・海洋の汚染などの環境問題が顕在化し、1969年には「海水の汚濁防止法」が制定され、1970年には「海洋汚染防止法」が制定されています。1971年には環境庁が発足し、付属機関として国立環境研究所、環境研修センター、中央公害対策審議会などが設置されました。

 環境庁では公害問題の1つとして地下水の汚染問題に関する調査研究に力を入れてきたのですが、実際に地下水の汚染の実態調査を全国規模で行ったのは1982年になってからでした。

 1980年代になると、有機塩素系の溶剤による地下水汚染の問題がクローズアップしてきました。その主役はトリクロロエチレン・テトラクロロエチレンです。これらの有機溶剤は、抜群の脱脂洗浄力を持つことから、電気製品や自動車・航空機などの機械部品の洗浄に多方面で使用されてきました。テトラクロロエチレンは一般金属部品の洗浄や、電子部品の洗浄のほか、ドライクリーニングにも使われてきました。DDTやBHCと同じように化学的には有機塩素系化合物に入るものなのですが、この毒性に関しては1970年代までは世界でも殆んど問題にされてきませんでした。

 ところがアメリカのニューオルリンズやオランダのアムステルダムの郊外でがん患者が多発する地域の研究を進めた結果、飲料水として利用していた地下水にトリクロロエチレンの濃度が高いことが見つかり、トリクロロエチレンなどの有機塩素系溶剤に発がん性毒性のあることが発見されたのです。この結果、WHO(世界保健機関−1948年に設立された国連専門機関の1つ)が飲料水に対する規制基準値を提案し、世界中に警告を発しました。

 日本でも1982年ころから規制値を超えるトリクロロエチレンが東京都の水道水源用の井戸水から検出され問題にされるようになり、環境庁では1982年に全国規模で地下水の汚染実態調査を実施しています。

 この実態調査は、調査地域として10大政令都市と地域的なバランスを考慮して5都市を選び、札幌・仙台・川崎・横浜・金沢・長野・名古屋・京都・大阪・神戸・広島・高松・北九州・福岡・熊本が対象になりました。

 検体数としては原則として各都市100検体で1,499検体が採取されています(浅井戸1,083、深井戸277、参考河川水139)。

 調査された項目は18項目の成分で、硝酸性窒素・亜硝酸性窒素・塩化メチル・ジクロロメタン・クロロフォルム・四塩化炭素・1,1-ジクロロエタン・1.2-ジクロロエタン・1,1,1-トリクロロエタン・1.1-ジクロロエチレン・トリクロロエチレン・テトラクロロエチレン・ベンゼン・トルエン・キシレン・フタル酸ジ-n-ブチル・フタル酸ジエチルヘキシルでありました。

これは、日本における地下水の初めての一斉調査として画期的なことと評価できます。基準値を超える汚染が多くの井戸で検出されました。総検体数の10%を超えたものが、硝酸性・亜硝酸性窒素、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、クロロフォルム、1,1,1-トリクロロエタン、四塩化炭素であり、地下水が硝酸性窒素や有機溶剤で汚染されていることが始めて確認されたのです(表-2)。検出された濃度と、水道水質基準値やWHOの設定した飲料水としての暫定基準値と対比した結果、表-3に示すようにかなりの数の井戸水で基準値を超える汚染が確認されたのです。とくに硝酸性・亜硝酸性窒素による汚染は浅井戸では10%を超える井戸で基準値を超える結果が出、広範囲に汚染されていることが明らかにされ、また、汚染の程度も基準値10mg/lに対して場所によっては8倍もの高濃度汚染が見つかっています。有機溶剤に関しては、浅井戸では1-4%の井戸が基準値を超え、深井戸では4-5%の井戸で基準値を超える汚染があること、また、汚染濃度も井戸によっては基準値の数百倍-数千倍の高濃度汚染に達していることなどが明らかにされました。

その後の追跡調査の結果なども含めて、硝酸性・亜硝酸性窒素による汚染は広範囲であるが浅い地下水を汚染していること、有機溶剤による汚染は汚染源から帯状に広がり高濃度で、深部にまで及んでいることなどの実態が明らかにされました。

 本来、この調査の結果から、硝酸性窒素による汚染問題と、有機溶剤による汚染問題は重要な汚染要素として取り上げられてしかるべきであったと考えるのですが、その後地下水汚染問題は有機溶剤による汚染の調査とその浄化に重点が置かれました。

 その原因は硝酸性窒素による地下水汚染は、農地系、畜産系、生活系、自然系と汚染源が多様で、かつ面的に広がっていること、それぞれの汚染寄与度を明らかにすることが難しいこと、十分な調査結果によるとはいえないが、とくに高濃度の汚染は都市や農村の生活系のもので、対策としては下水道の整備が効果的であると政治的な判断がされたこと、農業における施肥管理の改善には農業政策面で実施が難しい事情があること、などによったものと考えられます。

 一方で、トリクロロエチレンなどの有機溶剤による汚染は汚染源がいうならば限られたポイントに絞られ、汚染源を特定しやすいこと、改善の効果を期待しやすいこと、などが理由と思われます。

 いずれにしても、この環境庁の水質全国一斉試験の結果をもとに、化審法が改正され、1989年にはトリクロルエチレン、テトラクロロエチレン、四塩化炭素が第2種特定化学物質に指定されました。

 また、これらの有機溶剤は「水質汚濁防止法」の規制対象外であったのですが、1989年に改正され、これらの有機溶剤を有害物質として地下浸透禁止の措置がとられるようになりました。

 地下水、河川水などの化学物質による汚染は、古くは熊本県水俣市で発生した有機水銀汚染による水俣病があります。これは1940年代に発生した有機水銀中毒症です。窒素肥料の合成に触媒として使った無機水銀の一部がメチル水銀になり、これを含んだ工場廃水が地下水を汚染し河川に流出し、汚染された魚介類を摂取したことが原因で発生したものです。その後新潟県の阿賀野川でも同様の有機水銀中毒患者が発生し、新潟水俣病と言われ、1965年に公式に確認されています。1968年に政府は水俣病を公害病と認定し、認定された患者数は熊本、鹿児島、新潟で合計1万3116人に上りました。このうち国が認定した患者数が2949人であったことから国、県、チッソを相手取った訴訟問題に発展し、大変長期に亘る係争の結果その完全解決(和解成立)には実に1995年までを要しています。

 地下水汚染は前にも書きましたが目に見えない地下水の流れで汚染が拡大していくために、原因を特定するのには膨大な時間と調査費用がかかります。問題が顕在化した時点では、大きな被害がすでに発生している場合が多いのです。これは、水俣病の場合においても、DDTなど有機塩素系の殺虫剤の場合でも、あるいはトリクロロエチレンなどの有機溶剤の場合にも言えることです。

 これらのことから、地下水はいろいろな未知の化学物質による汚染の脅威にさらされていると言うことが理解できると思います。

 さて、この項の整理として、地下水の水質を汚染する主要な脅威として何があるかを整理しておきましょう。汚染物質の名前をいちいち挙げるというよりも、大きな汚染要素となる物質のグループとその汚染源となる人間活動は何かを簡単にまとめておきます。

  ○ 硝酸塩(窒素) 化学肥料の流出、畜産糞尿、生活廃水など

  ○ 農薬 農場、ゴルフ場からの流出

  ○ 石油化学物質 地下石油貯蔵タンク、パイプライン

  ○ 有機塩素系溶剤 脱脂洗浄、クリーニング、エレクトロニク

        ス部品洗浄、航空機・自動車製造

  ○ 砒素 自然界に存在

  ○ 重金属 採鉱滓、化学工場廃液、薬品工場・メッキ

工場等からの廃棄物

  ○ 放射性物質 核実験、医療廃棄物、原子力発電廃棄物

 

2.7 しのび寄る窒素の脅威

 

2.7.1 しのび寄る窒素汚染の脅威

 過去半世紀の間に増大した人口を支えるために農業生産は大きく発展してきました。農業生産効率を向上するために多くの化学肥料と農薬が使われるようになりました。その結果、世界の多くの地域で農業に使用される化学肥料と農薬が農業地帯の地下水を汚染しています。

 1950年以来世界の農業で収穫量を増やすために窒素肥料の使用量を増やしています。過去50年間に窒素肥料の使用量は20倍に増大したといわれています。

 窒素肥料も改良が加えられ、農作物が必要とする量以上施しても農作物に害を与えないような、また農地の土壌を劣化させないような改良が重ねられています。そのために、ちょうど人が健康管理にビタミン剤を呑む場合に少々必要量以上呑んでも、とくに害にはならない、必要な量だけが摂取されて余分なビタミンは排出されてしまうのと同じように、肥料使用量を少なくして収穫量を減らすよりも、過剰に使った方が良いと言う、肥料大量消費の考えが世界的に広がってしまいました。

 最近では、これが地下水の硝酸性窒素汚染を引き起こす主要な原因であることが確かめられるようになり、科学的な合理的な施肥管理をすることが注目されるようになり、適正な使用量に関する研究が各国で進められるようになりました。

 アメリカでは全米研究評議会が作物栽培に使用される窒素肥料の1/3ないし1/2が無駄になっていると言うことを発表しています。中国北部の調査結果では、投入肥料の40%しか利用されていないと言う結果が出ています。

 オランダでも、韓国でもこのような調査研究が進められていますが、どの国でもこれまでは大量消費、大量生産型の農業経営が進められてきたように思えます。その結果は肥料の過剰使用と言うことになり、窒素汚染を進めた原因になっており、とくにヨーロッパではEUが管理基準を作っています。

 しかしながら、硝酸性窒素の発生源は農業肥料・農薬だけではありません。畜産の糞尿処理も地下水に窒素を供給していますし、都市下水・農村下水の未整備も人の生活から発生する硝酸性窒素を地下水に供給する源になります。

 始末が悪いことは硝酸性窒素の供給源は単一発生源で無いと言うことです。農地があれば化学肥料であれ有機肥料であれ、窒素肥料は農業生産に欠くことのできないものですから、農地で農作物が必要とする量以上に窒素肥料や農薬を使えば、農作物に摂取されない過剰部分は地中に浸透し、酸化して硝酸性窒素になって地下水に取り込まれます。ですから、広大な農地があれば、窒素汚染を起こす供給源はすべての農地と言ってよい範囲に広がるわけです。

 また、広大な畜産が行われると、これも広大な範囲で処理された糞尿排泄物が地下に浸透し窒素供給源になります。さらに、都市下水・農村下水の未整備も生活廃棄物起源の窒素の供給源になるわけです。

 ですから、特定の工場から汚染物質が供給されるような場合に比べると大変広い範囲に面的な汚染発生源があることになるわけです。

 したがって、ある流域の地下水・表流水を含めて流域全体の窒素循環が研究されないと、どこに焦点を当てて改善すればよいかの戦略が立てにくいのです。このため、窒素汚染問題は先送りされてきたように思います。

 

2.7.2 硝酸性窒素の危険性

農耕地での窒素系肥料の過剰施肥、畜産廃水や家庭排水の土壌浸透により供給された窒素化合物は土壌中で徐々に分解され、アンモニア性窒素から亜硝酸性窒素、硝酸性窒素になって地下水を汚染していきます。硝酸性窒素は通常の浄水処理では除去できませんので、汚染された地下水を使用している水道ではそのまま水道水の中に含まれるようになります。

 幼児や胃液の分泌が少ない人が硝酸性窒素を含んだ飲料水を飲みますと、硝酸性窒素は胃の中で亜硝酸性窒素に変化します。この亜硝酸窒素は血液中のヘモグロビンの中に取り込まれ、ヘモグロビンはメトヘモグロビンとなります。メトヘモグロビンは酸素の運搬能力がなく、そのため酸素供給量が少なくなり、貧血症などの健康影響が生じることになります。とくに幼児に対する病気、それも濃度次第では死につながる有害物質として特定されています。

また、硝酸性窒素は胃の中で食品中の二級・三級アミンのようなニトロソ化しやすい物質と反応して、発ガン性を有するN-ニトロソ化合物を生成することも明らかになっています。

硝酸性窒素濃度による幼児メトヘモグロビン血症のアメリカでの報告事例を表-4に示しました。この表から明らかなように、硝酸性窒素濃度が10ppm以下では発生事例が無く、濃度が増えるに従って死亡例が増えていきます。とくに30ppm以上になると被症例が増えてくることがわかります。

 ヨーロッパでも1948年から1964年にかけて1000件の発病があり、うち80人が死亡したという報告があります。また、世界保健機関の調査でも1945年から1985年の間に硝酸性窒素による乳幼児の障害発生が2000件あり150人が死亡していると報告されています。

 このような事例をもとに水道水に含まれる硝酸性窒素の濃度は国によって異なるようですが10ppm以下あるいは20ppm以下というような基準が示されています。表-2に示したように幼児メトヘモグロギン血症の発生例は1950年ころから研究されていたようですが、水道水の水質基準に取り入れられるようになったのは比較的最近のようです。

  

2.7.3 わが国における硝酸性窒素に係わる基準の策定状況

 日本では、平成10年ころから調査研究が進められ、環境省環境管理局水環境部が主体になって硝酸性窒素汚染に関するマニュアルが出されています。最近の基準やマニュアルの策定状況を示すと次のようになります。

 ○ 平成11年3月 環境庁    

   硝酸性窒素および亜硝酸窒素に係わる地下水汚染調査マニュ

   アル

 ○ 平成12年3月 日本水道協会 

   水道における硝酸性窒素および亜硝酸性窒素対策の手引き

○ 平成13年12月 環境省環境管理局

  硝酸性窒素および亜硝酸性窒素に係わる水質汚染対策資料

○ 平成13年7月 環境省環境管理局

  硝酸性窒素および亜硝酸性窒素に係わる土壌管理指針

  (施肥に関する対策を目的)

 これらの資料やマニュアルを見ると、環境省では窒素汚染の主因が農業にあることを指摘し、警告しています。硝酸性窒素の地下水汚染調査に対する項目としては、

1. 汚染の発見および汚染範囲の把握

2. 資料等調査(工場排水、家畜排泄物、生活廃水、施肥、自然)

3. 汚染原因の究明

 を挙げていますが、主要な汚染源は農業肥料にあると指摘しており、施肥対策としては「硝酸性窒素および亜硝酸性窒素に係わる土壌管理指針」に基づき、作物ごとの土壌管理状況の把握・評価を適切に行い、土壌・作物診断に基づく適正施肥の徹底、肥料効果調整型肥料の活用など新しい施肥技術の活用、作付け体系の見直しなどの対策を推進すること、を指摘しています。

 WHO(世界保健機構)では亜硝酸性窒素による動物実験の結果、副腎球状帯の形成や心臓および肺の組織学的変化等、新たな毒性が判明したことから、1998年1月、新たに亜硝酸性窒素について慢性毒性基準として0.06mg/l、急性毒性基準として0.9mg/lを制定しました。

 地下水に含まれる硝酸性窒素の脅威はその実態を次第に明らかにしてきたといえます。

 英国とフランスでは、硝酸塩汚染に関するEU指令を遵守していないことを理由に、EC(欧州委員会)から1993年に提訴され、巨額の罰金を科せられる危機に直面すると言う事態になっています。また、アメリカでは硝酸性窒素汚染対策を目的として、1993年2月に水質浄化法に基づく大規模畜産経営体に対する規制が強化されています。

 このような世界的な動きを受けて、日本では硝酸性窒素・亜硝酸性窒素の合計値で10mg/l以下という基準があったわけですが、WHOの発表に合わせて亜硝酸性窒素の毒性が極めて高いことに注目して、1998年6月に、亜硝酸窒素の基準を0.05mg/lとすることを異例の早さで制定しました。

 1999年には、湖沼、内海、内湾などの閉鎖性水域における環境基準の達成率が悪化したこと、有機物による汚濁だけでなく、窒素やリンといった富栄養化物質の増加により湖沼や内湾でアオコや赤潮が多発、大きな問題になりました。水道水源として利用する場合、窒素やリンによる富栄養化はアオコや赤潮、藻類の大量発生を招き、藻類に由来した有機物と消毒のための塩素との反応で発がん物質のトリハロメタンなど有機塩素化合物の大量発生の問題を引き起こしています。

 さらに世界各国で有毒アオコが産生する青酸カリよりも強い毒性のミクロキスチンという物質によって家畜や肝機能障害患者の死亡事故が発生しています。この物質は浄水場では除去できないものの一つで、世界的な水源危機を招く恐れがあることが指摘されています。

 日本でも、国際的な水質環境基準の改訂や、地下水汚染の実態調査の結果から、「人の健康の保護に関する環境基準の項目」の見直しを行い1999年2月、硝酸性窒素・亜硝酸性窒素の合計値で10mg/l以下という項目を環境省基準に追加して告示しています(表-5)。

 

2.7.4 日本の地下水の汚染の実態 

 環境省が平成14年末に公表した平成13年度の全国地下水水質測定結果によると、1,681市区町村で調査が行われ、環境基準項目別の超過率において硝酸性窒素および亜硝酸窒素が最も高く5.8%となっています。砒素の超過率1.3%、フッ素の超過率0.7%がこれに次いでいます。

 硝酸性窒素・亜硝酸性窒素の都道府県別の調査結果を表-6に示しました。全国の集計としては4,017本の井戸で調査を行った結果汚染濃度基準値10mg/lを超えているものが231本で5.8%になっています。超過した井戸に関してはその周辺の井戸を追加調査した結果1,343本中535本の井戸の水質が基準値を超えていることが判明しています。汚染度の高い井戸に関しては定期モニタリングを行っており、その井戸の総数は1,113本、そのうち基準値を超過しているものが272本となっています。

 全国平均よりも高い超過率を示す県は、青森、岩手、山形、茨城、群馬、埼玉、千葉、三重、奈良、岡山、香川、愛媛などとなっています。

 1982年に始めて実施された主要な都市を対象とした地下水汚染実態調査に比べると、すべての都道府県が対象になっており、観測井戸数も増えています。しかし、表-4を良く見ると調査の程度が県ごとにまちまちで、すべての都道府県で同じ精度の調査が行われたとしてみることが出来るのかどうかに疑問があります。新潟や富山、石川、福井などでは調査された井戸の数が少なく、基準値を超える汚染が見つかった井戸が殆んど無いと言うことが、果たして本当の実態を示しているのか疑問に思えます。

 表‐7は北海道の調査結果を示したものです。平成11年度から13年度までの3ヵ年の調査結果がまとめられており、調査井戸延数9,528本そのうち基準値を超える汚染が546本(5.7%)で検出されています。

 全国の調査結果をまとめた表-6では北海道の超過率が2.5%であったものが表−7に示される詳細調査では超過率で2倍以上となる5.7%となっています。また、30mg/l以上の汚染が見つかったものが47本、50mg/l以上の高濃度の汚染が見つかったものが18本あります。30-50mg/lと言う汚染は、この井戸水を飲用に供した場合には幼児メトヘモグロビン血症を発生する可能性が高い汚染度です。

 北海道では、この調査のまとめとして、主に農業地域において汚染が広がっていることが判明したと結論しています。30−50ppmを記録する高い濃度の汚染が網走などで検出されたことは大きなショックになったのではないかと容易に想像できます。北海道では、この高濃度汚染の汚染源が農業の施肥によるものか、生活廃水によるものか、供給源を特定するために主要イオン類の分析結果をもとに検討を進め、主な汚染原因は窒素肥料の施肥に由来するものと結論しています。

 そこで、汚染地区に対する応急対策として、メトヘモグロビン血症にかかる恐れがあることを広報する、乳児の飲用水には水道水やミネラルウォーターなどの汚染されていない水を用いるように指導する、希望者には無料で水質分析をするなどを実行されました。

 さらに、恒久対策としては市町村や関係団体との協議会の開催、緊急営農マニュアルの作成、肥料減量化技術の確立と指導・普及などの対策を進めることとし、水道未普及地域の解消にも力を入れる計画を立てていると言うことです。

この事例はしのび寄る窒素汚染が明確な姿を現してきたこと、そして、それに気が付き対策を立て始めた自治体が現れたこと、を示しています。地下水の窒素汚染は北海道の特殊事情ではないと考えねばなりません。

地下水の、あるいは地下水を水道水源としている場合に硝酸性窒素汚染が無いかどうかは、もっと徹底した調査を行い、対策を立てることの重要性を、北海道の例は教えてくれているように思うのです。

 

2.8 大滝根川流域におけるケーススタディ

 

2.8.1 三春ダムについて

 滝桜で有名な福島県三春町を流れる阿武隈川水系大滝根川に洪水調節を主目的とするダムの建設が具体的になったのは1968年でした。予備調査が開始され、158戸の水没家屋に対する移転交渉などが進められ、本格的なダム建設が始められたのが1988年でした。ダムは1993年にほぼ完成し、その後、環境対策として副ダムが主要流入河川に建設され、1996年から試験湛水が開始され、1998年3月試験湛水が無事完了し竣工したダムです(写真-1)。このダムでできたダム湖にはさくら湖という名前がつけられました。

三春は阿武隈高原の西部に位置する城下町として発展した人口約2万人のまちです。古くは馬産地としても知られたところで、米作・養蚕・葉タバコの栽培が盛んでした。玩具の三春駒や三春人形でも知られています。三春滝桜が有名で、4月末、小ぶりな美しい紅しだれが咲く頃には多くの観光客が訪れます。標高400m程度の阿武隈高原に位置するために春の訪れは突然やってきます。梅、さくら、桃の花が殆ど同じ時期に開花するということから三春と言う名前がついたということですが、滝桜だけでなく、まちのいたるところにさくらがある美しい町です。

この静かな里に作られた三春ダムは、高さ65m、阿武隈川水系の治水―洪水調節―を図るのが主目的で、貯水された水を郡山市などの水道水源として、また一部は農業用水源として利用するという計画です。高さから言えば大きなダムではないのですが、急峻な山地の迫る渓谷河川に作るダムとは異なり典型的な里ダムです。

三春ダムの流域面積は226km2、流域の人口は34,000人、家畜頭数は7,000頭、下水普及率はゼロ、農地面積は74km2です。山地の峡谷に作られたダムと違い、流入・貯留水の水質は硝酸性の窒素やリンで汚染されていることがダムの建設を計画した時点でわかっていました。 

三春町の人は1960年代から1970年代の初め頃、大滝根川で取れる魚に背曲がりをした奇形魚が多いことを知っていました。そして、その原因は農薬や上流域における生活排水、とくに当時効果的な殺虫剤としてつかわれていたDDTやBHCなどの有機塩素系薬剤によるものではないかと考えており、魚が奇形になるような川の水を貯めて郡山の水道水に本当に使えるのか、というようなことも議論に上っていました。

阿武隈川水系には多くのダムが建設されてきましたが、三春ダムはその上流域に農業・畜産が広く営まれており、そのために窒素やリンで汚染された水を貯めるという大変特殊な環境問題を抱えたダムです。

ダムの形式はコンクリート重力式のダムで、ダムの堤堆積は195,000m3、堤頂長が174m、総貯水水量は4,280万トンのダムです。ダムが堰き止める大滝根川などの流域面積は226km2ほどあります。流域面積の約40%弱が山林、25%が農業地(田畑)になっています。また、流域に住む人口が34,000人と多いのが他のダムに見られない特徴です。さらに流域には畜産が盛んで約7600頭の家畜がいます。人口が多いことと農畜産業が盛んであると言うことから、ダムの建設に当たって格別な考慮が払われたのが水質の問題でした。

窒素やリンの含有量の多い水を貯水して停滞水域を作ると、その湖水は富栄養化したものになるために、アオコの発生などの問題が出るに違いないと言うことから、いろいろな対策が講じられました。1つは各流入河川に前ダムと言う小さなダムを作り、水質を悪くする栄養源を前ダムの貯水池に沈殿させ上澄みのきれいな水を湖に流入させようという計画です。また、前ダムの上流からダム湖の下を通り下流に放流できるバイパス管路をつくることが2番目の対策として計画されました。高負荷量の河川水を直接ダム湖に入らないように下流に抜くか、利水取水施設に直接導く施設です。また、ダム湖の水を循環させる浅層循環、深層循環装置が設けられ、アオコの発生に対処しようと言う計画も進められたのです。

 

2.8.2 応用生態工学研究所とさくら湖自然観察ステーション

ダムの完成が間近になった頃、ダムが出来た後でダム湖の周辺を町の人が安全に安心して楽しむことができるような自然の環境を整備していきたいという地元の人地の考え、里山の環境がダム湖ができたことによってどのように変わっていくのか継続的に調査して行きたいという、ダム建設の過程で地質調査に関わってきたコンサルタント会社からの考えなどが、湖畔にさくら湖や大滝根川の環境を調査・観察・研究する施設を作りたいという提案になりました。国土交通省や(財)ダム水源地環境整備センター、また地元の三春町の賛同を得て、応用生態工学研究所という民間の研究所が出来ました。また、三春町では研究所に隣接して、さくら湖自然観察ステーションという一種の博物館を作り、地元の人たちが新しく出来たさくら湖の環境に関心を持つようにし、また、自然に親しむ活動の基地にしようという計画が進められたのです。

ダムができたらいろいろな研究ができる、小中学生が自然に学び科学をする心を育てる場所にしていきたい、その結果、自然科学を学び、環境学を学び、生態を調査研究することに興味を持つ子供達が育ち、日本の都市や農村の再生に貢献する技術者、研究者などが輩出する場所にしたい。そのような取り組みをすれば、里山の環境学が三春から生まれ発信されるに違いない、という夢を実現しようと言うことから、応用生態工学研究所と地域の環境学習の中核になるさくら湖自然観察ステーションが生まれたのです。

応用生態工学研究所はダムに湛水が始まる前の年1996年から活動を開始しました。1999年には研究所の建物が完成し、数名の研究者が常駐して環境生態学を研究する技術者のフィールド・ラボとなっただけでなく、地域にも社会にも開かれた研究所に育っていきました。このような計画に対して、国土交通省東北地方整備局や財団法人ダム水源地環境整備センターなどは、その意義を認めて継続的な支援をしてきました。

国土交通省東北地方整備局三春ダム管理所では、窒素やリンの汚染度の高い大滝根川の水を貯水する三春ダムの水質管理に格別な配慮をし、いろいろな対策を取り入れてきました。

それでも、上流域の人口が多いこと、農畜産業が盛んであることから、貯水したダム湖の水質は窒素やリンの多いものであり、懸念されていたような富栄養の湖が誕生したのです。毎年夏になるとアオコが発生するようになり、管理所ではアオコ対策などに大変な努力が払われています。

 

2.8.3 さくら湖自然環境フォーラム

それぞれの組織や機関が取り組んできた、さくら湖の環境を良くしていこうという活動は、それぞれの調査研究結果をまとめて、環境フォーラムを開催しようと言うことに発展しました。

2000年にさくら湖自然環境フォーラム実行委員会が組織され、さくら湖自然観察ステーション、応用生態工学研究所、中妻まちづくり協会、中郷まちづくり協会、三春町、福島県河川開発課、国土交通省三春ダム管理所が委員会の構成メンバーとなり、5年間毎年1回環境フォーラムを開催しようと言う計画が進められました。

第一回のフォーラムは2000年11月16.17日に開かれましたが、そのとき三春町の伊藤寛町長は次にような挨拶をしています。

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皆さんもご存知のとおり、20年余の歳月と1200億円のお金をかけて、2年前にダムが完成しさくら湖が誕生しました。さくら湖の水質にはどんな問題があり、「これからどう変わっていくのか」、また、「さくら湖を取り巻く自然環境や自然生態系はどう変わっていくのだろうか」それは大滝根川流域に住む人たちの生活にも深いかかわりのある問題です。そのようなさくら湖の自然観察に関心を寄せている地域の人たちと、専門的に観察調査を続けている人たちが一緒になって、年に一回、研究発表会を開こうと言うのが今回のフォーラム開催の趣旨です。それはささやかな一歩ですがここから発せられるメッセージは、小さいものではないかもしれません。

様々な公共事業や生活の営みが自然を破壊するのではなく、自然と調和し自然を豊かにする方策とどう結びつけるか、そのための調査研究として使命感を持って取り組んでおられる方々もいます。

いろいろな人たちが交流しあうことによって、素人は素人なりに、専門家は専門家なりに、「さくら湖とその周辺での観察調査の成果をこれから積み上げていこう」これが本フォーラ開催の目的ですので、今回を第一回として、これからも毎年このフォーラムを開催していきたいと考えています。

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2.8.4 素晴らしい地元の人たちの参加

このフォーラムは2003年まで既に4回開催されました。地元の人たちの参加が素晴らしいフォーラムを作るようになりました。このフォーラムのプロシーディングスが毎回編集され印刷されています。ダム管理所の報告、応用生態工学研究所の研究者による報告、大学の研究者による報告や講演などの他に地元の人たち、小中学校の生徒による研究発表なども含まれて、三春ダム・さくら湖の環境を守る地域活動の象徴ともいえるものになっています。

第一回のフォーラムでは、三春町岩江中学校の三年生の武地葉子さんという学生が「さくら湖に流れる川の水―蛇石川の水質―」と言う研究成果を発表していますが、専門的に見ても高い評価が出来る研究発表でした。

武地さんは三春ダムに流れ込んでいる川の中で一番きれいな水と考えていた蛇石川を調査の対象に選んだのですが、そこで実際に調査してみたら地下水まで汚れていることを発見しています。調査している中で、「この水は地下水だからおいしいよ」、と農家のおじいさんから声をかけられたのに、水質分析をしてみて、こんなに汚れている、とびっくりしたのです。武地さんの報告のまとめを以下に引用します。

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以上のような水質調査の結果から、環環の水を汚している原因は次の4つではないかと考えました。一つ目は生活排水です。人間が生活して出す台所排水、洗濯や入浴の排水などが、硝酸性窒素、リン、ECの値を高くしていると思います。二つ目は畜産排水です。牛などの家畜が出す糞尿が雨水に混じって川に流れ込み水を汚していると考えられます。三つめは農地排水です。水田や畑に入れた肥料の窒素、リンなどが流れ出し川の水を汚していると思います。最後は地下水・湧き水です。これはまだあまり多くの地下水を調べていないので汚染の原因と断定するのは早計であるかもしれませんが、今回の調査で川の水よりも硝酸性窒素、リン、ECが高かったので、これらの地下水が川に流れ込むことによって川の汚染の原因の一つになっているのではないかと考えました。地下水は流れが小さく、地下で土に触れる時間が長いので、生活排水や肥料などが土に染み込んでいたりすると、それらの影響を強く受けることになります。

今回調査した地下水は、人家や水田、畠の近くにあるため、肥料、畜産堆肥、台所排水が分解して水に溶けて地下に染み込み窒素・リン・塩類が出ているものと思われます。人が飲んでいる所もある地下水は、山の間の集落であっても汚れていることが判り驚きました。  

最後になりますが、蛇石川の美しい水を探して上流へ上流へと水質調査をしていきましたが、飲んでもいいなと思う水は僅か2地点だけでした。山から湧き出したばかりの、人家も農地も少ない所の水です。蛇石川はずうっと山奥の川だからきれいだと思っていたのですが、山の谷すじ沿いには、家や田畑が山の奥まである状態でしたので、よほど山の奥の奥まで入らない限り、きれいな水には出会えないことがわかりました。

一番驚いたのは、地下水も汚染されていると言うことです。ほとんどの人は「この水は地下水だからおいしいよ」と言います。昔は化学肥料を使っていなかったし、人間も少なかったために、汚れは自然界の中で浄化できる範囲内での発生であったので、地下水までは汚れていなかったと思います。しかし、今は違います。川も汚れ、地下水も汚れている状況を見て、これから私たちは水を汚さないような生活を考えていかなければならないと思いました。

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地元の人たちが参加することがこの環境フォーラムを活き活きとしたものにしています。とくに小中学校の生徒の研究発表には素晴らしいものがあります。武地葉子さんの研究は大変素晴らしいもので、日本学生科学賞、福島県審査で最優秀賞、福島県議会議長賞などを受賞されています。

 

2.8.5 三春ダムさくら湖の水質

さくら湖の水質を全窒素・リンに注目して全国のダム湖・湖沼の水質と比較して見ると図-7のようになります。窒素については全国のダム湖の中では最も高い濃度を示しています。

とくに他のダム湖や湖沼の窒素やリンの汚染の程度と比較して、さくら湖は全リンの濃度がそれほど高くないのに比べて、全窒素の濃度が高いことに特徴があります。霞ヶ浦や北浦、岡山の児島湖、北海道の春採湖、石川県の河北潟や木場潟などの汚染度は大変高いことがわかります。また、印旛沼や手賀沼はワースト湖沼で、三春ダムに比べても他の湖と比べてもダントツの窒素汚染度を示しています。

 この図の左下部分に枠が示してありますが、この枠が環境省の定めている湖沼環境基準の類型枠です。大きい枠から、類型V、IV、III、II、Iの上限値を示したものです。さくら湖の水は類型Vにも入らず枠外です。

環境省の湖沼環境基準を表-8、表-9に示しました。これらは生活環境保全に関する湖沼環境基準として定められたもので、天然湖沼と1000万m3以上の貯水量を持つ人口湖に適用される基準です。

水道水として利用するには表-8の類型Aに指定されることが必要です。それには、COD:3mg/l以下が要求されるのですが、さくら湖の水のCODは4.1mg/lで工業用水や農業用水に使える類型Bになっているわけです。

また、表-9では類型III以上の水質が水道水源として推奨されているのですが、それには全窒素0.4mg/l以下、全リン0.03mg/l以下であることが必要です。さくら湖の全リンは0.025mg/lですから何とかリンは合格ですが、全窒素は1.6mg/lで基準値を4倍も上回っています。

さくら湖の水質を改善するために、いろいろな対策が講じられてきたことを述べましたが、流入河川に副ダムを作り湖に流入する前に副ダムで一時的に貯水して、汚濁した河川水を停滞させ、流入してきた土砂を沈殿させ、土砂に付着している窒素やリンも堆積させ,それが貯まったら浚渫して除去すると言う計画は、ある程度の効果を示したことがわかりました。2000年のさくら湖環境フォーラムで報告されたダム上流の大滝根川の水質と、湖水の水質とを比較した結果では、前ダムで窒素やリンを沈殿させていることが明らかになりました。また、前ダムに沈積した堆積物を分析してみると、とくに細粒の粘土やシルト(泥質の堆積物)には多量の窒素やリンが含まれていることもわかりました。それでも、さくら湖の全窒素量を大幅に低下させることにはならず、流入河川水の全窒素量1.5mg/lを1.4mg/lに下げている程度です。

面白いことは前ダムに沈殿した泥質土を農地に使えば、既に窒素やリンが豊富に含まれるので、肥料を施さなくても植物が生育すると言うことでした。循環システムを考える上で、堆積土を農地に客土する実験なども始められています。

ダム上流の河川の水,ダム湖の中に貯留されている水,ダム下流の河川の水、それぞれの水質を試験して、ダム湖の水質の改善度をダム管理所で調べています。その結果は、ダム湖の水には大腸菌が極めて少ないことが明らかにされています。これは閉鎖性のダム湖の中で大腸菌が死滅して湖底に沈降したものと考えられますが、いずれにしても、上下流の河川水の中の大腸菌濃度に比べて極めて少ない値になっていることが確かめられています。また、SSが低い値を示すこと、クロロフィルが藻類の発生に起因して大変高い値を示すことなどが報告されています。これも富栄養湖として予想されることでした。

結論として言えることは、湖水の水質をきれいにするために、いろいろな対策が立てられてきたが、それは湖水の水質を大幅に改善するには至っていないと言うことです。さくら湖に貯まる水は上流から窒素分、リンを多量に含んだ水が流入してくるわけですから、前ダムで若干の窒素分やリンが沈積しても大幅な改善は困難であるのは当然のことといってもよいでしょう。

本格的にさくら湖の水をきれいにするためには、さくら湖という貯水池においていろいろな対策を立てても効果が少ない。受身の対策には限界があると言うことです。したがって、汚染源に立ち入って、発生源での窒素やリンの負荷量を減らすしかないと言えます。

2002年に開かれた第三回さくら湖環境フォーラムではダム管理所の水質係長が「三春ダムの水質の現状と水質管理計画」と言う題で発表していますが、その中で汚濁負荷発生源の改善のため『水質管理基本計画』を提案しています。

その要旨は環境省による1000万m3以上の湖沼に対する環境基準類型指定がさくら湖にも適用対象になるが、三春ダムではまだ制定されていないこと、水道に指定される水源としては、AA、A、B、C類型のうち、A類型指定が該当になるのだが、その指定を受けるためには、それに応じた環境基準に見合う条件整備が求められること、条件整備の中で、窒素濃度が極めて高濃度なこと、リンも常時0.03mg/l以下にしなければならないこと、さらにCOD値が3mg/l以下でなければならないこと、など指定の水質基準を満たすには多くの課題を抱えていることが指摘されています。

そして、それを満たすためには、受け皿になっているさくら湖でいくら努力しても困難であり、生活排水のための下水道の整備、農畜産業からの排水処理設備の整備、住民を含めた各機関との協調システムの構築、新たな事業設定を企画することの必要性などを提案しているのです。

簡単に言えば、窒素やリンの汚濁を発生源にさかのぼって減少することを流域全体として考えない限り、解決できない汚染であることを訴えていると言ってよいでしょう。

 

2.8.6 流域全体での汚染源分析

汚染源に立ち入って汚染を少なくする対策を立てるためには、その発生源を調査して重点施策を立てねばなりません。そのような観点で応用生態工学研究所では独自の研究費で流域全体を対象とした窒素汚染問題の調査研究を進めました。流域全体で窒素の循環をとらえ、河川の水質調査を粘り強く数年かけて進めるとともに、諸文献を集めて検討した結果を2000年に開かれたさくら湖環境フォーラムで発表し、さらに、その後の研究の結果をまとめて2002年のさくら湖環境フォーラムで発表しています。

表-10は流域全体を対象にした調査の内容です。また、図-8はこれらの調査地点を示したものです。

 三春ダムの流域面積は226km2 、流域の人口は34,000人、家畜頭数は7,600頭、下水道普及率は0%、森林面積は流域の40%、農地面積は流域の25%、74km2です。流域には大きな産業はなく、事業起因の窒素供給は大きくないのですが、これも検討の対象としています。

窒素の負荷は森林からも来るに違いない、人の生活によるものも下水整備が進んでいないことからかなり大きいであろう、農業では窒素肥料を使うのだから大きな負荷を与えているだろう、畜産も小規模な事業では規制の対象になっていないから案外全体では大きな負荷があるかもしれない、などということは簡単です。しかし、これを発生源別に量的に検証することは、きわめて困難な調査なのです。

河川水を汚染する窒素の発生源として、農業系、畜産系、生活系、事業系、自然系とに大きく分け、それぞれがどれだけの年間窒素負荷を与えているのかが調査の目的でした。

汚染の調査研究の内容として、表‐10に示すように、河川水の汚染に関する現地実測調査は流域概査88地点、とくに畜産に関係する精査6地点、水田施肥の関係を調査する24時間調査2地点が選ばれています。さらに、社会環境調査などの資料調査を加えて、現状でもっとも確からしい総合的な汚染要因分析が進められました。 

研究の結果を表-11に示してあります。

これまで硝酸性窒素汚染は、流域に生活する人が排出する生活系、ならびに畜産の糞尿処理の不備による畜産系が問題とされ、その対策としての下水道設備の充実、畜産糞尿処理対策などが取り上げられてきたのですが、実態は対策検討がこれまで進められてこなかった農業系が51%を占める最大の汚染源であることが推定されたのです。

応用生態工学研究所の研究結果では、畜産系による汚染は18%、生活系の汚染は22%、また、工場廃水などの事業系は3%、自然系が6%と推定されています。

この研究ではダム上流の代表的な観測点5地点で、毎月1回河川水の水質調査と流量観測を行い、また特定の地点で24時間継続水質調査を行うとともに、ダム湖畔の研究所敷地内で降雨に含まれる自然由来の窒素分析などを実施して、現状で確からしい汚染源別の寄与度を調べることが試みられました。

窒素の負荷量は、水質や水量の継続的な観測だけでは困難で、その供給源として、どれだけの窒素肥料が使用されたのか、畜産排泄物のうちどれだけが流失しているのか、など膨大な調査が必要です。そのために、流域別下水道整備総合計画調査(指針と解説)や三春ダム工事事務所(1995)による調査資料などを含めた検討が進められたのです。

窒素は有機体窒素と無機体窒素に分かれ、酸化の状況によってアンモニア窒素、硝酸態窒素、亜硝酸態窒素に分かれるのですが、調査の結果大滝根川流域における全窒素のうち80%が硝酸態窒素であることが判り、酸化が進んだ状態にあることが確認されています。

土壌に化学肥料や堆肥、畜産廃棄物などが混入されると、微生物によって有機体窒素が無機体窒素に変化したり、アンモニアが硝酸に硝化したり、脱窒されるのですが、これらの量には限界があります。土壌中では作物に吸収されたり、土壌に蓄積されたりしますが、これらにも限界があります。植物や土壌に蓄積されなかった窒素は、地下水に浸透していき、地下水に窒素がたまっていくわけです。さくら湖周辺の家庭で使われている井戸を調査してみると硝酸性窒素および亜硝酸性窒素が基準値10mg/lを超えて検出される井戸がいくつか検出されています。

図-9は三春ダムに流入する河川の上流域における窒素負荷量の変化を調査した結果を模式化して示したものです。特定の場所で負荷が急に増えると言うことではなく、流域全体から次第に窒素負荷が増えていくことが理解されます。このことは、大変広い範囲から少しづつ窒素負荷が加わり下流に行くほどに総負荷量が増えていくこと、すなわち汚染源は特定できるものではなく面的な広がりをもっているということが理解できます。

図-10は冬季(1月)及び夏季(9月)に実施した調査結果から、支流の流域別に単位面積あたりの窒素負荷量を示したものです。この図から農業生産活動が無い冬季には、市街地域が高負荷になっていることがわかり、生活廃水の影響が大きいことがわかります。夏季には市街地だけでなく流域全体に高負荷の支流流域がひろがり、生活廃水と農畜産排水が発生源になっていることを示しています。まさに、硝酸性窒素汚染は、面的な広がりをもった不特定多数の供給源によっていることを示しています。                          

研究していくと、窒素の流域全体での循環は一筋縄では行かないということもわかってきました。

不確定な要素はいろいろあるのですが、窒素の総排出負荷量は年間531トンほどになります。これは年間の河川水の水量と水質調査の結果から求められるものですが、それに対する寄与度として年間の平均寄与度で農業系が51%、畜産系が18%、生活系が22%、事業系3%、自然系が6%と結論されたのです。

この研究の結果は、いろいろな資料をもとにした推計ですから、もっと詳細な調査が行われれば、変わってくるに違いありませんが、流域面積の25%を占める田畑での農業に使用される窒素肥料から供給される窒素が全体の51%を占める。7600頭の畜産の糞尿から供給される窒素が18%を占める。34,000人の人の生活から供給される窒素が22%を占める、自然系(森林からの供給を含めて)の供給が6%を占めると言う推計は、常識的に考えても評価できる結果のように思います。

ダムの建設計画を立てるに当たって、国土交通省(当時建設省)では発生源別の窒素汚染寄与度を調べています。その時の推計では、耕地系が38%、畜産系が34%、生活系が8%、山林系が18%、工業系が2%と言うものでした。この結果でも農畜産業からの寄与度が72%となるのですが、生活系からの寄与度が過小評価され、山林系からの寄与度が過大評価されていたように思います。

応用生態工学研究所の実施した継続調査地点の1つに大滝根川の源流地点が選ばれています。この地点は、大滝根山の登山口に近いところで周囲には杉の植林がされており、林業地帯からの窒素負荷が調べられたのですが、農業や畜産の行われている他の地点に比べると窒素負荷量は10分の1程度で、窒素検出限界値以下という場合もあり、森林系からの負荷は年間を通じて大変低いことが確かめられています。応用生態工学研究所の研究結果では、農業系、畜産系を合計すると約70%の汚染要因になっているわけです。事前に調査されていた国土交通省の調査でも、農業系、畜産系の合計はほぼ70%と言うことでした。三春ダムに流れ込む大滝根川の流域全体における窒素負荷の状況がようやく明らかになり、農畜産業が窒素汚染の主役であることは、間違いないといってよいでしょう。

流域の下水が完備したとしても、生活系の寄与度22%部分が改善されるに留まり、農業や畜産からの汚染源に対して対策が講じられなければ、全体として大きな改良効果が期待できないということになってしまいます。

 

2.8.7 難しい対策の樹立

継続的な河川の水質や水量の調査・観測を基にした、ある流域全体を対象とした窒素汚染の発生源別寄与度の研究は、ほとんど例がないことと言ってよいと思います。それだけに、応用生態工学研究所で行われた研究の結果は、画期的なものといえるように思います。 畜産業に対しては、1999年に農水省から『家畜排泄物の管理・適正化および利用の促進に関する法律』が出されており、ある一定以上の畜産農家には「屋根つきの堆肥舎をつくること」、「適正な土作りをすること」などの通達が出されており、改善に取り組みが始められています。

問題は農業です。化学肥料の使用に対して、適正な使用をする、減肥をするということは、まだ緒についたばかり、あるいは緒にもついていないと言ってよいのです。

 

2.9 過剰に使われている窒素肥料

 

ワールドウオッチ研究所「地球白書2001-2002 第2章 しのび寄る地下水汚染を防ぐ」によると窒素化学肥料の使用の削減に関していくつかの事例が紹介されています。

世界中で窒素肥料の使用量は1930年の1Tgから1988年の80Tgと80倍に増加したということです。使用された施肥の窒素量と穀物に有効な窒素量との比は1.5:1、場合によって2:1になること、したがって、1/3ないし1/2の窒素分は穀物に吸収されずに土壌中に残り地下水または大気中に流出しているということです。

アメリカでは1980年代後半から化学窒素肥料の利用についての研究が進み、農家に対する指導・教育が強化されています。

1986年から1995年までの8年間で窒素肥料の使用量は毎年2%改善され、有効比は1.2‐1.5になっていることが報告されています。これは窒素肥料の有効利用に関する啓蒙運動が進んだためだと紹介されています。

ペンシルベニアのローディル研究所では高度集約農法で、化学肥料や農薬を使用せず有機農法を基礎とする伝統的農法と化学肥料を利用した農法との比較を10年間に及び実施し、両農法におけるとうもろこし・大豆の単収の差を比較した結果、常に1%以内であったこと、すなわち化学肥料を使わなくても収穫を落とすことはないことを明らかにし、伝統農法では硝酸塩流出量が60%低下することを明らかにしています。(Franklin et al., 1999)

オランダでは約550人の農業者が、農法の改良とモニタリングを行い、化学肥料・農薬の投入量を30-50%削減し、とくに殺虫剤の使用をゼロにする試みを行ったことが報告されています。

たとえば、土壌の肥沃度を検査して、必要な追加的養分の量を推定したり、多様な作物を栽培すると言う方法をとっています。その結果、化学肥料・農薬の投入量を減らす一方で、作物単収を維持することが出来、収益を増やすことが出来たということです。

彼らの農場は汚染が激減し、農業廃水に含まれる窒素とリンの濃度は40-80%も低下したと報告されています。(Jules Pretty, 1998)

韓国の実情に関しては、2001年に韓国農業基盤公社を訪問して、大変興味のある減肥料、減農薬実験を進めていることを聞くことが出来ました。韓国では2002年から土壌・地下水・表流水を対象とした環境汚染防止法が適用されると言うことがドライブフォースになりました。防止法の基本は汚染が発見された場合、浄化責任は汚染源の土地所有者にあるというもので、硝酸性窒素やリンの汚染が河川や地下水で発見された場合に、農業起因とされる可能性がきわめて高く、農家に浄化責任が求められる可能性が高いということから、使用肥料を3分の1に減らす実験が行われました。韓国の農家は貧困であり、浄化をする経済的な力が無いので、環境問題に対する自衛手段として、減肥料、減農薬農法を実験する計画が立てられたというわけです。

韓国農業基盤公社(KARICO)では、法施行に先立ち化学肥料や農薬の使用量を1/3に減らす実験を計画し、農家の協力を得て進めました。当初、化学肥料の使用量削減は収穫量の減につながると予想されたので、農家の積極的協力を得るために、収穫の減から来る損失を公社(国)が補償するという条件で実験を始めたというのです。ところが、その結果は、関係者すべてが驚いたと言うことですが、当初の予想に反し、化学肥料・農薬の投入量を1/3にしても収穫量に殆ど変化の無いことが判明したのです。この結果、これまでの農法においては、化学肥料を過剰使用していたことが明確になったのです。

農業基盤公社では予想外の実験の結果から、適正肥料による科学的な営農指導をはじめるということでした。(2001年9月、KALICO地下水事業部長Young Woong Kimと面談して調査)

 

2.10 科学窒素肥料の使用を抑制することはすべてにプラス

 

 これまでに述べてきたことを整理して見ましょう。

1. 地下水は各地で汚染されており、硝酸性窒素の汚染濃度は地域によっては、幼児メトヘモグロビン血症が高率で発生してもおかしくないほどになっている。

2. 都市や人口の集中している場所を除いて考えると、硝酸性窒素の汚染源は農業と畜産業が主と考えてよい。

3. 畜産業に関しては屋根つき畜舎を作るなどの改善策が法制化されている。今後、小規模畜産業者にもこの法規制を拡張していくことによって、有効な対策になりそうである。また、畜産排泄物を利用した堆肥の利用などは、地域循環型の窒素利用に繋がるとともに、有機農業の促進に役立つ。

4. 農業における窒素化学肥料の使用量は、各国の例を参考にして考えると、日本でも過剰使用されていると容易に予想することが出来ます。とくに、農業従事者が高齢化している日本では、肥料や農薬の過剰使用の程度が諸外国よりも高い可能性がある。

5. もしも、適正な窒素化学肥料の使用が研究され環境管理農業が促進されれば、肥料の全使用量は1/3ないし1/2と言う規模で削減できる可能性がある。

6. それによって硝酸性窒素の地下水汚染の程度は、1/2程度まで減らすことが可能になる。

7. 三春ダムだけでなく、多くの自然湖沼の富栄養化の問題に対しても大きな改善が可能と考えられる。

 もし、窒素化学肥料の使用削減により、硝酸性窒素の農場外流失を抑制することが出来たとすれば、それは、多くの関係者にプラスの要素を与えるに違いありません。

農業を営む人たちにとっても、収穫量を減らさないで肥料を減らすことができれば、化学肥料を使用するコストを削減できることになります。

周辺に住む人にとっては安心して飲用に供する地下水を得ることができることになります。

河川水や湖沼水、あるいは地下水を水道水源として利用する場合に水処理のコストを削減することができます。

湖沼の富栄養化が改善されれば、河川、湖沼の管理をする機関(国土交通省や地方自治体)に対しても維持管理費の削減に繋がります。

おそらく、このプロジェクトが進められた場合に、マイナスを受けるのは窒素化学肥料製造会社や農薬製造会社だけといってよいのではないかと思うのです。私は、化学肥料や農薬の過剰使用による、いうならば手抜き農業が進んだのは、日本だけではありませんが、肥料・農薬製造会社の巧みな営業宣伝、政治を動かし農協を動かした企業エゴによるものではないかと思っています。

 

2.11 まとめと提言

 

 まとめをする前に、最近長崎県で行われた地下水硝酸性窒素汚染対策調査のことを紹介しておきたいと思います。

 長崎県では環境省の全国地下水汚染調査で積極的な調査を進めています。1998年度-2000年度の地下水概況調査の結果、とくに島原半島を中心に環境基準10mg/lを高率に超過する汚染が発見されました。島原半島の調査地点144中42地点で基準値を超えたのです。

 汚染原因の解析と窒素負荷低減対策の策定を目標に、モデル地区として国見町と有明町が選ばれ、学識経験者、環境省、農水省ほかの専門家を委員とした検討委員会が持たれ、県では庁内連絡会議が開かれるようになりました。

このモデル地域の選定による硝酸性窒素汚染対策調査は環境省の委託研究として進められ、汚染源の把握、汚染源の調査、対策の検討、対策の策定/推進などが進められたのです。

平成13年度、14年度の調査結果に基づき、長崎県衛生公害研究所平成15年度研究発表会で発表された内容から紹介します。

汚染源としては、工場/事業系の汚染は地域の特性から汚染リスクが小さいことで対象から外されました。また、生活廃水からの汚染も、下水が発達していたことなど地域特性から対象外とし、主たる対象を畜産系、農業系、自然系にして調査研究が進められたのです。

平成13年度では28の調査井戸のうち82%に当たる23の井戸から基準値を上回る硝酸性窒素の汚染が確認され、平成14年度の調査では17井戸のうち52%に当たる9井戸から基準値以上の汚染が確認されています。さらに、最高濃度は13年度29mg/l、14年度36mg/lと、もしこの水を飲用していれば、幼児メトヘモグロビン血症が高率で発生してもおかしくないほどの高濃度が検出されたのです。

いろいろな化学分析を行いキーダイアグラムにプロットして見ると殆どの地下水は、温泉水や汚染地下水の特徴型である「アルカリ土類非炭酸型」に分類され、人為的な汚染であることが確認されました。

また、発生源を調べるために、放射性窒素同位体比が分析されています。

結論として、畜産廃棄物からの全窒素供給が年598トン(70%)、農業系からの全窒素供給量が年193トン(23%)、降水などの自然系が年54トン(7%)と推計されました。

この結果から、窒素負荷低減対策として次のようなことが挙げられています。

○ 施肥対策

1. 地域土壌の養分状況把握→適正な施肥量を把握し、過剰投与を防止

2. 有機物の還元などによる土作りの推進

3. 環境保全型農業者「エコファーマー」認定制度の推奨

○ 畜産排泄物対策

1. 野積み、素掘りなどの不適正処理を解消し、地下浸透を防除

2. 発酵処理施設、浄化施設などの整備

3. 適正処理により生成された堆肥、液肥を有機資源として有効利用

○ その他

農業協同組合、農業・畜産業現場従事者の意識改革

 

硝酸性窒素による地下水汚染はようやくその実態を明らかにしてきました。既に手遅れ!と言ってよいほどの高濃度の汚染が北海道や長崎県で見つかっています。

それでも環境省の指導で全国で行われている地下水汚染調査の状況を見ますと、まだまだ本腰を入れていない自治体が多いように感じます。

私のまとめは以下のようなものです。

○ 日本の河川水、湖沼水の硝酸性窒素汚染の多くが、三春ダム   

湖や長崎県で調査研究されたように農業と畜産業に起因すると予想される。

○ これまでは汚染原因を生活排水に求め、下水道整備などに投資をしてきたが、最も影響の大きい農業・畜産業には関心が払われてこなかった。

○ 問題は農林行政の消極的取り組みにある。流末における富栄養化対策では解決しない問題。汚染源である農業・畜産業のありかたに注目しなければ日本の農業は過剰化学肥料・農薬使用の状況から脱却できない。日本の地下水の汚染を改善できないでいる。

○ 調査指針が環境庁で作られているが、水道水源としての地下水を主要な対象としており、取り組みが不十分、調査事例も少ない。

○ 河川や地下水環境に関与している人の多く、そして国民の多くが、化学肥料や農薬により表流水・地下水の汚染が進んでいることに無知である。長崎県が「その他」の対策として指摘した、農業協同組合、農業・畜産業現場従事者の意識改革は、きわめて重要な指摘。

○ 硝酸性窒素による汚染を研究するためには流域における窒素の収支・循環サイクルを研究することが必要である。窒素は、アンモニア性窒素、硝酸性窒素などと形を変える。植物に吸着されるものもある。表流水に含まれた硝酸性窒素は粘土粒子に吸着されて河床に沈殿するものもあり、詳細な調査を行わない限り実態把握が大変難しい。

○ 流域全体としての窒素収支に関する本格的研究がこれまで実施されていない。これは、汚染源が多岐にまたがり、行政が縦割りになっていることが影響している。

 

しのび寄る硝酸性窒素による地下水汚染は、既にわれわれの足元に来ていると言うことが出来ます。日本は降雨量が多いから、そして山地が多く平均傾斜度が高いので地下水循環も早い速度で進むから、日本の地下水はきれいだ、という誤った認識は改めねばなりません。 

日本で安心して暮らせるのは、水道普及率が高く、高いコストをかけて高度な水処理をした水道が普及していることによっています。高度成長時代に生まれた大量消費の考え方、日本の経済力をもってすれば、きれいな水を得ることは力任せで水処理をすることによって可能なのだというような考え方、価値観を変える時代に来たことを考えねばなりません。

硝酸性窒素による地下水汚染は多発生源という問題を抱えています。人の生活、生産活動があれば、農業でも、畜産でも、日常の生活でも汚染源を作っているのです。

最近では硝酸性窒素汚染が問題であると言う認識が広がり、NPOなどの環境市民運動の中でも取り上げられるようになりました。それでも、まだまだ「硝酸性窒素」って何?と言う人が殆どです。

この章の最後に以下のような提言をしたいと思います。

 

1) 日本の河川水・湖沼水・地下水が農業や畜産業によって富栄養化している実態を直視する必要がある。

2) 硝酸性窒素汚染の実態把握が重要であることの理解を求める。

3) 硝酸性窒素の汚染が健康に影響を与えるレベルに達している可能性に関し、より徹底した調査を進める必要がある。

4) 日本の地下水は、大変汚染されていること、場所によっては深刻なメトヘモグロビン血症を幼児に発生させる濃度にまで進んでいることについてパブリックアウエアネスを広げることが必要である。

5) 環境管理(環境省・自治体)、河川管理(国土交通省・自治体)、農政(農林水産省・自治体)、水道衛生管理(厚生労働省・自治体)などにまたがる統合的な調査研究と対応戦略の策定が必要である。国の機関は協同して自治体を支援し、自治体が中心になって進めるのが効果的と考える。

6) 縦割り行政では水環境問題の解決は難しい。このままでは日本の水環境に関する改善は先送りされ、世界でもっとも後進国になってしまう。

7) 結局、過剰な化学肥料・農薬の使用を強いられているのは農業従事者であり、知らないうちに汚染の原因者になっている。

8) 流域全体として捉えることが重要である。市区町村といった行政区分は人間社会が勝手に作ったもの。地下水は行政単位を超えて流動している。流域全体の水循環を窒素を基準にして捉え、持続型農業・畜産業のシステムを開発・普及することが重要。

9) これまでは流末での力任せの浄化に頼ってきたが、発生源に立ち戻って汚染の低減に努力すべきである。

10) 環境の基本はきれいな水にある。21世紀は水の時代。地下水の広域汚染に無関心で来たことは社会的にも、経済的にも大きな問題である。

11) 窒素化学肥料を作るには膨大な化石燃料が使われている。化石燃料の価格は将来の世界の需要供給の関係、石油生産がピークを迎えようとしていることなどから、ますます高くなっていくに違いない。その結果、窒素化学肥料の製造コストも高くなっていくと予想される。窒素化学肥料の使用量低減は、エネルギーの保全にも繋がる重要な課題として捉える必要がある。

 

以上

参考文献

 

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B.W.ピプキン、D.D.トレント(2003):環境と地質(2001年刊行の翻訳)、古今

書院


 

第3章 内田守也

脱石油文明戦略策定は国家の急務

 

3.1 人類と地球が直面する危機

     −包括的視点に立つ共通認識の形成が必要―

3.1.1 人類とエネルギーの関りと世界人口急増の影響

人類は、火を発見して薪を燃やし暖を取り、料理に用い、夜の明かりや野獣から身を守ることなどに利用してきました。また約1万年前に太陽と河の恵みを活用する農耕・牧畜社会を作り出しました。食糧を増産し安定して供給する事が可能となって、野生の食物を求めて移動する生活から定住生活へと移行して、人口は次第に増し、様々な文化が芽生える様になりました。

火の利用は土器、金属製品の生産にも用いられて、石器時代から青銅器時代、鉄器時代へと社会は発展しました。

初期のエネルギー源は、牛、馬などの動物と共に、水力や風力という自然の動きを利用するものでした。蒸気機関の発明による産業革命は、その燃料となる化石燃料の開発によって、世界のエネルギー消費は急激に増加するようになり、それに合わせて人口は急増し始め、それがまたエネルギー消費を拡大してきています。そのエネルギー消費は、食料、家庭、商業、工業、農業、輸送と多岐にわたって行われています。

    (図 1  人類とエネルギーとの関り)

 世界人口は、1830年10億でしたが、1世紀後の1930年20億へと倍増、更に半世紀後の1980年44億、2000年60億へと急増しています。国連人口推計(2002年)では、2050年には89億人に達するとしています。人口の急増は、資源、エネルギー消費の増大、地球環境の悪化、食糧需給の逼迫を招き、それらの複雑な要因と連鎖が絡み合って多様な人類的危機が予見されます。この世界人口の規模の増加数は、地球の保有する人類を扶養する能力をはるかに超えるものではないかとの懸念を抱かせるものです。

こうした中で、世界人口約2割を占める先進国は、一層の経済発展を目指すでしょうし、その他の新興工業国は、急速な工業化進展と共に資源・エネルギー消費を加速させるでしょう。

また工業化への移行に伴って国内農業の衰退が進んでいます。それらによって、原料・食糧確保を国外に求める動きが加速し始めました。資源購入には経済力を必要とします。それに対する各国の利害の対立と競争の激化が目立つ様になって来ています。

 また一方で、1日1ドル以下の貧困・飢餓の巷にさまよう約12億人の人々が存在しています。歴史の示す処では、過剰人口を持った場合に対応するあらゆる方法の中での最後の手段は戦争であると言われています。地球規模全体として平均的に見て危機的状況に移行しつつある今、世界各地では様々な危機の濃淡の事情が存在していて、紛争が現実に多発し始めています。

 紛争拡大は防がなくてはいけません。更に問題は、世界人口の人種、地域、宗教、政治経済に極端な分布変動が生ずると見られる事です。例えば、現在欧州人口7億3000万人に対して、アフリカ人口約8億人とほぼ同規模ですが、2050年には、アフリカ18億人、欧州6億3000万人とアフリカの3分の1へ減少すると見られています。米国の国際移民も同様に民族変化が見込まれ、世界秩序を牽引した西欧社会の没落が予見されます。それと共に価値観の多様化が起こり、対立激化が懸念されます。

3.1.2 石油による経済繁栄は峠を超えた。

米国の反映を支えた大きな主柱の一つが石油である事は、万人の認める処です。ペンシルベニア・ロック・オイル会社のドレイクが、工業的に価値のある石油鉱脈を掘り当てたのは、1859年、ジョン・D・ロックフェラーがスタンダード石油を創設して、石油精製事業へ乗り出したが1870年です。19世紀半ば以降の米国エネルギー消費量の急激な増加と並行して、国内総生産は急上昇しました。石油と天然ガス開発による安価な輸送し易い流体資源の供給によって効率の良いエネルギー利用と石油化学工業製品の利用が可能となり、大量生産・大量消費による経済発展の環境が整いました。そして中東の巨大油田の発見は、世界規模での経済成長を促しました。石油は、自動車用ガソリンと石油化学品用のナフサ、航空機燃料用のケロシン、家庭用灯油、発電・船舶用の重油など、石油精製技術の革新は、市場に対して柔軟な且つ安価な原料供給対応を可能として、現在一次エネルギー全体の約40%、輸送エネルギーの約90%を供給するに至   っています。又高分子科学技術と工業の発達は、合成繊維・合成ゴム、合成樹脂の巨大産業を創出しました。1980年代には、化学繊維の世界生産量は、天然繊維と並び、合成ゴムは天然ゴムを凌駕、プラスチックスのそれは、容量ベースで鉄鋼生産を超えました。人類はこれまで自然に存在しなかった人工材料を石油から作り出して、天然材料と共に選択使用する時代を迎えることに成功したのです。その他、空中窒素の固定による合成肥料や農薬など農業、病魔を克服する為の製薬業や生活産業全般に深い拘わりを持つようになっています。

 人類は、地球に存在する採取可能な石油の約半分、しかも使い勝手の良い良質安価で輸送し易いものから既に消費してしまいました。そして現時点で280億バレル/年の消費を続けています。それは新たに発見される量の4倍であり、今後途上国の人口増と経済開発及び輸送の拡大に伴って急増する需要と合わせて考えると、減少する発見量とのギャップは急速に拡大するでしょう。石油の持つ物理的化学的な万能性は、その保有する高エネルギー密度性と相俟って、他に代用品を見出す事は極めて難しく、ひとたび石油供給減が始まると争奪への動きは価格の高騰に始まり、エネルギーと各種製品の安定供給への不安の増大など現代社会へ及ぼす打撃は計り知れない程広範且つ深刻なものになると予想されます。

3.1.3 人類扶養能力を失いつつある地球

 国連食糧農業機関(FAO)が、2003年9月に発表した統計では、穀物生産は18億6500万トン。消費に必要な量は、翌年にかけて19億6400万トンで、消費量が生産量を上回り、穀物在庫の取り崩しは必須となっています。問題は、世界の穀物生産量は過去8年間に渉り増えていないと言う事です。更に、2000年以降、穀物の収穫量が消費量に満たない年が続いている事です。不足量は、2000年1600万トン、2001年2700万トン、2002年9600万トン、2003年9300万トンで、穀物備蓄量は過去30年間で最低の水準にまで落ち込んでいるとの事です。

 穀物の国際価格は上昇し高値となっています。経済力の弱い途上国は、不足分を輸入して対応する事が困難な為、在庫の取り崩し量が大きく、前年の28.4%減少して、先進国減少の倍以上となっています。

FAOは、2030年の食糧需給見通しして、現在の地球人口約63億が83億に増え、今の5倍の穀物生産量が必要であるとしています。しかし耕作地は拡大が難しく、1トンの穀物生産に約1000トンの水が必要と言われる水資源は不足しています。石油減退が進み、化学肥料・農薬価格・燃料等の上昇が見こまれる中で自然環境の劣化を防ぎながら食糧生産を拡大する事は容易な事ではないようです。

地球人口の約8割の途上国では、2030年には約2億7000万トンの穀物が不足すると推定されています。現在でも約8億人が栄養不足に苦しんでいる一方で、先進諸国では飽食状態や肥満と言った事が問題となっています。食糧を世界的に人類の必要に応じて分配する機能が充分ではありません。不足分を購入する経済力欠如を抱える途上国事情など、著しい貧困格差の存在下で、食糧絶対量不足の顕在化が起こっているのです。

3.1.4 穀物生産に影響する気候変動と水資源

 地球温暖化防止に対する気候変動に関する国連枠組み条約(京都議定書 1994年)は、大気中の炭酸ガス(CO2)濃度上昇により今後100年間で1.4―5.8度気温が上昇し、世界各地で深刻な被害が発生する懸念に対応するものです。しかし、どのレベルで安定化させるべきかについての科学的解明は未だ為されていません。温暖化ガス排出の現状から現在の濃度360PPMを維持する事は不可能として、せめて産業革命前の約2倍の濃度である550PPMで安定化させると言う暗黙の合意でしかないのです。

 しかし地球温暖化の進行は現実に起こっています。気温の上昇は、高緯度・乾燥地帯の方が遥かに高くなります。また、海上より陸上の方が、沿岸地帯より内陸部の影響の方が大きくなります。こうした気候変動が地球の植物成長に適する地域、食料生産適地などの移動を引き起こさせています。

 世界三大穀物生産国は、米国、中国、インドで、全世界の約2分の1を生産すると言われています。インドは国内消費主体の生産で、国際通商上米国、中国の影響力は大きいものがあります。

 北米大陸の高緯度及び内陸部にある穀倉地帯は生産減少が見られます。中国内陸部の食糧生産地は、摂氏40度を超す熱波の影響で、11の省にまたがる650万ヘクタールの農地が旱魃の被害を受けました。こうした砂漠化と集中的降水による洪水に加えて、工業化の進展が複合して作付け面積減少が進み、年間穀物需要約5億トンに対して、4億5000万トン程度の生産と見こまれ、不足分を輸入や備蓄の取り崩しでまかなっています。中国の穀物価格の上昇と海外からの輸入の増加は、世界的な穀物需給と、食糧安全保障に大きな影響を与えるものと見られています。

 アジア地域における雨季が長期に及んだ事で、インド始め広い地域で農作物に被害が出ています。

 ヨーロッパでも旱魃の為に小麦の生産が甚大な被害を受けました。EUによるとヨーロッパの2003年の小麦の備蓄は56%減少したと見込まれています。

 地球の平均気温は、1970年代の後半以降上昇を続けています。気候変動による穀物生産適地の移動に対応して、短い年月の間に新しい適地を見出して農業地を開拓して行く事は経済的、政治的に難しい事業となります。、又急速な人口増の速度に対応する事は世界の各地域事情は異なっており、現実問題としては不可能に近いようにも思われます。従って既存の穀物生産地における生産減退は、人類の危機と言えます。

 一方、灌漑用水の汲み上げ過ぎも問題で、中国では、小麦の半分とトウモロコシの3分の1を生産する華北平野では、地下水面が毎年3メートルの割合で低下しています。インドでも全土にわたって目前の穀物生産利益確保の為水を乱用する事が、人工的に食糧生産適地を悪化させつつあります。

 異常気象は世界的に綿花の収穫も減少させており、綿花の国際価格はほぼ5年ぶりの高値で推移しています。農業では、食料と共に繊維生産も重要な事業で、途上国では、綿花の生産輸出を食糧・エネルギー資源の為の購買力としている処も多くあります。従って夫々の国の死活と生活に拘わる大きな問題とされています。

 2000年11月イタリヤ・ミラノで88カ国が参加して開かれた京都議定書の捕足会議でドイツの気象変動諮問会議の専門家から地球温暖化による温度上昇は、産業革命以前に比べて2度Cが限界で、これを超えると極地の氷床の大規模な溶解、北大西洋の海流やアジアのモンスーン気象の大変動などが起こり得るとして、各国の為政者に対して、この環境変化は人間が耐えられないほど過酷なものになると警告しています。地球全体の平均気温は、1900年以来0.6度上昇しました。21世紀末には、これが更に1.4−5.8度C上昇すると同会議は見ています。

 人類と地球の未来を展望し、包括的な水資源、エネルギー、気候変動に配慮しつつ、農業や経済発展活動を自然と生物との相互関係を踏まえて再生させ,迫りつつある危機に対応する事は、人類が取り組むべき緊急な課題なのです。

3.1.5 地球規模の問題解決へ向けて

 地球規模問題の全体構造には各国の産業化、国際競争力強化への動きの中で、人口の急増、資源・エネルギー消費の増大、地球環境の悪化、食糧需要の悪化などが相互に関連しています。しかも、工業化に必要な資源と共に、減退し始めた石油資源、水資源を巡って多くの紛争が見られます。地球全体の枠組を見つめつつ、個々の課題への国際的対応が必要となりました。平成8年5月に、科学技術会議国際問題懇談会は、「21世紀に向けた我が国の科学技術政策の展開について」との報告をまとめ内閣総理大臣へ提出しています。その骨格にその後の動きを追加してまとめたものを図2に示しておきます。

我が国は、寡資源国でエネルギー・食糧の多くを国外に依存している国です。頼りにすべき最大の国力は、日本人そのものと科学技術力で、経済力の維持と同時に、新しい地球社会秩序構築に我が国の技術力と資本力を活用する国家戦略の発揮を必要としています。それによって我が国の総合安全保障が維持されることになるでしょう。

 この為に、国民・産業・学界・行政・政界に適切な情報資料を共有し、夫々の立場で課題解決に取り組む事が必要です。その包括的な視点からの歩むべき方向を示し、知識、技術、技能の進歩を図りつつ適切に人類と地球社会で活用できるようなシステム構築への「知」の提供を行なう事がこれからの科学者技術者、知識人の為すべき事ではないでしょうか。

   (図 2.  地球規模問題の全体像 (―産業力強化、地球規模の問題解決―)

 

3.2 資源と開発を巡る国際政治動向

    −国際通商と石油資源・食糧―

3.2.1 国際石油価格を巡るOPECとロシアの動き

 石油輸出機構(OPEC)は、1バレル25ドルを適性価格として、1バレル28ドルを超えた場合増産し、22ドルを下回った場合減産する所謂バスケット価格を維持して来ました。石油資源量は中東アラビア海周辺地域に55%と集中しており、OPEC加盟の主要国を加えるとほぼ65%にも及びます。その中で、盟主サウジアラビアは、巨大油田しかも安価良質な膨大な産出余力を持ち、欧米からの石油価格を下げて欲しいと要請されると、平時には採掘を止めているいくつかの油田のバルブを開けて生産量を増やし、国際石油市場を供給過剰にしてきました。サウジはOPECを使って石油価格の決定権を握り、欧米との要請対応で欧米勢力による中東の政治安定を保って来ました。いま、イラクの石油生産回復が順調でない中、国際石油価格は30ドルを超す高値で止まっています。

 中東からの石油は、現在全世界の約3分の1の需要を満たしています。或予測によると、パイプラインやタンカールート保護の軍事的コストは、主として米国の納税者が負担しており、バレル当たり15−20ドルに相当すると見積もられています。今後、このコスト分担を石油価格に反映させる事が問題とされるかも知れません。

 OPECに加盟していないロシアはカスピ海油田の原油を積み出し、世界に向けて売りさばこうとしています。ロシアは、1999年日産618万バレルであった石油を日産820万バレル強へと拡大して、世界第1位のサウジアラビアに迫る石油大国となりました。旧ソ連邦の石油資源量は全世界の17%と見積もられています。プーチン大統領は、サウジに対抗して、石油価格の決定権を掌握し経済力と外交力の強化につなげる意図を持っている事は明白です。ロシア経済のかなりの部分が石油輸出に依存しており、プーチン大統領就任時の国際石油価格は10ドル台の安値で、そのため前のエリツイン政権は公務員の給料・年金の支払いが出来ずそのために政権不安が続いたと言われています。1バレル20−30ドルの石油価格の高値維持は、ロシアにとって必要なのです。またロシアの石油生産量拡大の期待は高いのですが、問題はパイプラインの施設が遅れ、生産した分が輸出に十分に回らないボトルネックの状態にあることです。

 一方、イラク情勢が安定した後、OPECは再び価格決定権を行使する存在となる可能性があり、1985年のサウジ増産による1バレル12ドルの低水準化により、旧ソ連の経済回復を失速させ1999年のソ連邦崩壊へとつながった事への警戒心がロシアにはあります。 ロシアの国土は世界の陸地の11.2%を占め、人口は世界の2.3%しかなく、国内総生産は1.1%に過ぎません。巨大な領土や資源を有していても、シベリアの永久凍土の下から天然ガスを掘り出す費用が消費地であるモスクワなどの市場価格の5倍もかかるとしたら、そうする事に一体どんな意味があるだろうと、米エール大学ポール・ケネデイ教授は「シベリアの呪い」として述べています。旧ソ連邦は、科学的社会主義の優越感による巨大主義を信じて、利用できる資源より開発コストの方が高く付く事に気づかなかったのです。そして巨額の資金と原材料と  何百万人もの労働者の生命を注ぎ込み、世界で最も寒冷な無人地帯に、大都市、製鋼工場、精錬所を作り出しました。北半球で最も寒冷な都市100の中85がロシアにあります。資源の開発利用には、掘削、採出、輸送を含めた最終価格の評価が必要なのです。従って、石油・天然ガスの入手には、国際価格の動向とその背景について正確な知識を持ち、油田開発、パイプライン建設・タンカー輸送とそれらの安全性について経済・政治情勢の分析が欠かせません。

 アラブ産油国がアジア諸国に負担させている1バレル1−3ドルの「アジアプレミアム」は、米軍の傘の下にある事と、米国は中南米、欧州はアフリカなどから石油を買う事が出来るため、アラブ諸国は欧米には公定価格で売らざるを得ない政治的理由があります。従って、ロシアはアラブ諸国を経由しないで大消費国の日本を始めとするアジア諸国へ石油を輸送する手段をトルコ経由、イラン経由、シベリア経由などの様々な方式で模索しています。

ロシアは世界の天然ガス確認埋蔵量の30.5%を占め、イラン14.8%、カタール9.2%、   サウジアラビア4.1%、UAE3.9%、米国3.3%と比較して解る様に、そのパワーは大きいものがあります。現在世界のエネルギー消費は天然ガス24%、石油37%となっていますが、2025年には、ガス需要が石油を抜くと見られています。既に欧州はガス供給の3割をロシアに依存している状況にあります。

3.2.2 欧米中心の国際通商秩序の限界

地球社会全体の相互依存を達成する仕組みとして、国際通商の枠組は非常に重要です。

世界貿易機関(WTO)は、先進国間のGATT(貿易関税一般協定)を引きつぎ、発展途上国までを含む世界貿易体制を確立する枠組となるものです。WTOに参加した途上国は、当初、欧米中心で作り上げられてきた体制に疑問を抱かなかったのですが、その後次第に、WTOは、欧米諸国に都合の良い貿易体制を作る仕組みではないかと考える様になりました。

これが表面化したのが、1999年にシアトルで開催されたWTO閣僚会議の失敗です。途上国の反撥と「反グローバリゼイション」を主張する欧米市民運動との共闘によるものでした。

シアトル会議の失敗を受けて、2001年11月中東カタールのドーハで開催されたWTO会議は、途上国に寄与する体制を模索する事をテーマに掲げて、途上国の貧困を救う事がテロ防止につながるとの意味付けが為されました。このドーハ会議で、先進国の農業保護政策が途上国の農業輸出を阻害しているという議論が大きく出されています。

WTOは、自由貿易を通じた経済繁栄を目指す国際機関で、農業協定も長期目標として「公正で市場指向型の貿易の確立」を掲げています。しかし、WTOは自由貿易原則を貫くのか、環境保全を目的に、「環境優先ルール」作りを行なって、環境保全を目的に貿易制限を認めるのかについてこれまでも激しい対立がありました。

世界63億人の中で、5分の1の先進国とその他の途上国5分の4が存在しています。国際連合アナン事務総長の示す様に、人類の直面する課題は、水(W)、エネルギー(E)、健康(H)、農業(A)、生物多様性(B)の五つがあり、農業は人類の生存問題と直結し水、エネルギーと密接な関係があります。こうした諸問題を克服しつつ貧困・飢餓からの脱却と言う国際通商ルールを考えねばならない筈のものです。

2003年メキシコ・カンクンで開催されたWTO第五回閣僚会議会合は決裂しました。

この会議で、米国の一強主義に反撥しているNGOが途上国と結束して、「自分勝手な国米国」のイメージを画き出した事が発端と言われています。

西アフリカ綿花生産4カ国、ベニン、ブルギナファソ、チャド、マリは、NGOの知恵の下に、米国は、自国の綿花農家に補助金を支払っているため、米国から輸出する綿の価格が不当に安くなり、西アフリカの綿花農家の収入を減らしています。米国は綿花補助金を廃止して、西アフリカの綿花農家に賠償金を払うべきだと提案しました。

一方、米国連邦議会上院の農業委員会委員長は、綿花農家支援で当選した人物で、政治家と綿業との癒着が強く存在し、米国は綿花補助金の議題を拒否しました。米国の綿花開発は、奴隷制度と関りを持ち、南北戦争の争点でもありました。これを発端として、アフリカ諸国は怒りを表明し、本問題を扱わない場合、先進国の求める投資問題などを議題にする事に拒否権を発動する事を主張したのです。

WTOは、全会一致の原則があり、一カ国でも拒否権を発動すると審議は停止します。

一方、EUは農業補助金問題を抱えており、投資問題の議題を先行させ、その後に農業問題を議題にしても良いとして譲らず、インド、ブラジルなどの途上国と鋭い対立となって、混乱し、カンクン会議は何の実りも無く閉幕しました。

3.2.3 途上国連合「G24」南南同盟の誕生

 今回のカンクン会議で注目すべき事は、インド、中国、ブラジル、南アフリカなど、21世紀の繁栄を約束する地域の指導的国々を中心に、24カ国がグループを結成した事です。ブラジル代表は、当初21ヶ国の参加により「G21」と呼びましたが、その後三ヶ国は増え24となりました。「グループ24:G24」の誕生です。

 途上国を代表し、米国、EUと対等に交渉する政治力と今後の発展力、そしてしたたかな交渉外交力を持つ国々の結集です。それは米国、EUと対抗する強力な第三勢力の台頭でもあります。

 ブラジルは、戦後先進国と発展途上国が対立する南北問題のリーダーでした。インドは英国植民地支配の経験を持ち、以前から先進国に有利なWTOの在り方に反対していました。

 中国は、2年前にWTOに加盟したばかりです。国境紛争を抱えた中印両国は、2003年6月のインド首相の中国訪問を機会に、関係を緊密化しました。また中国は市場経済化発展で、米国、EU共に接近を図っており、中国の発言力は高まりつつあります。中国は、国連安全保障理事会の常任理事国でもあり、世界の安全保障秩序への発言力も有しています。

 インドは、農業が輸出用より自給面が大きい状況にあります。又南アジアの中枢に位置を占め、中近東諸国とASEANを結ぶインド洋貿易の中心国です。この地政学的に重要なアジアの二大国家、中国とインド両国で、世界人口の3分の1を占めます。又、ブラジルなど中南米は太陽と水と大地に恵まれ、炭素固定力において、世界最大且つ最善の条件を有し、穀物輸出大国で米国の競争国でもあります。従って、先進国の農業保護政策は、自国の自由貿易競争力を阻害していると考えています。

これに、ASEANの大国インドネシアがG24に加盟しました。更に、米国が石油輸入を期待して二国間交渉を進めていたアフリカ最大の石油国ナイジェリアも加盟に踏み切りました。

 この結果、米国のWTO交渉はその思惑と作戦がことごとく外れて完全な失敗となり、米国は途上国への悪意をあからさまに示したとも伝えられています。従って、WTO交渉の今後の展望は最悪の状況にあると考えておく必要があるでしょう。米国は明らかに、WTO利用から二国間交渉へと大きく舵を切ったと見られます。むしろ、これを契機に動き出した、第三勢力G24の今後の行方を注目する必要があります。

 日本は韓国と共同歩調を取りましたが、このアジアの先進工業国と、中国が加わったASEANプラス3の動向を中心に、我が国は世界戦略を再考する必要があるように思われます。

 更に、インドとアフリカとの経済相互依存の関係構築への戦略が動き出しています。当分依存が避けられない中東石油を巡るインド洋情勢との関係への配慮も欠かせなくなって来ている様です。

 WTO交渉の今後に対しては、南北問題、嘗ての旧宗主国と旧植民地間の不信感の存在が南南同盟で再現化し出してきている事。

(1)石油危機以降の欧米先進諸国とOPECの協調と対立が見られます。それは経済問題に加えて、宗教・風土など価値観の相違がイラク戦争を契機に表面化しました。

(2)GATTで得られた先進国間の通商秩序の維持を保つ必要があります。これを基礎に新興工業国との投資、サービスに関する秩序の話し合いをどう進めるかを考える必要があります。

(3)NAFTA、EUの二つの巨大市場囲いこみへの欧米の動きと中南米及びアフリカ諸国との利害対立の表面化が見られます。

(4)テロ発生と米国一国主義によるイラク戦争後の国際協調の在り方も関りがあります。

(5)地球の未来への不安と人類的課題解決への国際世論の高まりにどう対応するかも考慮しなくてはなりません。

これらの諸状況を踏まえつつ対処する事が求められている。

 今回のWTO閣僚会議の決裂は、「反米欧主義」に途上国側の結束を固めた一点にあります。ブラジルなど中南米諸国は農産物輸出を拡大したい。そのため米欧の競争力となる補助金撤廃、国内助成の大幅削減を目指しました。米国の新農業法に基づく国内助成、EUの輸出補助金保護政策の温存と言う、米欧妥協による自由化枠組の提案は、受け入れ難いものがありました。加えてイラク戦争での米国一極主義への嫌悪感を持つ中南米諸国は結束して反対したと言うものです。

 インドは、輸入障壁を守り、経済政策に不利な投資保護などの新しいルール設定は葬りたい。途上国の市場開放は緩やかにすべきだと主張してきました。

 中国は、WTO加盟条件の市場開放は緩やかにすべきだと主張してきています。また、経済と内陸部の農業生産停滞と両地域の経済格差の拡大に直面し、これ以上の新しい追加的負担は避けたいと考えています。そのため、新規加盟国には、新ラウンドで新たな自由化の義務を負わせるべきではないと主張してきました。それぞれの思惑は異なっていましたが、急速な自由化を迫る米欧批判に、中南米のブラジル、アジアのインド、パキスタン、タイ、フィリピン、インドネシア、アフリカのエジプト、南ア、ナイジェリアなどの大国、有力な資源国、工業発展国が加わり、世界人口の半分を占める一大勢力が結束しました。

新しい対立軸誕生時代の到来とも言えます。

3.2.4 G24と南南協調が戦後のIMF・GATT体制に及ぼす影響

 今回のG24の結束と南南協調は、戦後の世界経済を支えて来たIMF・GATT体制の流れを変える契機となりそうに思われます。

 途上国側の指導国ブラジルのルーラ大統領は、アルゼンチンのキルチ大統領と2003年10月「ブエノスアイレスコンセンサス」に署名しました。

 このコンセンサスの内容は、米政府が主導する国際通貨基金IMF、世界銀行などの国際機関が、途上国へ勧告する「ワシントンコンセンサス」と対極にあるものです。

 「ワシントンコンセンサス」では、市場原理を重視して、貿易・投資の自由化、公社の民営化、政府介入の極少化を行ない、通貨危機に際しては、財政緊縮、金融引締めを提言するとして来ました。それは新古典派の経済理論に基づいているものです。しかし、経済学者にはノーベル賞受賞のスチグリッツ博士など反IMF派も多くいます。「ブエノスアイレスコンセンサス」は、途上国の立場に立ち、地域統合、雇用創出などの社会政策を主軸としているものです。

 主な内容は、一般的基本政策として、相互協力、民主主義尊重、社会正義の約束、貧困と失業の減少、政府の役割、行政の専門化と決定の公明化、社会除外者の復帰、地域科学拠点開発を謳っているものです。

 地域開発の方針として、

(1)両国間の不平等解消に、地域開発政策を適用する。

(2)森林保護のアジェンダ21、京都議定書など環境保護の国際協定参加を再確認する。

(3)メルコスールの強化をはかる。単なる通商ブロックではなく、価値、伝統、将来を分かち合うものとする。

(4)南米地域統合と国際会議における両国勢力強化をはかる。

(5)WTOドーハラウンド交渉は、カンクン会議で協議されなかった議題の不足分と農業部門に好結果をもたらすものと期待し、継続するものとする。

(6)共通の利害と憂慮を有する他国と同盟して、共同戦略採用への道を探る事を行なう。

(7)米州自由貿易圏交渉は、2005年1月までに、参加国の利害が均衡する合意を取りつける方針で継続を再確認する。

(8)公共債務の管理は、国富創造、雇用造成、貧困縮小、教育保険サービス提供など、経済と社会発展の持続をもたらす可能性のあるものでなければならない。

としています。

 両国は地球環境、食糧供給に、世界でも突出して恵まれた国土を有する途上国側の大国でもあります。

 「ブエノスアイレスコンセンサス」は、地球環境、世界経済、地域ブロック、国際通商と農業、南南同盟、米州自由貿易圏における南北対立、IMF・世銀の途上国への関与の在り方ななどに、大きな波紋を与える引きがねになる事が考えられます。

 2003年12月、ブラジル・アルゼンチンなど4カ国が正式加盟する関税同盟メルコスール(南米南部共同市場)とコロンビアなど5カ国によるアンデス共同体は、自由貿易協定を締結する事で合意しました。発効後最長15年で農産物や工業製品の関税を撤廃し、南米全域をほぼ網羅する人口約3億5000万人の経済圏の誕生で、この南米諸国と中国が経済面で急接近しています。中国政府の統計によると2003年の中南米の対中輸出額は前年より約8割増、北米、欧州、アジアを凌ぎ、最高の伸び率となっています。特にブラジル95%増アルゼンチン120%増と際立った伸びを示しています。

3.2.5 アフリカ開発会議とWTO農業問題

 日本が主導して発足したアフリカ開発会議が10周年を迎え、2003年9月東京で第三回会議を開催しました。

 アフリカのほぼすべての50カ国の大統領、閣僚が参加し、加えて、先進国、国際機関の代表も出席し、アフリカ援助問題討議の重要な場として定着したと思われます。

 アフリカは、人口増、内戦、旱魃、洪水など様々な要因が複雑に絡み合い、飢餓と農村問題が重要な課題となっています。

 海外からの食糧援助を緊急に必要としている国は、世界で38カ国、そのうち22カ国がサハラ砂漠以南のアフリカに集中している状態にあります。その地域では、極貧人口(1日1ドル以下で生活)が1981年の1億6400万人から2001年には3億1400万人とほぼ倍増し、全人口に占める比率も41.6%から46.5%へと増えたと世界銀行年次報告書は示しています。アジア地域の経済成長による貧困からの改善に対して、アフリカを筆頭に、南米や東欧、中央アジアの諸国で貧困人口の増加が見られます。

 今後のアフリカ援助と農業に関しては、今回アフリカ首脳が表明した先進諸国の農業補助金問題が重要となります。

 アフリカ諸国が特に問題視したのが米国の綿花補助金でしたが、先進国全体の農業補助金は、約3000億ドル/年であり、ODA総額約560億ドル/年を大幅に上回るものです。

 アフリカ諸国が、自立する為の競争力ある農産物を作る努力を行なっても、農業補助金によって、国際市場から締め出されていると言う状況に、目覚めた事が大きいと考えられます。

 アフリカ諸国は、メキシコ・カンクンWTO国際会議でこの事を強く主張しました。そしてそれを契機として南南同盟G24への流れとなったのです。

 古くは、欧米諸国は、援助を植民地支配に利用して来た歴史があります。援助する事によって宗主国への依存心を高め、指導的人物の教育を宗主国で行ない支配層として育て、自立を押さえる政策を行なって来たのです。アジア諸国は、もともと独自の文化を有しており、政治的独立の後、経済的独立を自力で達成しました。そして、欧米のアフリカ支援額の低下に対して、日本が支援額を拡大し、アフリカ諸国の信頼を拡大しつつあるのが現状です。更にインド、中国始めアジア諸国がアフリカとの経済協力に積極的に動き出している事が注目されています。

インド洋は、アフリカ、中東と東南アジアを結ぶ通商路であり、古い昔よりエジプトとインドとの交易から東南アジアにつながる海洋通商圏を形成していました。そのインド洋貿易は東シナ海貿易が重なって中国そして日韓経済圏へとつながっていました。こうした歴史を振り返り、今回のG24の形成は、新世紀の通商の新しい幕開けの一つとも言えます。経済は、援助から協力、人材育成と技術提供による自立をうながす「開発と貿易」志向へと移行が行なわれる時代となっていると思われます。

 半年振りに再開したスイス・ジュネーブでのWTO農業交渉は、2004年3月26日米国、EU、有力途上国連合の三者連合の三者がすくみあい、進展無く終る結果となりました。

3.3 新しい文化(生活様式)創造への道

     −石油文明の終焉へ対応―

3.3.1 脱化石燃料社会への移行

半世紀前に石油消費によって世界的に急拡大した文明は、今後半世紀でその終末へと移行します。石油依存による繁栄は、人類史的次元では約1世紀と言う短い期間でしかありません。この人類未踏の大転換期に生き残る者は、企業・団体、民族、国家ともに@強い者でもなく、A賢い者でもなく、Bこの変化に対応した者であると言えます。

エネルギーの確保は、人々の生存と安全な生活の保障、そして社会・経済・文化活動の維持・発展にとり不可欠なものです。エネルギー源の転換は、多様でしかも分散型の努力が必要となります。国家目標のもとに個人、家族、企業、地域、国夫々のレベルで出来る事から選択し実行するしか道はありません。

更に、石油に支えられて発展した20世紀文明と断絶した新しい文明社会の構築を目指した世紀に渉る改革が求められていると言えます。それには、

(1)無駄の無い社会への大転換を行なう事です。大量生産・大量消費からの脱却を実行してReduce, Reuse, Recycleの徹底した社会を構築する事です。

(2)自然依存の再生エネルギー開発が必要となります。太陽と空気(風力)と水、地球自然の活用を地域特性に適合した発電、熱利用、送電フリーの自立率向上を目指して知識と技術を綜合的に利用する事です。

(3)脱化石燃料型産業社会への移行が求められます。原子・分子・遺伝子レベルの科学技術は電子機能の利用ですから最少の資源とエネルギーで目的とする機能を引き出す事ができるものです。それを生物・地球環境との調和のもとに活用して行く仕組みを作り上げる事です。

(4)自然と共に生きる農業の再構築が必要です。衣・食・住の生活スタイルを自然回帰へ向けると共に都市・農漁村補完機能並立を達成させる新しい国土設計が求められています。

(5)健康と地球環境に基づく人間主体の社会システムの形成が大きな課題の一つです。人間の生態リズムの自然治癒力を基礎とする自立型健康長寿社会の樹立です。病気を予防し病への悩みを解決し健康自立の生活を夫々自分の力で行なえる制度・仕組みを作り上げると言う事です。

これは、国民に「健康で安全・安心な文化的生活」を保証する為の国家の総合安全保障戦略の一環として行なう必要があります。エネルギー源の転換を契機として進行するこれら多くの事は、エネルギーシステムだけではなく、経済・社会システムをも大きく変換させるものなのです。

3.3.2 エネルギー技術への正確な理解を

石油・天然ガスは、地球創生の課程で蓄積されたもので、その世界生産の減退への解決策は、経済学や経営学から出て来ません。それら自体が有限の資源で,市場は様々な代替技術や代替材料など重要な技術的制約要素について予知する様に装備されてはいません。自然科学と理工系の学問が正確な知識を提供するものとなります。唯、有限の資源の減退による価格高騰は、他の資源を利用可能な型へ転換させる技術開発と事業への投資を促進させる為の市場メカニズムへ影響を与える事になります。しかし、それは問題が起こってからの動きで、ここで問題としている事は、人類の危機へ一刻も早く準備を進める事が必要というもので、それに対して市場は短期且つ差し迫ってからのシグナルを示す事でしかないと言う事です。

 太陽から地球に供給されている太陽光エネルギーは、唯一地球外から供給され、恒久的なものです。その太陽エネルギーで大気が動き風を起こし、雲を生み雨を降らし、地球を暖め、光合成で植物を成長させており、水力、風力、太陽熱利用、太陽光発電、バイオマス利用のエネルギー源はすべて太陽光エネルギーです。従ってエネルギーそのものが再生リサイクルされるものではなく、太陽光エネルギーの特性とその利用上の限界についての的確な認識が必要となります。

 更に、大きな錯覚が進められているのは、夢の水素エネルギー社会と言われる水素利用システムです。あたかも地球上に水素が利用可能な資源として無尽蔵に存在するかの様な言辞が安直に為されているのが見受けられます。

 エネルギー資源としての水素そのものは、天然ガス中に僅かに含まれるだけで地球に存在しません。水を原料として電気分解して水素を製造する場合、その水素製造に消費されるエネルギー量は、、水素利用システムで利用されるエネルギー量より遥かに上回るもので、余程の必要性が無い限りその存在意義は無いと言えます。また、天然ガスから水素を製造する場合は、天然ガスの利用そのものと変わらないものす。、利用する形態と、利用時にCO2を発生しない事が異なるものです。ただ、原子力エネルギーによる水の高温熱分解で得られたものが他に利用されるものより利点があれば価値があると言うことになるでしょう。また有り余る水力などの自然エネルギーで水素を作り燃料電池として使い勝手のよい地域社会があれば価値があるでしょう。

天然ガスなどの化石燃料やメタン等のバイオマス燃料を原料として水素を製造する場合、資源の直接利用や農産物アルコール等との経済性、利便性、環境性、安全性、既存インフラとの適合性等の総合的視点から優れていなければ誤った判断を人々に与える事になる恐れがあります。

電力以外の輸送用エネルギーは、エネルギー発生力を持つ燃料などの物質運搬を伴う大量輸送です。水素エネルギーを輸出用に利用する場合には、水素製造、貯蔵、輸送、供給ライン整備などを含めた包括的な技術開発と評価を行なう必要があります。

 水素が代替エネルギーとして利用されるとしても、遠い将来の事になります。新しいエネルギ―システムを作り上げるのは巨大な事業であり、技術的、経済的、社会的な多くの問題を解決する必要があります。米ブッシュ政権も代替エネルギーの代表と位置付ける事を注意深く避けており、一つの保険のための技術開発と考えています。米国は液化天然ガス(LNG)の輸入に注目し真剣に取り組み始めていますがその世界規模の市場は無かったために、そのインフラ整備はこれからとなります。

 この天然ガスも無限でなく、入手、供給コストにより価格は1990年代の2倍となっています。

天然ガスなどを原料に液体燃料を製造する技術として注目されているのが、ガス・ツー・リキッド(GTL)です。天然ガス、石炭、バイオマス、廃棄物などを合成ガス化して、合成石油、メタノール、ジメチルエーテル(DME)、液化石油ガス(LPG)を製造すると言うものです。

GTLの実用化は、これまで人種隔離政策のため経済制裁を科されて、石油を殆ど輸入出来なかった南アフリカでの特殊な例に限られていました。しかしGTLは、原油生産に付随して発生するガスや規模の小さいガス田など、これまで商業化が難しかった天然ガスを効率的に利用し市場供給する可能性があるとされています。また、硫黄や芳香族を含有しないので、環境負荷が小さいGTL石油のメリットとされて、現在の原油価格の高騰に伴ってその価格競争力も高まっています。

 南米ブラジルでは、ガソリン80円/l、アルコール(エネルギー効率ガソリンの70%40円/lでいずれの燃料でも走行できる自動車が既に利用されています。それは砂糖黍からのエタノールで既にブラジル国産の有力な輸送用燃料資源として新しいエンジン開発によって実用化されたのです。太陽・自然エネルギー・原子力エネルギーの利用を、民生、産業、運輸の地域環境に合わせて、多彩な組み合わせと需要に合致した技術開発を進めなくてはなりません。その選択の為、国民、産、学、官、政と情報の共有とその多元的活用が必要となっています。

3.3.3 原子力エネルギーの選択

化石燃料の代替、地球環境への炭酸ガス排出の無い原子力エネルギーの利用は重要な位置付けを有しています。原子力には、核分裂反応利用と核融合反応利用がありますが、核融合原子力エネルギー技術は直面するエネルギー対策にとって現実的な考慮の対象となる段階になっておりません。また、核分裂反応による原子力エネルギー利用も現在の非増殖型熱中性子炉燃料サイクルのままであると、燃料の資源は早期に使い果たす事となり、その資源的限界は化石燃料のそれよりも短期間であって、代替と言えるものとはなりません。   核分裂原子力燃料元素ウランは、鉱物資源として品位の高い物は少なく、品位が低い資源からウランを精製する場合には、価格が高くなるばかりでなく、精製に多大のエネルギー量を必要とします。低品位のウラン資源から生産されるウランでは、現在発電の主流となっている軽水炉使用のウラン燃焼利用率は1%程度しかありませんから、そのウラン生産時のエネルギー消費量は原子力発電全体のシステムとしてエネルギー収支に大きな影響を与える事になります。専門家の指摘では、この収支に有為性を持ち得る可採ウラン埋蔵量は精々数百トン程度と言われています。従って、核分裂反応が増殖型高速中性子炉(FRB)燃料サイクルとして利用される様になれば、ウランの燃焼利用率は原理的には100%に近いものとなって、有意な資源量が格段に増大し、燃料資源としての限界が化石燃料を超える可能性が出てくる事になります。

こうした事から、我が国では高速増殖炉技術として、実験炉「常陽」の長年の実績を踏まえた原型炉「もんじゅ」の実用的性能試験の段階まで研究を進めて来ています。さらに燃料サイクル技術については、FRB用ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料体の製造技術を量産規模での生産実績を挙げているのを始め、FRB用使用済燃料再処理の技術が工学試験施設の建設段階まで進んでいます。高レベル放射廃液ガラス固化の技術開発は、実用規模施設の実液運転による固化体製造の実績を挙げるに至っています。FRBサイクルの主要な技術面は、その実用に対しての諸課題については、ほぼ把握出来る段階に達している様です。

しかしながら、これらの技術的課題がすべて克服されたとしても、それが社会的に利用する事が認知され、定着するには現在の原子力発電所に要求されている以上のFRB安全性確認、核拡散問題等への対応策など現在利用中の軽水炉原子力発電時代よりも一段と厳しい安全システムが構築されなくてはならないと言う問題が存在します。

科学技術的な視点からの真実の組み立ての上では安全は確立されると思われます。しかしその安全対策システムと取り扱う人間や不時の人為的破壊工作への対応など不信に由来する疑念を拭い切れない場合には、人類はFRBサイクル技術を利用することは出来ないと言う事になります。

化石燃料の減退とエネルギー需要の急速な拡大、また自然・再生エネルギー利用の進展の具合とそれらの経済社会の在り方の関りの変貌の中で、やがて原子力を本格的に利用するか、しないかの選択を問われる事になります。

いずれにしても、原子力利用は人類の選択肢の一つとして技術開発を行ない、その利用の可能性について保持して置く必要性があると言えるでしょう。

原子力開発は、幅広い産業に支えられた総合的技術力が基盤であり、経験に富む優れた技術者の存在が欠かせません。それには絶えず原子力発電所を建設し運転・保守・管理・改良を通じて技術力の維持と技術者育成をして行く事が必要です。それが無くては関連基盤が失われ人材も育ちません。日本原子力産業会議の「世界の原子力発電開発の動向」によれば2003年末現在、世界の原子力発電所は、建設、計画中のものを含めて434基です。地域別に見ると旧西欧(フランス、ドイツ、イギリス等)141基、北米(アメリカ、カナダ)119基、アジア100基等で、アジアは世界全体の約4分の1となりました。これまで世界の原子力開発をリードして来たのは旧西欧ですが、建設中はゼロ、計画中もフィンランド1基、北米は建設中も計画中もゼロです。これに対してアジアでは、建設中20基、計画中18基で、原子力開発の主力はアジアへ移りました。そのアジアの中で、日本は52基(建設中5基、計画中6基)、中国8基(同3基、0)、台湾6基(同2基・0)、パキスタン2基(同)となっています。

アジアで建設中の20基は、世界全体の53%、計画中の18基は70%を占めており、アジアが原子力開発の中心地域となりつつあります。その中で日本の原子力技術力の周辺技術や関連社会システムの在り方を含めた強化は重要な意義を持つものです。そのための人材育成は国内向けのみならず、アジア及び全世界にとって重要であり、その研究、開発、建設、稼動、保持、補修、管理などに関する基盤は、日本が一番整っている国と言えます。原子力においても、全世界の母なる技術力提供の国となる国策が必要と思われます。

3.3.4 経済成熟先進国日本文化の行方

 日本は少資源・過密・成熟国家です。人口密度は米国の10倍以上、中国の2.5倍、イン ドよりも高い、一方土地面積当たりのGNPな、EUの3倍以上、米国の13倍以上、中国の100倍以上です。GNP1千ドル当たりの炭素(C)排出量は、世界最少で米国の半分以下、中国の10分の1と最高の技術力を発揮して来ました。更に、日本の人口の約60%は国土の4%に集中しています。

 日本の一人当たりのGNPは約3万二千ドルと世界のトップレベルです。しかも大富豪はいないし、また極端に貧しい人もいません。高等教育卒業生は6割強で、殆ど「自己実現・生き甲斐」型の生活者です。従って、日本の消費者は欲しい「モノ」が無く、需要の飽和現象が起こっており、大量生産・大量消費・エネルギー浪費型経済は、日本では成り立たなくなっています。

 一方米国は、世帯上位約1割の人々が金融資産の95%を持ち、下位約9割の人々がその5%で、大部分のアメリカ人はローン漬けの消費による経済で、まさに金融が血液です。また広大な北米大陸を車社会として豊かなアメリカンライフを満喫する文明は、石油・天然ガスで支えられています。

 アメリカ人一人当たりのエネルギー消費は、石油換算で8.03トン/人(1998年北米)で、全世界の一次エネルギー消費は85億9700万トンですから、アメリカ人的生活を行ったとすると、10億7000万人、世界人口の約6分の1しか無いと言う事になります。日本は4.05トン/人で、日本人スタイルでは21億2000万人分、世界人口の約3分の1分に相当します。最貧国の多いアフリカでは、エネルギーをまったく使っていないか、極めて僅かしか使っていない状況で、アフリカ全体の一人当たりのエネルギー消費は、北米の約20分の1と言われています。今やアメリカンライフ追求の時代では全く無いのです。    

 米国は世界最大の石油輸入国であり、米国内消費の60%を輸入に依存しています。また世界最大の穀物輸出国でもあります。サウジアラビアは世界最大の石油輸出国ですが中東は穀物の大きな輸入者でもあります。1950年から1973年の石油危機までは、米国の穀物1ブッシェルと石油1バレルが同等価格でしたが、今は穀物7ブッシェルに石油1バレルの価格です。

 穀物の価格以上に石油の価格上昇が大きい事が気になるところです。

 日本は世界で最も進んだ経済成熟を少資源消費で果たした国家と言う事です。ハーバード大学名誉教授ジョン・ケネス・ガルブレイス(95歳ノーベル経済学賞受賞者)は、「経済進化」の国日本は、統計で現れる生産量、財の所有量、雇用率の数字で評価するのではなく、生活の質、満足感で評価すべきだと言っています。新しい鉄道建設のキロ数や、自動車の台数などは、日本の繁栄を示す重要な指標ではもはや無い。芸術、文学、建築や知的満足を与えるサイエンスや美しい自然など、暇になった時間を楽しく使う方が、数字の上の所得が減っても良い状況になっている。そしてガルブレイスは、消費者のQuality of Lifeの変化に対応した「新しい価値観を創造する事が必要である」として、日本は、今直面している新しい時代、経済成熟国家と言う経済に経営的に挑戦するには一番向いている場とまで言っています。新時代へ向けての日本人生活スタイルを築き上げ、それを提案すると言う脱石油文明へ挑戦する一番良い段階にある国と言えるのです。

 現在日本産業の業績は急伸しつつありますがその成長要因が劣化する可能性が見られます。

 2003年度世界経済成長の究極的原動力は、巨大な最終需要国米国経済の急回復にありました。

 その米国の成長の減速は必至と見られ、日本経済への影響が第一に挙げられます。第二に、非資源国・日本は資源インフレとの闘いに直面する事になるでしょう。

 資源・原料・素材の価格高騰に対して、最終製品への転嫁は至難であって、川上インフレと川下デフレに挟撃される製造業の経営環境は厳しい局面に突入しています。第三に、超低金利からの離脱による資本費用の上昇と高学歴就職者の人件費上昇との圧力が次第に高まっています。企業はこの様な厳しい収益環境のなかで、選択と集中と言う個性を生かした戦略的経営を行なって行く事になるでしょう。

産業は、「知」(大学)、「匠の技」(伝承)「先端技術」(企業)と「感性」(生活者の心)の包括的集約によって最先端商品を創造することを迫られています。

人類と地球自然との関りが問い直されている今、母となるべき先端工場を充実し、人材育成と共に世界の適地で事業展開を行なうために、夫々の地域にあったビジネスモデルを母なる工場をもとに創造して行くことが経営戦略に必要とされる時代となったのです。

 我が国は潜在的能力として、21世紀社会ニーズの高い電力、交通・安全、都市環境・リサイクル、住宅・生活(衣・食)、健康・医療分野などに強力な基幹技術を有しています。

 又、「知」の創造を担う国立大学が独立行政法人化され、研究・教育に加えて研究成果の活用促進が大学の第三の使命として法に明記されました。大学の資産(含む知的財産権)は国有財産から法人財産となり、大学の自主的な経営が可能となりました。旧文部省などの設置法第5条の権限規定は2001年の改正で、全省庁にまたがってすべて削除されました。大学は自主経営権を持ち、新しい社会の「知」の主柱となるように歩み出しています。制度的には米国に遅れる事15−20年と言えますが期待すべき動きと言えます。更に、水資源と森林、海洋に恵まれており、これらと地域の特性とを巧みに活用しつつ国内の制度・秩序を再構築しつつ、国内外への投資・国際通商への制度設計に関与して行く事が日本の未来を開拓する事になるでしょう。

 国際外交は、軍事力・経済力のハードパワーと、文化力・技術力のソフトパワーの両輪があります。特に日本の文化と技術を、経済力と組み合わせた国力の発揮が求められる時代となっているのです。

 また、ハイビジョンなどの高品位テレビや動画などに使われ、今後の情報通信社会の鍵ともなる高速大容量(ブロードバンド)通信では、先端諸国で形成する経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国の中で、日本事業者が速さと安さで断然トップを占めています。光ファイバ−などを使う毎秒百メガ(メガは百万)ビットの企業が日本でひしめき、電話線(銅腺)を使うイー・アクセスのデジタル加入者腺(DSL)サービス(40メガビット)を上回る事業者は、他の国には見られません。米国は7.1メガビットが最高、その他ではスウェーデン26メガビット、韓国20メガビットが上位で、日本が大きく引き離しています。OECDは、日本は2001年度後半以降に先進諸国で最もブロードバンド市場が急成長した国の一つと評価し   ています。

3.3.5 多様な文明併立の新世紀

 文明の伝播は、歴史的に政治的、軍事的、経済的支配に伴って行なわれて来ています。そして時の権力が好むものを取り入れ、嫌いなものを捨てると言う事が行なわれて来ました。

 地球社会において、夫々の民族と自然、そして発展段階に応じて夫々の地域における生活への願望が異なっています。それは人類文明史的視点から考えて、次ぎの4分野に分けられる様に思われます。

(1)高度農業国として農村破壊停止と再生貧困国家は、農産物自給と輸出による経済力向上を望んでいます。地域の電気と水の確保、農業技術と保健の支援が求められています。エネルギーの基幹は人力と家畜力、そして補 助として地域に適した小規模発電でしょう。

(2)工業移行国家の課題

   農業の衰退を防ぎつつ、環境負荷の少ないエネルギーで工業開発を進めることが必要と思われます。それには大量資源浪費型生産モデルと異なる工業化モデルの設定が、国際協力のもとで行なう必要があります。

(3)西欧型進化国家の安定化

   西欧社会では、最盛期を過ぎた20世紀後半、都市人口の膨張は止まり、都市から地方への人口移動が見られます。食糧自給率も回復し、イギリスは一時期60%だったものが77%へと向上、仏、独は余力を有しています。EUの形成に伴って、その圏内での都市、工業地域、農村の相互扶助の新システムが形成されつつあります。エネルギーも、北海油田の英国、原子力のフランス、石炭・風力のドイツに象徴される様に多様化し、ロシアからの天然ガス供給依存も進められています。

(4)先進経済国家の「新しい価値観」

   エネルギー投入による経済成長から、「知的資本」による成長への移行です。産業革命以降の2世紀の間に作り挙げられた文明システムは、その構成する様々な基本的要素の限界と劣化が急速且つ一挙に進みつつある状況にあります。

    無限と思われた石油を柱とする資源、クレジットカードに象徴される様に、金融システムの信用供与による無限の需要創造によって、大量に生産し、大量に消費する事を機能させる市場原理主義を今のまま継続させて良いのかどうかとの疑問を人類は付きつけられているのです。

  地域毎に選択された多様な文化の共存の中で、夫々の人々の利害を調和させた重層的経済圏を築いて行かねばなりません。そのための制度設計が、地球レベル、多国間レベル、二国間レベル、国レベル、地域レベルで自立と相互依存へ向けて行なわれなくてはならない状況にあるのです。

 特に貧困な発展途上国では、夫々の国の事業にあった技術と資本の支援を日本に求めています。それは、夜の光りが欲しい、それによって犯罪や紛争が減る。自立する教育支援が欲しい、それによって得られるものは自活する農業への知識であり技術なのです。そして井戸から水汲みに歩む子供や女性を助けるささやかな動力源であったり、地域の人々が使い勝手良く、簡単に維持・修理が自分達で出来るような簡便なものが多くを占めています。これらの貧しい国が自活する力を持たねば、先進諸国の繁栄も瓦解する危険性があります。日本は如何なるものでも作る事が可能な知恵と技術、そして製作する為の材料が調達出来ます。しかしこうした事は、ビジネスとしての市場志向からは行なわれません。多彩な日本の地域再生国家戦略と合わせて、その発想の活用を人類の為に国際社会へ提案して行く事も必要でしょう

 

3.4 新たな文明に向けて

     −人類史的大転換期への対応―

3.4.1 石油価格の高騰と米国経済への影響

現在、情報通信革命と先端技術の高度利用に伴って、地域全体で「情報」「カネ」が瞬時に移動し、それに伴って富が移動するシステムが機能しています。また産業化に対応した「ヒト」「モノ」の移動も容易となり、それに伴って経済活動の変化は国境を無くし、過去と較べられない程大規模なものとなっています。

原油相場の指標のなるウエスト・テキサス・インターミデイエート(WTI)の原油先物価格は、OPECが2004年4月以降日産百万バレル減産する事を決定した2月以降急騰、一時、過去最高の1バレル40ドル台に迫る水準まで上昇しました。米原油在庫は約2億8000万バレルと過去5年間の平均3億―3億5000万バレルを下回っています。原油高騰は米国経済の成長を阻害しかねません。また天然ガスの米国での先物価格は、1月に前年同時期に較べ7割高い百万BTU(英国熱量単位)当たり7ドル台まで高騰し、先高感は強い状況にあります。それは原料や燃料としての利用量の多い化学メーカーに影響を及ぼしています。ガソリン小売価格は、米エネルギー情報局の発表(20004年3月22日現在)によれば1ガロン(約3.8l)1.743ドルと過去最高値に迫る水準で上昇、車が必需品で、ガソリン代が家計費の約7%を占める米国社会では、これは増税と同様の影響を与える事になります。航空機用燃料費も高騰しており、米国航空機業界はテロ再発懸念の影響と合わせ軒並み純利益の下方修正、赤字拡大を発表しています。製造業も原材料やエネルギー価格の上昇が収益圧迫すると懸念を指摘しています。

 国際的な投機資金が、ドル安や低金利などで金融市場から原油など商品市場に資金をシフトさせている事も原油高の一因ですが、中国の急激な経済成長によって昨年の石油需要は550万バレル/日で日本の525万バレル/日を抜きました。中国の原油輸入量の正確な把握は難しいのですが、今後更に増大し来年は620万バレル/日と急増して石油需給を逼迫させるとの観測も買い圧力の原因となっています。

 世界最大の中東ガワール油田の約400万バレル生産には、約700万バレル/日の海水注入圧力を必要とする様に、サウジアラビアはもはや低コスト供給者ではありません。そうした採掘コストの上昇が現実のものとなり、一方良質で大量安価に採取出来る石油が見当たらない事から欧米石油会社は、新しい油田探索から既存油田の回収率向上へ経営努力の舵を切ったと言われています。長期的に原油資源の温存且つ高価格化志向の兆しが始まったとみられます。

 第一次石油危機の1973年から2003年まで、英仏独の石油消費量は2割前後減少しました。8%増の日本も90年代以降横ばいです。それに対して米国は14%増、80年代以降一貫して増加が続き、石油需要の海外依存度は、80年の37%から55%へ上昇しました。2025年には68%になると言われています。その新規調達予想量は900万バレル/日と見積もられ、現在のサウジアラビアの生産量に匹敵します。また米国内のガス消費量は過去10年間で35%増加し、現在は供給が追いつかない状況となっています。今後は液化天然ガス(LNG)の輸入に頼らざるを得ず、米国の石油・天然ガスエネルギーの海外 依存は更に高まる傾向にあります。

こうした中で、米国大統領エネルギー顧問Matthew R . Simmons氏の「The US Reaction to World Oil and Gas Depletion」の発表は注目に値するものです。

「石油とガス資源は文字通り再生不可能で、この頼りになるエネルギー無しでは、水、食糧、保健の持続はあり得ない。石油生産がピークを過ぎた地域は次ぎの通りである。北海、ラテンアメリカ(除くブラジル)、北米(除くHeavy Oil)、 アフリカ(除く深海)、中東(除くOPEC)。また旧ソ連邦(Former Soviet Union)に期待をし過ぎてはならない」と述べています。

OPEC生産者は、中東諸国以外は過去に峠を越えました。アルジェルアとリビアは生産可能ですが余りにも少量です。中東湾岸諸国だけが他の国の減少を置き換えて生産拡大が可能で、それは「Golden Triangle」と称されるイラク、クエート、サウジアラビアなど1000miles x 800 miles x 600 miles の米国アリゾナ州程度の中東地表7%の地域に集中しています。

 米国の9大油田の3つは100年経過、Heavy Oil は放置されて来ており、それを地上へ運び出す事は非常に難しいのです。また、それを使用可能なエネルギーへと変換するには大変な量のエネルギー投入を必要とすると言われています。いま人類63億人中50億人は、エネルギーを殆ど使用していないか、全く使用していない人々です。従って、全世界のエネルギー配分の適切な国際政治的対応を考えて行く必要があります。以上がSimmons氏主張の主な論点です。

3.4.2 穀物価格の高騰、生産地米州大陸と消費大国中国の台頭

穀物についても、市場は米国の大豆在庫が払底する事態を想定し始め、大豆価格が高騰しています。指標となるシカゴ商品取引所の先物相場は、ほぼ16年ぶりに1ブッシェル(約27kg)当たり10ドル台に乗せました。

 2003年度の米国大豆は、1988年来の凶作とされ、昨年度より6.6%減の6716万トン、一方南米ブラジル大豆は、7.1%増の約6000万トンで輸出量は2600万トンと米国を抜き首位を占めました。

 南米ブラジル、アルゼンチンの大豆収穫量は、米農務省の予測では今年9600万トンで、米国(2003年)の6500万トンを46%上回ります。

 一方1996年に大豆の輸入国に転換した中国の輸入量は、昨年の1188万トンから増えて2000万トンを超す見通しです。中国同様に、大豆を食品として使用する極東・東南アジアの輸入量は、日本、台湾、タイ、マレーシア4カ国で585万トンです。

 ヨーロッパの主要大豆輸入国オランダ、ドイツ、スペイン、ポルトガル4カ国の輸入量は約1200万トンで、大豆供給は完全に米国と南米依存の状況となりました。米国の穀物市場の常識とされていた市場機能、価格上昇が需要を冷えこませ、また作付け面積拡大による供給量増加で価格を押し下げると言う市場機能が働かなくなって来ている様です。米国産の不作を南米産の豊作で賄う構図が南米両国の天候不順、中国の旺盛な輸入で価格調整の限界を超える生産不足が見られるようになったからです。

 トウモロコシは逆に米国への一極集中が進んでいます。中国は2002年には米国に次ぐ1524万トンを輸出していましたが、昨年産は800万トン程度へとアルゼンチンの850万トンを下回る見通しとなっています。

 米農務省の推定によると、世界の穀物輸出需要は7652万トン、その66%が米国産、世界の期末在庫率は10%前後と、旧ソ連の大量買付けなどで穀物危機と言われた1972−73年の15%前後をも下回っています。

地球は穀物供給対応能力の限界に達する状況にある可能性と共に、しかもその供給を米国、南米大陸に依存し、その一極に食糧保障を委ねる不安定な状況が形成されつつあると言えます。

 2003年12月15日、ワシントンポスト紙日曜版は、「Dry with a chance of a Grain Shortage」と題して、2−3年以内に米国から中国へ向けて1日2−3艘の穀物運搬船が出航し、それは太平洋を横断する両国間の「巨大な臍の緒:ahuge umbilical cord」のような機能となるだろうと報じています。

 地球における炭素吸収源最大の大陸とも言えるブラジルの農地を、米国企業は1ヘクタール500ドルで、10万ヘクタール規模で買いあさっています。目当ては大豆、トウモロコシ、綿花、コーヒーの生産です。この農業王国の中核を担う緑の大地は、嘗て不毛の大地で1974年訪問した田中角栄首相(当時)とガイゼル・ブラジル大統領との合意によるセラード開発プロジェクトによって開拓され、約20年間で1000万ヘクタールが開発、その大豆生産量はブラジル全土の約半分を占めると言われています。牧草地を含めた開発面積は4600万ヘクタールを超え、更に増え続けています。この日系人の力による大地が米国資本の手に侵蝕され始めているのです。

 ブラジル全土の5%が農耕地4200万ヘクタール、農牧地は21%1億7700万ヘクタ―ルと言われている中での優良な農地です。また、巨大穀物商社カーギル社は、アマゾン河に数万トン級の輸送船が接岸できる穀物輸出港を建設したと伝えられています。輸入拡大国中国は、穀物と工業資源確保の為に2003年にブラジルへ派遣したミッションは300を超えると言われています。そして既に中国版JETROと言える通商振興事務所もサンパウロへ設置されました。

 こうした国際通商の拡大に伴って、穀物や石炭を運ぶ5万―8万重量トン級のパナマックス船の運賃も上昇しています。米メキシコ湾―日本の穀物船運賃は1トン72−73ドルと2003年初めの2.6倍と高止まりしています。中国工業化の急成長で鉄鉱石を運ぶ積載重量15万重量トンのケープ船運賃も上昇し、指標航路のブラジルー日本間が2月初めには1トン当たり42−43ドルと前年同期の3倍近く高騰しました。ブラジルを含む積出港では港湾能力を上回る船舶が集中し、滞船が深刻化する事も起こっていました。現状は若干落ち着きを取り戻しつつあるものの需要と供給をつなぐ輸送力の不足とそれに伴う運賃の変動と言う不安定要因も加わって来ています。

 一方、コメは世界の半数以上の人々の主食で、2002年の生産量は5億7600万トン、その生産量の9割はアジアが担っています。FAO調査によれば、2002年もみ付き重量で中国(1億7655万トン)、インド(1億1565万トン)、インドネシア(5160万トン)、パングラデイシュ(3813万トン)、ベトナム(3406万トン)タイ(2595万トン)などです。日本は1111万トンで世界全体の2%弱に止まっています。コメ生産は水の恵みの稲田、保水の森林とそれらの維持のための互助による小規模農家が生産の8割を担っています。世界で10億に上る零細農による作物で、平原による大規模生産作物のトウモロコシ、小麦、大豆などと全く異なる生産システムとなっています。FAOの見通しによれば、2030年には今のコメ生産量の約1.4倍必要と    していますが、ここ数年生産増加は伸び悩んでいる状況にある様です。

3.4.3 穀物備蓄激減とアジアの食糧難

2003年8月、マレーシアのクアラルンプールで開かれた会合で、ASEAN加盟10ヶ国と日本、中国、韓国3カ国は、緊急の際に互いに米を融通する為、備蓄システムに合意しました。この「東アジア緊急米備蓄システム」計画によると、タイ、ベトナム、ミャンマーなどの米輸出国が、米不足に備えて余剰米を備蓄すると言うものです。一方、米を栽培していないシンガポールなど米不足に陥りかねない国が、産出国に借款を与えると言うものです。

東・東南アジア地域は世界の米生産の90%を担っていますが、米を輸出しているのは中国、タイ、ベトナム、ミャンマーの4カ国しかありません。

アメリカ農務省の予測では、世界の米の消費は2004年もまた総生産量を上回る見通しで、これで3年連続して消費量が生産量を上回る事になります。その結果、米の備蓄は2000年1月の1億4800万トンをピークに、2003年4月の8300万トンへと43%も減少しました。世界の消費に対する米の備蓄比率は20%で、過去19年間で最も低い水準となっています。4年前には約37%ありました。米の値段も高騰し始めており、FAOが出す輸出米価格指標は、2003年2月から既に22%も上昇しています。世界的には更なる米の需要増が見こまれており、このためFAOは、「2002年以降、米価は低い水準に保たれて来たが、この辺りで一気に高騰する可能性がある」と見ています。

 米以外の穀物の備蓄も減少の一途を辿っています。過去4年間、小麦の消費は生産量を上回っており、2003年の小麦の生産量は95年以降で最も少ないものとなり、2004年もこの状況が変わる見通しは無く、生産は引き続き消費に追いつかないとアメリカ農務省は予測しています。

 こうした状況を受けて、小麦の備蓄も99年の2億300万トンをピークに減り続け、2004年には1億3000万トンに落ち込む見通しとなっています。これは過去21年間で最も低い水準となります。小麦の備蓄比率は22%へと過去29年間で最も低い水準となる様です。トウモロコシや大麦に関しても同じ状況で、消費に対する備蓄の比率は、トウモロコシ、大麦ともに2004年には13%程度に落ち込み、過去20年間で最悪の数字となります。

 穀物は家畜の飼料にも使われるため、穀物生産が減り、備蓄が落ち込むと穀物価格が上がり飼料の価格も上がり、食肉の価格にも跳ね返る事になります。

 こうした穀物備蓄の急速な減少の原因は、異常気象だけではなく、長年の過剰生産によって穀物価格が下落して来た結果、ここ数年、耕作面積そのもの減少した事にもあります。さらに世界各地で急速に進む都市化も、耕作面積の減少に拍車をかけています。これに対して需要は拡大する一方なのです。とりわけ中国の経済発展に伴う需要拡大は著しいものがあります。

2003年11月新華社通信報道によれば、中国国内の穀物生産は5年連続減少に対して、穀物と油用種子の輸入量は前年比2倍に膨らんでいます。その2年間中国政府は国の穀物備蓄を使って生産量の不足を補って来ましたが、「消費と生産の格差は、江蘇省や山東省などの穀倉地帯で広がりつつある」と国家食糧備蓄局政策規制部は言っております。

 中国の穀物消費の増大は、経済成長による世帯当たりの収入増、質の高い食への移行が関係しています。中国人の食生活が変化して動物性蛋白質需要が増えると大豆需要が拡大します。

と言うのは、豚や鶏に与える飼料に適度の大豆を加えると、体内蛋白質への変化率が向上して家畜の成育が良くなるからです。これが急速な大豆輸入を中国が南米から行なっている要因なのです。

「新たな穀物不足時代の到来」を警告する中国穀物業界の幹部もいます。彼は、「穀物の増産を図らない限り、2005年は中国の穀物市場にとって大きな転機の年となる」と言っています。

3.4.4 地球温暖化防止と国家戦略

地球温暖化防止の推進派であるEUは、自国産業が競争力を失わない事を前提に対策を実施しています。日本は,世界のエネルギー起源CO2の半分以上を占める5ヶ国の中第4位にあり、実質的な削減義務を負う唯一の国と言う状況にあると言えるでしょう。

最大の排出国米国は離脱しています。米エネルギー省によれば、2002年の米国総排出量は、CO2換算で68億6200万トン、このうちCO2が82・8%の57億9600万トン、メタン8.9%の6億1300万トンなどとなっています。1990年比の10.9%増です。米国が京都議定書へ復帰を決めると、温暖化ガスの排出量を2010年までに1990年比7%削減しなくてはなりません。広大な国土で石油と天然ガス依存体質の米国経済の状況から、削減義務の達成は絶望的と言えます。しかも米国の消費市場頼みの景気回復途上の世界経済事情からも、現実的に実行不可能な状況となっています。

さらに削減義務の無い中国、インドなどの経済急成長に伴う急速な排出量増大は著しいものがあります。米国と途上国の排出量の伸びを考慮すると、米国(排出割合36.1%)を除く先進国が京都議定書目標を仮に達成したとしても、2013年の世界の排出量は約30%増となってしまいます。

ロシアは排出量17.4%で、この国の参加で京都議定書の発効条件は満たされる事になりますが、プーチン大統領は当面批准しない事を表明しました。同国の石油・天然ガス供給拡大による経済発展志向には、米国や途上国の資源消費型経済拡大を抑制する動きは国益とならないからです。また炭素固定に有利な国土条件への疑問、国民生活条件改善など複雑な国内事情とも絡み合ってロシア参加の見通しは立たなくなっています。

一方、世界石油生産の減退、生産調整による価格の高騰などが、CO2濃度の上昇よりも急速に顕在化し、世界経済への影響拡大懸念が高まっています。いま世界は経済と環境問題との対立激化か、それとも両立した未来展望を画き得るかの瀬戸際に立たされている状況にあると言えます。

問題は、自然による森林や農地による炭素固定量の拡大と、化石燃料消費によるCO2排出とのバランスを地球レベルで達成する事です。その人類と地球自然との枠組の中で、地域に適応したLife Styleによる可能な限り再生可能なエネルギーに依存した生活水準の向上を考慮する事です。排出権取引など、市場原理による排出抑制は、本質的なCO2を固定化策ではないと言えます。

我が国は、技術立国として世界各地域における適切なエネルギー開発を追求し、技術の資本の提供を行なう必要があります。、また地球世界全体を俯瞰して、科学技術立国としての国家戦略を考慮すると、我が国は、近隣のアジア諸国、オセアニア諸国との相互依存の構築と共に世界最大の炭素固定大陸国家ブラジルなどとの相互依存について、日本の技術力と資本の提供による南米の経済と雇用の発展、結果として炭素固定と食糧・バイオマス等の関係強化を積極的に行なって行く必要がある様に思われます。

3.4.5 イースター島悲劇の教訓

 イースター島は、太平洋ミクロネシアに位置する面積1万6628ヘクタール、周囲60キロの絶海の孤島です。ポリネシア人が上陸して生活を始めたのは3世紀とも5世紀とも言われています。

 1722年、オランダ人ヤコブ・ロツゲフェンがこの島の最初の訪問者であり、彼の見たものは、立ち並ぶ巨大な石像に額ずき、敬虔な祈りをささげる人々の姿であったと言われています。人口は6千人くらいでいくつかの部族を形成、地味は乏しく農作に適さぬ土地であったが、ニワトリ、サツマイモなどを食物として暮らしていました。彼らの信仰的・文化的産物であるモアイ像は、島中央の凝灰岩台地から刻み出され、海岸に海を背にして並び立てられていました。6−7メートル、10トンに達する巨大な石像をどうやって運び、どうやって台座の上に押し立てたのかは未だに謎と去れています。約50年後の1774年、ジェームス・クック船長が上陸し、彼が見たものは、一体も余さずなぎ倒されたモアイ像と、惨めな暮らしに喘ぐ一握りの生き残った人々だったと言われています。千数百年に渉って独特な言語・文字・文化を作り上げて来た彼らに、この約半世の間に一体何が起こったのでしょうか。1万人を突破したと想定される人口増に対する食糧の窮乏と資源の枯渇は、部族間の対立を呼び、奪い合い闘いとなって、自らを滅ぼしたと推定されています。

 黒曜石のノミでモアイ像を刻むと言う石器時代そのままの暮らしをして来た閉鎖社会イースター島を、惑星地球に置き換えて、人口爆発、地球環境の悪化、食糧不足、エネルギー・資源不足など様々な悪条件が今後拡大する人類の未来を重ね合わせて考えて見ると、イースター島の悲劇を避ける道を見出す必要性に迫られている事が解ります。

 農耕牧畜がメソポタミア地方で始まった頃、地球人口は約400万人。それが今の地球上の可耕地は約48億ヘクタールと言われ、人間一人養うのに0.6ヘクタールとして算術的計算では地球の容量は80億人となります。経済・生活格差や生産と消費の遠隔、砂漠化の進行、水資源の争奪、エネルギー確保、感染症対策等々各地域の事情によって地球の容量は、もっと少ないものとなるでしょう。従って現在63億人の人類は、もはや人類扶養能力を超えた地球にも拘わらず、経済成長の名のもとに資源浪費、争奪競争を続け破滅への道を辿っているのではないかとの危惧を感じます。イースター島の悲劇を教訓として、新しい文明規  範を生み出す必要に迫られていると言えましょう。

3.4.6 経済協力と開発への動き

これまで世界の経済秩序の方向付けは、東西冷戦もあって日米欧など西側の主要な先進30ヶ国が加盟する経済協力開発機構(OECD)が主要な役割を果たしてきました。経済が地球規模となり、欧州連合(EU)が2004年5月に拡大する事もあって、加盟国を拡充する為の包括的な改革案がまとめられました。OECDへ新規に加盟する条件として次ぎの項目が示されています。

(1)同質性: 市場主義、民主主義、一人当たりの国民所得、法の支配、人権尊重などに、ほぼ同様な考えを持つ事。

(2)重要国: OECDに貢献する意志も能力もある事。GDP、貿易量、人口、など量的ではなく質的に重要な内容を持つ事。

(3)相互利益: 既加盟国と新規加盟国の双方に利益となり、政策などが既加盟国に参考になる事。

(4)グローバルな視点: 地理的な分布も含めて多様性を考慮、加盟国構成のバランスにも配慮する事。

 OECDは、これまで世界経済を牽引した国々のコンセンサス形成に役立って来ましたが、21世紀の世界を変えると見られている巨大な人口、国土、資源を抱える大国ブラジル、ロシア、インド、中国(4ヶ国の頭文字を取ったBRICSと称されている)の4ヶ国が加盟していません。また加盟するのか加盟できるのかと言う問題があります。この4ヶ国は、技術力、企業活動力の力を急速につけて経済成長し、政治・外交にも影響力を強めています。そして米国一極集中と米国主導の経済的構図を塗り替える底力を秘めています。

 BRICS4ヶ国合計の国土面積は地球陸地の3割、人口は27億人で全世界の4割、化石燃料資源や食糧生産供給力など潜在的国力は極めて高いものがあります。2002年の国内総生産(GDP)は2兆5千億ドルで米国の4分の1ですが、今世紀の半ばまでには日米英独仏伊G6を追い抜く可能性が指摘されています。

 OECD加盟には「他の国際機関」への参加も条件としており、WTOの未加盟のロシアはこれが障害となります。ロシアは2003年6月「外国企業による石油利権の搾取は認めない」事を議会が決定、探査・掘削と資本調達で自立する決意と自信を示し、米国とEUに圧力をかけ、また地球温暖化防止条約発効に、ロシア批准が鍵である事から、これを武器にEU、日本と米国の分断を図り国益を目指す外交を展開しています。他の3国は、WTOでの南南同盟に見られるように、先進諸国と一線を画した新しい対立軸を模索し始めてもいます。中国は新規加盟条件の中で、「民主主義」「人権尊重」などの同質性について既存加盟国と異なった状況が 加盟の障害となると言われています。

 これに対して、中国は例えばインターネット問題の国際管理を米政府と関連深い非営利法人     から国連管理に移す要求として「社会制度や文化の多様性の尊重」を主張し、米国優位の体制に挑戦しています。これにインドとブラジルが同調し、国連に作業部会が設置される事に決まりました。

 また、ブラジルのルーラ大統領は、先進主要国首脳会議(サミット)に対抗するBRICS4ヶ国に南アフリカを加えた5つの地域大国サミットを立ち上げる構想を画いています。一方、6年前には通貨危機がブラジルとロシアを襲い、インドの貧困層問題、中国経済の過熱問題などの懸念が存在しています。

 こうした多極的な世界を動かす力学が複雑になりつつある状況の中で、これまでOECD諸国が作り上げて来た経済協力と開発の基準に、未来の大国を同化させて行くのか、WTOの場における様に、経済活動と各国利害の衝突と調整の繰り返しの中で夫々の国の将来を正しい方向へ導く国際的な基準が形成されて行くのか、地球社会の経済構造改革進行の兆しが感じられます。

 やはり、人類史的大転換期にある事実を世界の人々が共通認識を持ちつつ、これまで築き上げて来た秩序をもとに、人類と地球社会の視点から、夫々の民族、宗教、歴史、風土と選択される生活を相互に尊重しつつ、新たな文明の形成に向けて経済協力と開発を考えて行く事が重要な課題となる事でしょう。それには気の遠くなるような努力と忍耐と話し合いを必要とするものと思われますが、一方、事態は切実であって、時間をかける余裕に極めて乏しい事も認識する必要があります。

3.4.7 東アジア経済連携から共同体への道

    (追加分:手書き原稿)

 

3.5 国家戦略策定へ科学技術連合フォーラムの活動

     −人類危機へ科学技術力の発揮をー

 平成13年1月6日、内閣府発足と共に総合科学技術会議が活動を始め、経済財政諮問会議と共に、我が国立国の科学技術基盤の拡大強化と、産業競争力の強化、全地球的課題対応への国家戦略が図られる様になりました。これに呼応して、科学技術関連団体、工学、農学、医歯薬学アカデミーなどと教育関連団体が協力して、科学者、技術者の現場・草の根の声をもとに、国家経営に必要な問題提起を直接内閣府へ届け、それらを関係する行政、産業、地域へ浸透させると共に、野にある諸賢の「知」を踏まえた未来展望の形成を図る科学技術連合フォーラムが結成されました。

世話人には、平成7年超党派議員立法による「科学技術基本法」制定に深く関与し指導力を発揮された当時の日本学術会議会員を核として、ボランテイア精神に富む見識の高い方々がなられています。事務局は、明治12年我が国近代化の指導者育成の役割を果たした工部大学校(後に東京大学と合体)卒業生によって設立された(社)日本工学会です。

明治開国と言う国家近代化の大事業に技術者として取り組んだ先人の志を伝承する日本工学会に事務局を托したのは、今まさに地球レベルの大変革に我が国が科学技術立国を国是として、対応しなくてはならない運命に直面していると思われるからです。その活動の立脚点は、次の様に考えております。

(1)専門知識を預かる科学技術者の責任

科学技術は、高度化するほど専門深化し、細分化が進みます。一方、産業社会や国民生活に科学技術を活用するには、専門知識の相互交流と使用目的への総合化が必要となります。さらに、人々が科学技術利用の選択を理解する為社会との関りと結合させた一般知識へとする努力が求められます。それは、専門知識を預かる者の責任と思います。

科学技術連合フォーラムは、専門知識の結集と、それが一般知識となる行路へ導かれる世話を行なうものです。そのために、人類及び国民が直面する中心的な課題、主要な問題、それらに関するより正確で重要な情報、注目すべき理論や考え方、世界の趨勢などに注目して活動しています。それらを国家・国民の為の戦略策定に資する為に問題指摘と資料提供を行なっているのです。

(2) 憲法の理念・理想に則った「科学技術基本法」制定

   平成7年11月、超党派議員立法によって、国会において全会一致可決成立した「科学技術基本法」は、我が国にとって画期的な事でした。そして、日本学術会議の提唱した「戦略研究」へ向けて現在GDP比約1%の国費が科学技術分野へ投入される様になっています。

   基本法とは、憲法と個別法律との間にあって、長期的展望に立ちつつも、時代の変化に即して、憲法の理念・理想を個別の法律に反映させ、新しい方向付けを行なう事が主たる役割と言えます。日本国憲法に次ぎの事が示されています。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する事を確認する」

   本フォーラムは、我が国が科学技術によって国際社会の中で名誉ある地位を維持し、人々の「健康で安心・安全な文化的生活」を保障する為に、科学技術が活用される事を願っています。従って国費投入には高度な国家戦略に基づいて行なわれなくてはならないと考えています。

(3)人類扶養限界を超えた地球の現実を直視

   「科学技術基本法」提案理由に次の事が挙げられていました。「明るい未来を切開いていくためには、独創的・先端的な科学技術を開発し、これによって新産業を創出する事が不可欠。また、環境、食糧、エネルギー問題、感染症問題など人類の将来に立ちはだかる諸問題に対し科学技術の期待は大きく、この面での我が国の貢献が強く求められている。更に科学技術は、我々の自然観や社会感を大きく変え、新しい文化の創生を促すと言う側面を有するため、これを人間の生活、社会及び自然との関わり合いの中で捉えていく必要があり、この様な視点も踏まえ、新たな科学技術を構築して行く事が求められている。」

   私共は、「有限の地球」の知識を既に持ち、その危機を認識しています。地球は病み、人類、国民の総合安全保障を構築する必要が切迫しているのです。その解答は、経済学などからは得られません。人々の地域・風土・歴史などを踏まえた多彩な生活様式を尊重しつつ科学技術の裏付けのもとに生存を賭けた新文明創造へ挑戦するしか道はあり得ません。その方向付けと道筋を提供する努力をしたいと思っております。

(4)人類文明史上未踏の歴史的転換期への対応

   いま、全地球レベルの産業社会革新が進行しつつあります。第一に、情報通信革命は、知識を瞬時にして全世界へ発信し、また誰でも公開情報を自由に入手し自己目的達成につなががる活動の糧とすることを可能としました。

   つまり、知識アクセスの階層的障害、組織や団体的障害、距離空間、時間などの制約を、一挙に排除する効果をもたらしたのです。

   第二に、経済のグローバリゼイションが進み、商品生産と市場に国境は無くなりつつあり企業は、ビジネス環境に最適な場所を求めて、国や地域を選択する様になりました。生活者が経済を主導する様になり、そのニーズに合わせて商品を創り込む企業努力が必要となっています。

   第三に、化学・量子力学(数学)・分子生物学の三大基礎科学の連携が進み、原子・分子・遺伝子レベルの科学による「知」の創造が驚くべき速度で行なわれるようになりました。一方、生物(人間)とは、地球とはが追求され人類と自然との関りのメカニズムの解明も含めて、総合科学が先端技術の支援を得て急速に発達しています。

   第四に、人類は地球レベルの危機と言う共通課題と、夫々の生活様式に対応した多彩な文化の形成という身近な生活問題の両面に直面しています。経済・金融などのグローバリゼイションとは別に、歴史、宗教、風土、習慣等の多様性に由来する数々の価値観の存在が見られます。

全世界の人々は、これらの事を知り、それらに起因する多面的な争いと悩みの顕在化が今数多

く噴出しつつあります。

 科学連合フォーラムは、以上の認識をもとに、有識者の責務を自覚し、日本の未来が科学技術立国として開拓される事を願い、そのために貢献したいと思って活動しています。

 また、我が国が、科学技術力により、人類と地球の危機への対応について、国際社会で分担すべき役割を果たすと共に、世界の人々の多彩な生活様式を展望して、「生きる能力としての科学技術力」、の発揮をし、共存関係をもとに新世紀文明創造の主導国の一つとして名誉ある国家となることを願っております。

 平成16年に始まる通常国会において、「日本学術会議法」が改正されました。内閣府に中に、トップダウン型「総合科学技術会議」総合戦略の策定を担い、閣僚と有識者議員が一同に会して、科学技術に関する政策形成を直接行なう機能と、ボトムアップ型「日本学術会議」総合戦略策定の根幹となる長期展望などを勧告・提言、それに科学者の意見を広く集約し、長期的、総合的、国際的視点から、中立的立場で行なう機能とが連携する体制が平成17年9月から発足します。

 ようやく我が国も科学技術基本法制定より約10年、科学技術による国家戦略策定の体制が整えられるに至りました。地球社会の変貌の速度は凄まじい、日本工学アカデミーを始めとする科学者達は、その良心に基づいてこれまで活動を行なってきています。いまこそ国の機能の総力を挙げて、脱石油文明戦略策定へ取り組むことを望んで止みません。また私共は、それに向けて科学者・技術者の良心と英知をもって対応して参りたいと思っております。

  {図 3 総合科学技術会議と日本学術会議との連携機能}

 


以上

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